応援コメント

第9話:義務教育という名の収容所」への応援コメント

  • 僕は自己表現が好き、裏を返せば皆に構ってほしい、と思いながら生活してきたので、意図的にしろそうでないにしろ、他の児童・生徒とはやや趣向を異にした作品を創ってきた自覚があります。

    その時に担当教諭から受けた《収容施設的扱い》は、僕にとってはさして問題のあることではありませんでしたが、それでも「あ、この先生は想像力が足りないな」と生意気にも思っていた記憶があります。

    《正解の存在しない授業》、大事だと思います。もちろん、それをまとめる教育者も。
    科学技術の発展で人間⇒機械(AIとか)の代替が進む中、絶対に必要な生存スキルだと考えます。その芽を摘んでしまうとは……。日本の教育現場は一体どうなっているんでしょうね。

    まあ、『日本政府の教育方針を立てる人々に先見の明がなかった』と言ってしまえばそれまでですが。

  • 地獄への道は、善意で舗装されている。

    という有名な言葉に表されているのが、現在の日本の教育ではないか、と私は思います。「収容所」「更正施設」という言葉を使う貴方の感性は素晴らしいと思います。なぜなら、その言葉には、管理する側の「貴方たちのためを思ってやっているのだ」という意思が含まれているからです。

    そしてそんなお節介な意思が、この国においては(いや、他の国においても)なぜ機能しているのか。それは、
    ①幸せな人生にはお金が必要である。
    ②お金を正しく稼ぐには教育と他人の協力が必要である。
    ③他人に理解できる教育とは学歴のことである。
    ④学歴には試験に受かる能力が必要である。
    ⑤試験に受かるためには出題者の意図を汲む能力が必要である。
    というマジョリティかつ強力なロジックに集約されている、と思います。

    どれくらい強力かというと、そうでない可能性を主張する教師が弾劾されるのを救えない程度、そしてこのロジックを肯定する目上に逆らえない程度、でしょうね。

    私が考えるこの問題の解決策は、社会を支えるロジックの進化が遅いとしたら、この問題意識がマイノリティであることの自覚と、そしてそのマイノリティな理解者やインフルエンサーをどれだけ支えられるか、ということに尽きると思っています。
    ここにこうやって書き込むことも、そのひとつですね。

    作者からの返信

    『貴方たちのためを思ってやっている』なんだか、とてもしっくりきます。
    きっと、一番最初に『教職員になりたい』と思った時には、純粋に『子供が好き』とか、憧れの先生の背中を追いたくて…。なんて理由だったんだと思うんです。
    ですが 、実際に教師になってみて、微かな《支配欲》と《偽善心》が満たされていくのかもしれません。
    自分の発言に素直に従ってくれる生徒達は、とても可愛らしいでしょうからね。

    日本という国で、こんなにも機能している理由の1つに、私は『公務員に対して尊敬する習慣』が有ると考えています。
    私は、親が先生への対応を見ていて、『自分を産んだ親が偉いのは理解出来るけど、何で先生を尊敬しなくちゃいけないの?』と思っていたタイプだったので、こんな風に成長したんでしょうけども。

    確かに、このネット社会に誰が見てくれるかわからないけれど、間違っているのかもしれないけれど、それでも意見を書いて発信するのも、大切な事なのかもしれませんね。

    編集済

  • 編集済

    僕の小学5、6年生の担任の先生は、6年の夏休みに「小説を書いてみよう」という国語の課題を出して、僕の汚い字で書かれた拙い小説を読み、無難ながらポジティブな感想を言ってくれました。(クラス全員に同じことをしていましたけど……)
    あれは僕が中学以降夢中になって小説を書くようになったきっかけだったと思います。
    小学校の教育は、子供の人生を変えてしまう力をもっているのに、割と教員の裁量で成り立っているみたいですね。
    改善へのいい方法が見つからないから放置されているんでしょうけど……
    (度々長文を送ってしまい申し訳ありません)

    作者からの返信

    とても面白い課題ですね。
    きっと、ひもろぎさんの担任の先生は、読書感想文等の親が干渉できる内容ではなく、生徒の発想を見てみたかったのかもしれませんね。
    結果として、小説家を目指すきっかけになっているし、ひもろぎさんにとっては成功例だったでしょう。
    私も、自分の担任がそんな先生だっらもう少し考えが違っていたかもしれません。

    小学生はとても感受性が豊かな時期です。
    同じ授業でも、受け止める生徒によって様々な反応を示す事でしょう。
    もしかしたら、その夏休みの課題も、国語が苦手な生徒にとっては只々苦痛しか感じなかったかもしれません。
    だからこそ、担任の先生はどんな内容だったとしても、ポジティブな感想と共に、褒めてくれていたんじゃないでしょうか。(あくまで私の推測ですが)

    私の地域では、今はわかりませんが、他校の先生方が授業を見学に来る事がありました。
    普段関わることのない先生の授業を見学することで、そこから何かを学び明日の授業へ生かすのが目的だったんだと思います。
    …まぁ、現在では学校側も色々と問題を抱えている事でしょうし、授業内容の改善に気を配れるかわかりませんけどね。

    こちらこそ、毎回長文で返信してしまっていますし、気にしなくて大丈夫ですよ。