プランターでハッパを育てたら

「キャッ」

 キッチンの方から、みじかくて大きな声が響く。この家でお母さんと呼ばれる動く物体から発せられたようだ。静かな物置の中でほとんど動くこともなくホコリをかぶっている立場からすると台所の慌しさはうらやましく、思わずため息をつくと物置のドア先輩が私・虫かごがいよいよ、久方ぶりに忙しくなるんじゃないかと改めて、おっしゃった。


 ドア先輩は、M棟462号室中のあらゆるモノと会話して、何でも知っている。いよいよ、改めて、というのは数日前にベランダの手摺りさんから上の階で白が目立つ羽根をたためない虫がうろちょろしてるという話をきいたドア先輩が、そのうち、私の出番が近いみたいな独り言をきこえるように言っていたからだ。


 てっきり、その日のうちに羽根をたためない虫が462号室に迷い込んでくるのかと思ってきいていたが然に非ず。外すこともあるんだろうと忘れていたから、お母さんの悲鳴で、いよいよ、久方ぶりと改めて言われても、何の話か分からなかったくらいで・・・・・・。


 そう言えばって感じで、今日の午前中に上の階のベランダ生まれの動く小物体の仲良し三兄弟が命がけで降りてきたことを新人プランターくんが数時間たってからの報告。バツが悪そうに、ついさっきまで、プランターくんに居たことを付け加えてくれたから悲鳴と私・虫かごとの関連は何となく分かってきた。お母さんは、この春からベランダ栽培をはじめている。同じM棟の奥様からアブラナの仲間の種を貰って、プランターで育てているのだ。プランターくんは、そのタイミングで462号室にやってきたばかりで新しい環境慣れてないのか今のところ、口数は少ない。


 それはさておき、大冒険を果たした三兄弟はプランター内で立派に育った誰も食べていない丸みを帯びたハッパをたっぷり食べて、のんびり休憩していたら周りのハッパと一緒に摘まれて、一緒に水洗いされてるときにお母さんの悲鳴の原因と化したようだ。


 お母さんの声を聞いて、お母さんよりやや大きい物体・お父さんと二体より小さめだが日々大きくなっている物体・娘がかけつけて、何やら話をしている。声の感じからすると、娘とお父さんは楽しそうで、お母さんは、おされ気味だからか、やや不満そう。とにかく家の中で動く物として、この三体は他(の動く物)と比べて、とても大きく、462号室における出来事の中心。だから、お母さんの叫び声の原因になった小さな三兄弟の今後について三巨体が話し合っている。


「プランター栽培を始めたのは家族ためで・・・・・・」

などと不平をもらすお母さん。

「新しい家族でしょっ!」

的なツッコミを入れる娘。娘同様ニコニコのお父さんは物置のドアを開き、たくさんの物が置かれている物置の中からドア先輩の言ったとおり、私・虫かごが持ち出す。多数決の内訳まで言い当てるドア先輩のヨミは、いつもながら見事。感心しながら久々にこぎれいにしてもらう心地よさの中、家族会議で決定した私の中に入るべき三兄弟の姿を見る。見たことがない感じだった、お母さんの悲鳴に少なからず共感。思わず、ドア先輩に虫なんですか?と尋ねてしまった。


 この家には羽をこすって、音を奏でる虫といっしょに連れてこられた。キッチンに行くことはあまりなかったが虫の食べ物さんから台所の様子を聞かせてもらったことが何回かある。そう、その頃は現在のプランターくん同様、物置のドア先輩や物置さんとおしゃべりをすることはほとんどなかった。実際、話かけられることもなく、主に娘に連れられて奏でる虫たちと共に家の中の色々な場所を行き来で、物置に入ったりしたことはなく、せいぜい(物置さんの)そばを通りすぎるくらいだったから、物置さんが物静かなこともドア先輩がおしゃべりなことも分かってなかったのだ。


 音を奏でる虫が寿命をまっとうして物置の中へ片付けられることになったので、ようやくお二方には改めてご挨拶をすませる。寛大な方々で挨拶が遅くなったことも462に来て以来ずっと忙しかったね、と逆に労っていただき、動く巨体たちの生活を中心に色々教えていもらう。それから、カラフルな羽根をたためない虫や角が目立つ虫が来たときに物置から数日から一、二ヶ月ほど物置さんから持ち出されることがあったが話を伺っていたおかげで落ち着いて役割をこなせた。


 実際、これまで中に入ってきた、いずれの虫も教えて貰った通り、昆虫の特徴である頭・胸・腹で分かれていて、胸から3対6本の脚が出ていた。一方、この度私の中に入る動く物体は、ぷよぷよした体の感じで、これまでの虫と同じとは考えられなかった。たまに、お母さんとニアミスしては悲鳴を上げられている部屋の隅や物の陰に棲んでいる動く小物体のが近い印象。巨体たちが虫かごで飼う飼わないの基準って何だろうか。


 それにしても、こいつらの食べる量はこれまでの虫たちと比べると、とっても多い。かごの中のハッパが少なくなると主に娘が入れ足していた。娘ができないときは当初お父さんがフォローしていたが昼間などにお母さんがハッパを足す回数も次第に増えてる。ファーストコンタクトの悲鳴や当初、不平を言ってたことなど嘘みたいで、

「この類のハッパを食べるなんて知らなかったなぁ」

みたいなことをニッコリした笑みを浮かベながら口にしている。それでも、ぷよっとした物体から出たふんを虫かごから出して、私の掃除をするのは、ほとんどお父さん。そうそう、これまでの虫たち比べて異なると言えば三兄弟が著しく大きくなることだ。だんだんと言うより、ぐっすり寝てて暢気だなぁとみていたら、一皮むけて急に大きくなる。


