仇討の章 第3話 鑑連

入田

「そう言えば、戸次殿についてさ。あんたも聞いているだろうが、筑後からの知らせの、御臨終が近い、というあれ。あの人物は結局、豊後で大往生を遂げるというわけではないらしいね。」

志賀

「まあ、年齢も年齢だし。それに柳川攻めが佳境に入っているのだろう。豊後に帰還している暇はあるまい。私もあの御仁とは何年も顔を会わせていないが、圭角は落ちていないようだな。そう言えば、私の親父が昨年、筑後に出兵した時に会っているはずだが、何も面白い事は書いてよこさなかったな。病気以外は相変わらずなのだろう。」

入田

「先ほども話に出たが、戸次殿は私の父の敵でもある。」

志賀

「無論、覚えているとも。だが今や昔の事。三十年余りとは忘れるほど永いではないか。」

入田

「そんな事は無い。私にとっては、未だに続いている恨み毎だ。今更、あの事変の細部にまでごちゃごちゃ言うことはない。だが、我の父を殺し、我が妹を無残に離縁し捨てたあの人物は我が一族の永遠の敵なのだ。復讐を遂げねばならない。」

志賀

「それが、あんたが島津家に与する最大の動機か。」

入田

「その通り。できれば島津軍の到着まで奴に生きていて欲しいが、どうやらそれも難しい。」

志賀

「しかし、先方はあんたの事なんて何とも思っちゃいないのではないかね。遠い筑後で戦が日常となっているのだから。」

入田

「戸次鑑連は古今に比類なき名将と謳われている。大友家最高の武将だと。」

志賀

「そのようだね。私もそう思う。赫々たる武勲、今や並ぶものはおるまい。」

入田

「だが、この人物は無数の戦に勝利はしても、戦争を終結に持っていく事はできていないのだ。永禄年間続いた毛利家との果てしないように思われたあの戦役も、吉岡長増の策略によって停戦にこぎ着ける事ができたのであって、戸次殿の武勲の為ではない。耳川の大敗以後、すでに七年も経過しているのに、未だに両筑は混乱したままだ。龍造寺勢を破ったのだって、島津方だ。戸次殿ではない。そして、死によって龍造寺隆信が消え去った後も、肥後北部も筑後も大友家へは帰ってこなかった。この人物の他者に対する冷酷さと傲慢さがその結果を生んでいるように私は思う。」

志賀

「そうだな。去年の筑後出兵も、成果を出すことなく終わってしまった。せっかく龍造寺隆信が死んだ後の好機だったのに。」

入田

「親家殿と戸次殿の間で意見が合致しなかったという事だ。本来であれば、大将であり、大殿の弟君であり紛れもない宗家の側にある親家殿の命令に服すべきであるのにね。万死に値する戸次殿の命令不服従を、誰もが弾劾できない。かつて、御隠居が家督を相続する時に大恩を売ってやったといっても、主家に対してさえ後継者に関する宗家の命令を拒む、当主と家老を馘首にせよと通達する、という有様だ。この者を憚らない者は家中にはおるまい。」

