第12話:教師の在り方

 数年前に、『女王の教室』というドラマが放送されていた事を覚えているでしょうか。10代の方々は、知っているでしょうか。


 今の日本の環境では、とてもじゃないけど放送出来る内容では無いと思います。

 生徒を廊下に立たせる行為を、《体罰》として扱う様なご時世では、このドラマの伝えたい事も、上手く視聴者に伝わらずに批判だけされてしまうのでしょう。

 流石に、私が小学生の頃に放送されていた作品なので、詳細までは覚えていませんが、主な内容としては、舞台は小学校で主人公のクラスの担任が生徒達に対して、様々な《教育的指導》を行います。

 しかし、その《教育的指導》はとても冷酷で、主人公達は反発を試みますが毎回担任に論破されてしまいます。

 最終的に主人公達は、どんなに冷たく厳しい《教育的指導》の数々も、担任の愛情がちゃんと根本にある事を理解する。

 …といった内容だったと思います。


 当時この作品を観ていた私は、登場人物達と自分達を比べていました。

 私達の担任は、冷酷だったり体罰を与える様な人柄ではありませんでした。

 ただ、私には『生徒達への教育方法を少し特殊にする事で、周囲からの評価を得たい』という欲の強い先生としか思えませんでした。

 そんな風に思いながら、学校への不信感剥き出しで通っていた頃に、『女王の教室』に出会ったのです。

 …そして思いました。


『この子達が羨ましい』


 主人公達は、序盤こそ担任から酷い仕打ちを受けていましたが、最終的にはその全てに意味があり、愛があった事を知る事ができたのです。

 一方で私は、担任からの愛情を感じる事ができませんでした。

『私達は担任の評価のために利用されている』

 そんな風にしか感じる事が出来ずに、小学校を卒業しました。


 私は、《適度な体罰》は実行しても良いと思います。

 もしも、生徒が《教育的指導》に耐えられないのであれば、生徒の忍耐力や読解力が欠けているか、指導した教師の《教育的指導》に過剰な力が加わってしまったからでしょう。

 廊下に立たされる《教育的指導》には、教室の外で反省するのと同時に、教師の《指導》を反芻はんすうして考える時間が設けられているのです。

 最近では、教師が生徒に声を掛ける為に肩に触れただけで、セクハラや暴力になるらしいですね。

 生徒側が直接苦情を言い始めた…というよりは、生徒の家族側が学校側に苦情を入れ、生徒がそれを真似し始めた結果、現在の教職員の立場が低くなっている様な気がします。

 ちょうど今頃、義務教育期間の子供を持つ親の殆どは、自分達が子供の頃に教師から《過度な体罰》を受けて育った世代でしょう。

 そんな体験や知識があるからこそ、『可愛い我が子にはあんな目に合わせたく無い!暴力反対!!』…という事なんでしょうね。

 しかし、そんな《過度な体罰》が横行していた時代の親(祖父母)達は、寧ろ『自分の子には厳しくして欲しい』という考えを持っていた気がします。今とは大違いですね。

《過度な体罰》と《教育的指導》の区別や意味を理解できていた世代から、区別する事が出来ずに《嫌な事》として記憶した世代に変わり、現在の行き過ぎた過保護モンスターペアレントへと変化してきたのでしょう。


 最近では、恐らく高校生による投稿だと思いますが、SNSへ教師を生徒が煽ったりしても《指導》ができない様子を面白おかしく撮影した動画が散見されます。

《生徒》という立場なら、何をしてもいいのでしょうか。

 なんだか、動画で教師をあざ笑っている生徒達を観ていると、とても可哀想に思えてきます。

 きっと、生徒達はそんな行為から《優越感》や《快楽》をおぼえてしまったのでしょう。

 自分達よりも身分の高いはずの教師が、何をされても仕返しをしてこない状況くらいでしか、《楽しい》を感じられないんだと思います。

 私が小学生の頃、《優越感》なんて呼べるのは、『ゲームの進行度』や『レアカードをゲットした』くらいでしたけどね。

 現在の10代からすれば、『そんな事が嬉しいの?』って感じなのかもしれませんが、とても輝かしい思い出です。


 流石に、『女王の教室』みたいな教育方針を取り戻すのには、凄く時間が掛かると思います。

 なのでまずは、殺風景な学校内から変えてみるのはどうでしょうか。

 外部からの意見に怯えるばかりで、その恐怖心を突く《つつ》事でしか楽しめないのは、可哀想過ぎます。

 しかし、生徒達は《無邪気な笑顔》の表現方法を思い出せないでいるのかもしれません。

 ドッジボールやバスケットボールなんてどうですか?

 みんなでわいわい声を出して遊んでみませんか?

 生徒の中には、『痛いのは嫌だ』とか『面倒くさい』と感じる人もいるでしょう。

 そういう生徒は、無理矢理参加させる必要はありません。

 コートの近くで見学させるのはどうですか?

 無理強いさせるから《圧力》をかんじてしますのです。

 ですが、社会人になった時に『この仕事はやりたくありません』なんて、通用しないですよね。

 だからこその見学なんです。試合に強制参加させるのではなく、《最低限の我慢》は必要ですから、見学はさせるのです。

 見学している生徒が、もしかしたら試合を見てくれないかもしれません。

 それでも、試合を見学している生徒には、少なくとも教師をからかっていた時の様な笑顔ではなく、《子供らしい笑顔》が浮かんでいる事でしょう。

 そうした小さな一歩から始めて、いつかは《教育的指導》ができる環境を整えていけば良いのでは無いでしょうか。

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