仇討の章 第5話 志賀

 この密議の二年後、島津家の侵攻により、豊薩合戦が始まる。島津方に寝返った志賀親度だが、息子親次の籠る岡城の攻略に失敗。後年、息子の手に掛り、自害を強制された。親度とともに南郡衆の有力者は多くが滅び、志賀一族はその伝統と格式を失った。親次が父を殺してまで大友宗家に従いつづけた事実は、キリスト教の連帯が武士の局所的な主従関係には有効であったことを示している。


 復讐のために大友家に復帰した入田義実だが、彼は最後まで島津家に付き従い、真の裏切り者ではない事を天下に示し、日向国内に所領を得た。その死は慶長六年、恨み骨髄の大友家が前年の石垣原の戦いで再起に完全失敗したのを見届けて以降に訪れた。


1585年(天正十三年)

9月 筑後にて戸次鑑連この世を去る。

10月 関白秀吉、島津家へ停戦命令を発する。

1586年(天正十四年)

6月 島津軍、豊後侵入

7月 筑後・岩屋城の戦い、高橋紹運戦死

8月 筑前・立花山城の戦い

8月下旬 九州平定軍、豊前小倉城に到着。

1587年(天正十五年)

5月上旬 大友宗麟死去

5月下旬 島津家降伏。

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