 何回か急に大きくなって信じられないサイズになったころ、多少時間にズレはあるものの三兄弟は何も食べなくなった。そればかりか何やら落ち着きなく虫かご内を動き回っている。かごの中にハッパは十分残っているので食べ物を探しているわけではなさそう。ちょっと前に用も足してたので、そちら絡みのそわそわでもなさ気。いずれにしても、この五日間の食欲を考えると普通ではない。さらに、それぞれが別の場所で少しちぢこまって動かなくなった。


 これまでの急に大きくなった時とは、全然様子が違うのだ。食べない時間も動かない時間ばかりか姿もこれまでにないパターンだ。動かない時間がますます増えていき、まっとうしてしまったと涙がこみ上げそうになったが突然、三兄弟が話しかけてきた。物置のドア先輩たちと同じ話し方で。


 驚くべきことに三兄弟はカラフル羽根をたためない虫の若者らしい。前に私・虫かごがみた羽根の模様と違って白地に黒のワンポイントらしい。ようやく、ドア先輩の予言めいた言葉の意味を理解できた。しかし、ぷよぷよしたあの体から羽根があらわれるなんて不思議だ。しかも、(羽根があるから当たり前かもしれないが)やがて翔べるようになるなんて、今の様子から、にわかには信じられない。三兄弟曰く、卵から出た直後に翔べるような虫なんて知らないし、子供のころは親とまったく異なる姿の虫も多いらしい。


 今のような堅いかわにおおわれた体のなかでは大食いから少食に対応する変化や羽根の準備などをじっくりゆっくりするらしい。私たちと話ができるのは動けない今の時期だけでこの期間、動かないものたちに話し相手になってもらうことが動けない間をイライラしないで無事に過ごすコツらしい。


「お母さん、見て見て。さなぎになったよ」

「三匹とも同じ色ではないねー」

「保護色らしいよ。念のため棒の類を入れておくか」

 色や棒などについて巨大な三体のお喋りが続く。娘が携帯端末を持ってきて、会話さらに熱くなっているようだ。


 三兄弟に問う。私みたいな狭い場所に閉じ込められて、つまらなくはなかったかと。それほど動き回らなくても食べ物にありつけるし、雨や風にも、さらされなくて至れり尽くせり。どこのベランダでも、しょっちゅうトリや他の虫に狙われていたし、三兄弟とも寄生もされずに462にやってこれたのはその他の兄弟姉妹のことを考えるとかなりのラッキー。確か様々な巨体たちの中には食べ物の準備を忘れたり、悪意のないスキンシップの類に熱心だったりする個体も少なくなく、寿命を早い段階でまっとうする親類縁者の噂も絶えないらしい。しかし、羽根をのばすための棒も用意してくれるような家族に引き取られる幸運に感謝することはあっても、つまらないなんて罰当たりなことを思わないという返答がかえってきた。


 それならば、羽根で翔べるようになってからも私の中にいるのは構わないのか、と素直に出て来た疑問をぶつける。それについての答えはかえってこないので、こちらからも再び触れることはなかった。その代わり、それからはたくさんの世間話をした。何日かすると話が聞きとれなくなったので、羽根付きのお姿を拝める日も近くなったのだろうとさびしさ半分、楽しみな気分半分。一方、食べ物や糞についてお世話することがなくなってからも三巨体は日に何度か様子を見にきていた。


 ある日は、

「だけどチョウチョウになるとは限らないよな。」

「図鑑で調べたけど、蝶でしょ」

「サナギがそっくりな蛾かもしれないぞ。」

「えーっ」

「蛾でも、家族の一員だよ」


 ある日は、

「ピクッと動いたよ。」

「ウカしたらかごから出して放してあげよう。」

と話をしている。三兄弟は、そのような雰囲気を感じとっていたのだろうか、それともかごの中でまっとうする覚悟もしていたのだろうか。


 唐突にカラフルな羽根をたためない虫が私の中に居たころの出来事を思い出す。

『バイバイの練習をしてるよ』

って、カラフルが虫かごの中を所狭しと翔び回っている様子を今より全然小さい娘にお母さんが言うと、

『明日は、本番だね』

って、娘。そのような様子を幾つかのフレームに収めるお父さん。すっかり忘れていたが、三巨体は、そういう家族だった。


 かごの中で寿命をまっとうする覚悟が三兄弟にあったかを今さら、確かめることもできない代わりでもないが一方的に私なりのアドバイスと言うか、随分な舌足らずなお願いをつぶやく。

 私から放たれるときには、くるくる回(りながら翔んで)ってくれ。


 数日後、娘は棟の横にある小さめの花壇の脇で虫かごの蓋を開ける。その後ろにはお父さんとお母さん。 三兄弟は、できるだけ激しく羽ばたき、上昇らせんを描きながら棟の間の空間を舞っていたが、下降して、再び、棟を越えるように上昇。

 翔んでいく三頭に三人が手を振(り、私も口を開けたまま見送)る。棟を越えて行った。

「さっき、こっちみたよ!。」


 再びこぎれいにしてもらって(当然、蓋も閉めてもらい)物置に戻るとドア先輩が口を開く前に物置さんがドア先輩みたいなお節介をいうようになったなぁっと珍しく声をかけてくれて、物置の中の皆の笑い声がM棟462号室に響いた。

(おしまい)

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カクヨムキタイして三次会(みじかい)O話たち @nuneno

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