仇討の章 第2話 豊前

入田

「権威。権威か。権威と言えば、耳川の大敗の後、大友家はそれを権力とともに喪失したな。かつて大内家が陶隆房によって私物化された時、今川家が桶狭間で大敗した時と同様だ。」

志賀

「権威はともかく、権力もかね。陶隆房も今川義元も戦場で死んだが、大殿と御隠居はどちらもご無事だ。権力は保たれたのではないか。」

入田

「大友家を追放されて以来、各地を放浪していたから特に良くわかるが、家臣による疑心暗鬼の同士討ちに、宗家が強く加担している。自分の手足を喰う蛸のようなものだな。そして権威なくして権力は保てん。」

志賀

「あんた田原家の反乱と田北家の反乱の事を言っているのかね。」

入田

「無論無論。」

志賀

「田原家の反乱は見せしめとして必要だった、と私は聞いている。田北家の反乱は、先方がたまたま先手を打ったまでなのではないかな。」

入田

「田原常陸介は親賢殿に奪われた所領を取り戻しさえすればよかった。だが、それを行った時期が悪かったな。耳川の大敗で家中が大混乱にあるなかで、要求を強めたのだから、宗家へは実質的な脅迫と映ったに違いない。田原勢は戦での実績が大きい家だ。それでいて日向征服行には大して参加していないから、あの時は全く損害が無かった。南からはそのうち薩摩勢がやってくるのだ。仮に田原を激発させたら、南北から攻められてしまう。府内と臼杵が感じた恐怖は凄まじいものだったろうよ。」

志賀

「では田原常陸介が反乱を画策していた、というのは事実かね。」

入田

「私の知る限りでは、事実ではないな。府内への出仕を命ずる使者が安岐城へ弾丸のように飛び交っていたから、噂が独り歩きしたのだろう。こちらは大殿の対処だったが、その大殿の頭上で、御隠居と常陸介が交渉を持ち始めたのだ。曰く、親家殿を田原家の養子に入れて、後を継がせる、というものだ。これは双方にとって悪い話ではない。大友宗家にとっては、田原家を取り込めるし、田原家にとっては、田原親賢から奪還に成功した所領を確定できるのだからな。田原常陸介は苦労人だ。若い頃は国外追放されていたし、自分が如何に警戒されているかは知っていた。だから、落としどころは弁えていたのだ。」

志賀

「しかし、しばらくして死んでしまったな。」

入田

「いや、殺されたのだと私は思うよ。」

志賀

「へえ、誰にだね。」

入田

「養子の親貫にさ。」

志賀

「これは突飛な意見だ。ああなるほど、と納得は難しい。だが、あり得ないとまでは言えないように思う。しかし、そんな話は初めて聞いたが、事実かね。」

入田

「私の予想だよ。その後、親貫が一門を率いて府内へ直訴に及んでいる事から、バレずに進んだ陰謀なのかもしれないが。」

志賀

「しかし、養子とは言え息子に殺されるとは、なんとも哀れな最後だ。あのお方に徳が無かったとは思えない。戦場では勇敢で、周囲に気を遣う事も知っていたし、なにより慎重な方だった。あんたが言うように、苦労人だったからかな。」

入田

「その振舞と実績は申し分ない立派なものだったよ。だから宗家にとっては常に警戒を怠る事が許されない存在だったのだろうよ。」

志賀

「じゃあ、見せしめとして大友宗家に処断されたのは親貫の方か。」

入田

「そうだ。親貫はその直訴を、海路でいち早く進む事で行った。まあ、手勢も連れていたから強訴と言うべきだな。これも時期が悪かった。耳川の大敗で完全に自信喪失していた府内はすわ内乱か、と慄いてしまった。各地に府内防衛の援軍派兵を求めたは良いが、その噂を聞いた親貫が驚いて引き返したことは笑い話だな。逆に田原親貫謀反の噂を聞いて反乱に踏み切ってしまった田北紹鉄殿はやっちまった、と思っただろうね。ただ、あんたが言ったように、田北紹鉄殿も身の危険は感じていたに違いないのだ。」

志賀

「田北鎮周殿の事か。」

入田

「そう。耳川の大敗で多くの兵を失っていた上に、敗北は弟の鎮周殿の拙攻にあった、なんて噂されていたんだからな。身の危険を感じて当然だ。本来、戦で大敗したとしても、そういった疑心を吹き払って諸将を結束させなければならないのだが、残念ながら、この手の優れた能力を持つ人物が家中に欠けていたのさ。」

