第23話:“いじめ”について思う事

 前に、中学生の頃に“いじめ”にあっていた事を書いたと思います。

 その時に、“不登校”についてまた別に書こうと思っていたので、今回は何故私が“いじめ”を受けていながら、“不登校”や“自殺”という選択肢を選ばなかったのかを書こうと思います。


 …そうだな。

 まずは、何故“自殺”を選ばなかったのかについて。

 それは、『まだ完結していない、アニメや漫画があったから』というのもあるんですが、私の信念…というか、1つの思想があったからです。

 それは、『私が“死ぬ”理由が無い』という事。

 よく、“いじめ”の現場で飛び交うのが『死ね』という言葉だと思います。

 それを日々浴び続ける事で、『死ななきゃ』と思う様になってしまうみたいです。

 ですが、当時の私は思いました。

『私が“死ぬ”のと、貴方が“死ぬ”のは何が違うのだろうか』と。

 私の事を“いじめ”ていた人を、仮にAさんとします。

 Aさんは、私に『死んでしまえ』と言いました。

 それはきっと、Aさんにとって私の存在がとても目障りで、『目の前から消えて欲しい』という意味なんだと思うのです。

 要するに、Aさんの視界から“私”が消えれば良いんですよね?

 ということは、何も『私が“死ぬ”必要はないんじゃ無いか?』と思いました。

 私にわざわざ『死んでくれ』と懇願なんてしないで、Aさんが勝手に“自殺”すれば良いだけの話なんです。

 だって、私は『死にたい』と望んだわけでは無いのですから。

 そして、もしもAさんがそれでも『死にたく無い』というのなら、Aさんが自分で私を視界に移さない様に、努力すれば良いだけの話なんですよ。

 だから、私は“自殺”を選びませんでした。

 …まぁ、『教師の反応が見たかった』とか、『どんな“いじめ方”をするのか体験してみたかった』というのもありましたけどね。


 次に、何故“不登校”を選ばなかったのか。

“不登校”というのは、一見“逃げている”様に受け取られがちです。

 ですが、私は逆に“逃げ場がない”と思っています。

 そして、私の居ない所(学校)では、内申点稼ぎの生徒も含めて、手のひらを返したかの様に、“心配”してくるのでしょう。

 担任の教師が様子を見に家庭訪問するかもしれません。

 脅迫状の様に『早く戻っておいでよ』とか、『みんな貴方のことを待っているよ』なんて、テンプレートを貼り付けた手紙等が送られてくるのかもしれません。

 昨今では、LINE等のSNSもあるでしょうから、学校に通っている時よりも精神的ダメージは多いのかもしれません。

 私の場合は、クラスが35人だったとして、

 3/35:実行犯 (何処でも平気で暴言を吐く)

 27/35:傍観者(陰口しか言えない弱者)

 4/35:無関係(“いじめ”に全く加担しない)

 1/35:当事者(私)

 みたいな割合だったので、そもそも私が“不登校”になったとして、手紙を貰ったとしてもなんとも思わないんですけどね。

 それでも、担任が女性という事もあって、『そういう事をやりかねない』と判断して、私は“不登校”という選択肢を選びませんでした。


 今思い返しても、すごい中学校生活だったなぁ…と他人事の様に思います。

 何だかんだ書いてきましたが、こんな思考の中学生なんてなかなかいないだろうから、びっくりするかもしれません。


 大事なことは、『なにものにも、呑まれるな』ということなんでしょうね。

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