湧水の章 第3話 肥後

親英

「すでに関白殿下は都へ向け帰洛された。佐々殿がしくじるかどうかは別として、どこかで小規模な騒動は起こると思う。火元は、島津殿のような大身ではなく、新参者に仕える羽目になった気の短い田舎武者になるだろう。戦に敗れていないのに征服されたのだから、今の世の在り方について釈然としていないはずだ。」

武宗

「我らも田舎者で申し訳ないが、騒動が起こったとして、日向や島原の後の騒動のようになるかね。」

親英

「なるさ。ただ、上方の兵が流れ込んでくるから負けるのは肥後勢だ。必ずそうなる。」

武宗

「それでは意味がない。」

親英

「分かりきった事だから、周りは誰も動かない。小さな狼煙が上がるとすぐに消されてそれで終わりさ。」

武宗

「ということは何も変わらないな。」

親英

「何か仕出かしそうな豊後のご隠居は亡くなられた。次の豊後殿は一国を守るのに必死、佐嘉では関白殿下に近い鍋島殿が全てを取り仕切っているそうだし、薩摩は関白殿下の威光の前に萎縮している。しばらくはこのままだろうよ。」

武宗

「戦争で稼ぐ機会が減るな。しっかりとやっていかんと。」

親英

「それでも火の手があがるとしたら。」

武宗

「あがるとしたら?」

親英

「我々がやらなければな。」

武宗

「隈部のお館か、城殿を御輿に担いでかい。」

親英

「確かに他に見合った大身はいない。しかし、それではいまいち盛り上がりに欠ける。そうだ、あんた菊池の御一門だという事にしてしまえ。」

武宗

「おい、辿ればどこかで繋がりはあるだろうがね、肥後中どころか日本全国の恥さらしになるのは目に見えているぞ。」

親英

「さっき言った能運公だが、武勲と引き換えに嫡男無く若死にしたからその筋には頗る人気がある。その落とし胤ということにすれば、信じる連中もいるだろうさ。」

武宗

「なんとまあ罰当たりめ。その軽薄さが甲斐党を滅ぼしたのだぞ。が、有効にも思える。今までそれをしなかった連中がいない事の方が不思議というものだ。」

親英

「そりゃ豊後の大殿がいたからだよ。もっとも不肖の倅にゃもう邪魔立てはできないと思うよ。そういや関白殿下も以前は平、今は藤原と名乗っているようだし、やはりこれは嘉例だよ。君、やったよ。よかったじゃないか。さあ、何と名乗るかね。」

武宗

「俺はあんたと違って学がない。決めてくれ。」

親英

「菊池殿と言えば『武』か『隆』の字だ。縁起がよさそうなのは『武』だがね。参考に歴代当主を書き連ねてみよう。えーと。」

武宗

「なになに、武光公、武政公、武朝公、兼朝公、持朝公・・・なんだこの後は『武』どころか通字が無いじゃないか。」

親英

「この能運公は改名してるんだ。不運に繋がるからと。前の名は武運というんだ。」

武宗

「その後は、武経公、義武公・・・」

親英

「武経公はある日、隈府を出奔し二度と帰らず、義武公は落ちぶれ果てて、豊後の入口で自害したそうな。」

武宗

「おい、これのどこが、縁起が良いんだ。」

親英

「こういう時は、嘉例を選ぶものだ。前の二人もそのつもりで選んだのだろうが、終わりが良くないという事は、選択が悪かったのだろう。ああ、書き忘れていたが、武経公が攻め殺した前代の政隆公は『隆』という始祖の字を選んでいる。」

武宗

「これでは遡ったものはどれを選んでも駄目だな。先が無い。良い案がでたら教えてくれと言いたいところだが今決めよう。いっそのこと俺の親父と同じにしたい。」

親英

「あんたの親父の名前には『国』という立派な字があったな。よし、武国でいこう。あんたはこれから菊池香右衛門武国だ。あの能運公の孫だ。武名高い菊池氏の後継者として、大いに活躍し、薩摩が攻め上ってくる前まで、土地を取り戻すことを目標にしよう。」

武宗

「よろしい。では心づもりのために、俺は石坂に帰る事にするよ。あんたはどうするね。」

親英

「俺はこの辺りに地縁がある。どこかで火の手が上がったら鎮圧のため佐々殿は兵を出すだろう。その隙を狙って、隈本城を攻め落とすぞ。そのための兵を養うこととしよう。」

武宗

「よし、約束だ。といっても俺とあんたの運命は、明日、藤崎の八幡様に誓詞を立てる事で始まる。薩兵とともに豊後兵を、上方の兵とともに薩兵をそれぞれ追った肥後の衆の強靭さ、関白殿下もびっくりするような戦ぶりをみせてくれよう。で、火の手はいつあがるのかね」

親英

「まあ慌てなさんな。一年先か二年先か、いずれにせよ、あんたとは長い付き合いになりそうだ。いやいや今この時からあなたは菊池殿だ。以後よろしくお頼み申します。川尻にいるあなたの姫には良い縁組が約束されたも同然。さあ、道程も定まった事ですし、今日は潰れるまで飲み明かしましょう。酔いが覚めればそこは来春、隈本城主菊池武宗殿が肥後を関白殿下より委ねられている事でしょうな。その時は私に御船と隈庄はもちろん益城郡の全てを何卒お任せくださいますよう。さあ、飲もう飲もう!あんたのためにも、私の為にもどんどん飲もう!」

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