志賀

「しかし個々の戦闘には勝利している。戦争を終結に持っていくのは主君の務めではないだろうか、と言っても主家の指示に従わなくなっているのだから、難しいか。」

入田

「この者、今や筑前筑後の全権を握っているのだから、その言い訳は通じないよ。結局、戦闘には勝てても、戦争には勝てないという例の典型的人物だと思うね。部下には公正だという。きっとそうだろう。自分の仲間や家族へ情愛注ぐこと尋常ではないという。それもそうなのだろう。しかし、傲岸傲慢度し難く、その能力は戦場以外では使いどころがなく、戦場を出れば大した人物ではないようだ。私が考える御隠居最大の戦略的失敗は、日向攻めを強行したことよりも、戸次鑑連を筑前に据え続けた事だな。宗家の指示に従わない人物が筑前に居る事で、豊後の守りは軽くなる。戸次も吉弘も豊後武士だが、今や両筑を守り、豊後を捨てるのだ。無論、向こうに所領があるからそうせざるを得ないのだろう。武士どもも生活があるからなあ。戦から帰れば、家中を取り仕切らねばならないし、そのための金が必要だ。だがそのために豊後に帰らないとなれば、豊後の者どもにとって、彼らは一体全体なんなのかね、ということになる。分り易く言ってやろうか、すなわち裏切り者だ。両筑から聞こえる永遠に終わらない戸次鑑連を讃える声は、豊後の人間にとっては遠く聞こえる空しい咽び泣きでしかない。誠におぞましく吐き気がする。おのれ戸次鑑連。奴め、神仏にでもなったつもりか。だがそれは武士の道にあるまじき行為だ。私の父はそんな男によって貶められ名誉は辱められたのだ。許しておけるものか。だがな志賀殿。昨年、私は戸次統貞と和睦をしたのだが、豊後に暮らす戸次一門の中に鑑連への不満が高まっているのを見逃さなかったぞ。公平公正な鑑連殿は、一門が栄えるための口利き等に一切耳を貸さないのだという。よほど自分の娘が可愛くて、筑後の全てをその婿に相続させるつもりなのだろうよ、とのことだ。覚えているだろう志賀殿。先ほども話したが、耳川の大敗前に、御隠居は鑑連へ戸次一門の統連に立花家の家督を譲るよう命令を出したが、鑑連は拒絶し、最初全く血縁の無い家臣に継がせると喚き、最後に自身の娘に立花家を相続させているだろう。この一事で、鑑連は豊後の戸次氏の支持を全く失ったのだ。戸次の宗家は拒絶された統連の親父鎮連が継いでいるが、今回、この人物が私の誘いに色よい返事を返してきているのもそのおかげと言うもの。思えば、私が旧領の一部に復帰できたのも、戸次鑑連の豊後での評判が落ちた事が主たる要因に違いないのだからね。あとは機が熟するのを待つだけでなく、それを支援するのが私の役目と言える。」

志賀

「まあまあ、戸次殿の批判をさせたら、あんた以上に饒舌な者はいないだろうね。しかも欠点を強調しすぎのきらいがあるように思えるな。どんな人間でも欠点くらいあるだろうよ。」

入田

「私が言っていた事をあんたはぼんやりと聞いていたようだな。要点のみもう一度言ってやる、奴は武士にあるまじき外道だ。」

志賀

「戸次殿の事を何でもかんでも良くご存じのようだが、その姿、まるで心焦がれている者のようだがね。」

入田

「無論、奴の破滅を願い心焦がれているとも。だがどうだね。奴の部下どもが奴を讃える声、大臼を崇める切支丹どもに近いものがあるとは思わないか。部下どもの鑑連への狂信が覆された時の様が見物だ、と私は常々期待している。御隠居にせよ鑑連にせよ、よほど人の心を捉えるのがお好きのようだな。我らも作戦を成功させるために見習わないといけないかもな。」

志賀

「そうかもしれないがおい、もう切支丹の話をするのはやめろよ。虫唾が走る。」

入田

「やはり、あんたの息子の事が気がかりかね。」

志賀

「ああ、そうとも。忌々しい邪教のせいでな全く私の言う事を聞かなくなった、あの愚息が気がかりだとも。」

入田

「そう言えば、道輝殿も切支丹であったか。父親と息子に挟まれ、あんたも大変だな。」

志賀

「親父はなにを考えているかわからん。恐らく何も考えていないのだと思うがね。だが息子は南蛮人の説く教えに恐ろしく熱を上げ、竹田の城周辺の神社仏閣を打ち壊してしまった。知っているだろう、あんた。あれは私の恥知らずな息子がやりやがったのだ。攻め込まれたわけでもないのに、城下は火放たれたようになっている。あの愚か者め。これでどうして領地が守れるのか。やつめ、耳川の大敗も、伴天連どものせいではないと頑なに考えているようだ。切支丹の兵が死んだわけではないとな。あいつめくそ、ふざけやがって。あれが私の息子とは信じられん。おいあんた、二度と切支丹の話を私にするんじゃないぞ。」

入田

「分かったとも。分かったよ。でも、あんたが息子と和解できる事を祈っているよ。しかし、この有様では、親次殿はこちらの声には応じないかもしれないな。その場合はどうするかね。」

志賀

「知れた事。この私が全力で叩き潰してやる。言う事を聞くようになるまでな。」

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