第3話:我々若者は、再び子を産む道具へと…

 かつて、

 息子は未来の労働力として

 娘は次の世代の労働力を産む存在として、


『我が子を授かる』

 というよりも、

『日本国という企業の人材が増える』


 当事者以外の人々は、そんな感じだったんじゃないかな…。と、私は思う。

『私達は子を孕むための道具じゃ無い』

 そんなニュアンスの言葉がありますが、おそらく本来は奴隷や娼婦の文化からきているのだと思います。

 ですが、『お国の為に子を産む』という思想は一般家庭にも有ったんじゃないでしょうか。

 病気や体質的に子を産む事が困難な女性に対し、風当たりが冷たいのは『国のお役にたつ事が出来ない』という肩書きが付いてしまうから。


 しかし、長い年月が経ち人々の思想にも変化が起こり始めます。

『お国の為に子を産む』という考えが変わったキッカケの一部に、『人権』があると私は思っています。

 子を産む父母の人権と、産まれてくる子の人権です。

 そりゃ、産まれてくる子の立場からすれば、「自分は両親が愛し合い、その結果として産まれて来たんだ」って思いたいじゃないですか。

 なのに、「実は、当時子を増やす政策があってだな…」なんて、自分が高校生くらいになった時に両親から教えてもらったら…。

 それとも、学校の現代社会の授業で当時の事実を習ったとしたら…。

 最悪、その子達は『家族の愛』が解らなくなり、人間不信や鬱になる子達も出て来そう。


 けれど、「そんなの昔の話でしょ?」って、軽く考えている20代や現在学生の皆も、前置きが長くなってしまったけれど、聞いて欲しい。

 今、まさに私達も近い将来直面する可能性が有るんです。

 少子化問題。

 年金問題。

 私達には、色々な責任や期待を産まれた時から背負わされています。

 大人達は、「子供達の将来のため」とか言っていますね。

 勿論、今20代以下の若者の将来を考えてくれているのかもしれません。

 ですが、「結局は、貴方達大人の年金がこれ以上少なくなると困るから、『子を増やせ』って言うんでしょ?」と、私は思うんです。

 捻くれた意見と思うかもしれません。

 ですが、やっと自由に恋愛をして、様々な形で結ばれる事が出来る様になったんです。

 偏見も少なくなってきているんです。

『男と女は、生涯の相手と結婚して子を産み、死ぬまで添い遂げる』

 という、固定概念が少しづつ薄れていっているんです。

 様々な理由で、養子縁組のシステムを利用して結ばれている家庭も増えて来ているのに。

 また、昔みたいになってしまうんでしょうか。

 年金問題が大変なのも、数十年後の労働力不足も解ります。

 ですが、どうか政治家の方達には、仕方がなく少子化対策の法案を決める事になっても、『少子化対策案』みたいな無機質なものではなく、温かみのある法案名にして欲しい。

 産まれてくる子に罪は無い。

 どうか数年後の子達にも『家族の愛』と『人権』を…。と願ってしまいます。

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