志賀

「それは私の事を非難しているのかな。」

入田

「いいや、あんたは大殿の覚えが悪いからいずれにしても難しいだろう。この場合、非難に値するのは大殿と御隠居、そして田原親賢殿だな。そして、戸次鑑連殿だ。」

志賀

「戸次殿がかい。なんでまた。」

入田

「耳川の大敗の後、戸次殿は筑前から老中衆へご隠居宛という事で書簡を送りつけてきただろう。」

志賀

「大殿の引退と御隠居の復帰、あと田原親賢殿の追放を求めたあれか。まあ、あの書簡は、府内ではもちろん臼杵でも評判が悪かったと聞くがね。」

入田

「なら当然、噂が流れつく先である豊後全域でも評判が良かろうはずがない。それに、あの時の老中衆といったって田原親賢殿と朽網の叔父貴の実質二人しかいなかった。佐伯殿も、田北殿も、吉弘殿も、吉岡殿もみな日向で死んでしまったのだからな。まあ、その書簡について、御隠居と話し合ったという田原親賢殿の人の好さには呆れるがね。ともかくも、あの書簡によって、田原親賢殿の権威の失墜は決定的となった。人の弱みに付け込むという点では、戸次殿は中々のやり手だ。」

志賀

「だが、敗戦の将は罰せられて当然だと思うがな。大殿もご隠居も田原親賢殿を高く信頼しており、敗戦後に及んでもそれは相変わらずだろうから、彼を排除するなら今しかない、と戸次殿は考えたのではないかな。」

入田

「それならば、戸次殿は実力行使に出るべきだったな。田原親賢殿を殺すかして、家中の混乱を一切排して、大殿を支えるべきだった。しかし、彼は両筑を動かなかった。何もしないなら、書簡など送るべきではなかった。それとも、何か異なる計略があって、しくじったのかもしれない。ともかく、豊後には混乱だけが残り、それを見た田北紹鉄殿は反乱に踏み切ってしまった。親貫にも協調するよう声をかけ、筑後の秋月殿も合流し、天正八年の戦いとなってしまったわけだ。内乱の口火を切ったのは、間違いなく戸次鑑連殿だよ。」

志賀

「私は戸次殿をもう少し弁護するがね。耳川の大敗後、すでに秋月殿は陰謀画策と軍事活動を開始していたと聞いている。だから、筑前を守護する責務を負う戸次殿には、豊後への帰還などは難しかったと思うよ。しかし、秋月殿だがね、あの御仁は目ざとく人の弱点を見定めるものだ。昔から軍事活動を行っている印象があるが、また四十にもなっていないのだったかな。根っからの反大友の闘士だ。その活力の源は父を殺された恨みなのかな、やはり。」

入田

「秋月殿が大友家との戦いで失ったのは父親を皮切りに兄、叔父二人、甥、妹婿…彼も恨み骨髄だろう。しかし彼は戦上手だ。かつて休松の戦いでは、大友家の重鎮を打ち破っている。この令名こそ、引き続き彼を支えているのだろう。そして努力が実り、今や筑前豊前筑後三国に跨る大身だ。彼ひとりで戸次殿を両筑に封じ込めている、という見方も可能だろう。それだけの軍勢を彼は従える事ができる。加えて中々の美丈夫だから、彼に心酔して従う兵も多い。」

志賀

「はは、美丈夫ってほんとかね、それも初めて聞いたよ。そう言えば、耳川の大敗以後、秋月殿は御子息を、今は亡き高橋鑑種殿の養子にしていたな。結果を見れば豊前小倉の高橋隊を秋月家に吸収する事に成功したのか。はてさて、大友家にとって手ごわいのも当然。あの鑑種殿も、それはしぶとい相手だった。」

入田

「秋月殿の血縁を問うならば、彼が田原常陸介の娘婿でもある事を忘れることはできない。親貫が破滅した後、その配下にいた武士の何人かは大友家に降伏するより秋月の保護下に奔っている。外交も巧みだ。田原家が敗北した後は龍造寺家と繋がり、沖田畷で龍造寺家が島津家に大敗した後は、島津家と盟約を結んだ。さらに、当主を失って心神喪失にある龍造寺家を、島津家に対して取り成すおまけつきだ。」

志賀

「話が大分逸れたが、あんたの言いたいことがわかってきた。つまり、我々が旗色を変化させるに際して、豊前筑前方面の安全は間違いない、と確信しているわけだね。」

入田

「その通り。以上の事情により、もう大友家は失った影響力を回復する事はできないだろう。田原家を形ばかりで相続した未熟な親家殿では、もう安岐城では謀反が起こらない以上の役には立つまい。北の守りは崩壊している。」

志賀

「しかし、田原親賢殿はまだご健在だよ。」

入田

「あの御仁は、孤立を深める大殿と、大殿の孤立に無関心な御隠居の間が破綻しないよう調整するだけで手一杯だろう。ある意味で、豊後の内からの瓦解を孤軍して防いでいると言える。全ての悪評は彼に集中するだろうし、損な役回りだな。」

志賀

「だがそれも、耳川の大敗の責任者なのだから、甘んじて受けるべきだろう。」

入田

「真の意味では、あの敗北最大の責任者は御隠居なのだがね。今の大友家は、御隠居が一切の責任をとらなくてよい確固たる体制が確立されている。不健全極まりないが、御隠居とは名ばかりのあのお方を、真の御隠居にする事は誰にもできなかった。本来、老中衆が大殿を補佐して、御隠居押し込めを実現するのが理想なのだろうが、戸次殿の書簡が全てを封じ込めてしまった。」

志賀

「おや、しかしそれでは鑑連殿は平和の回復者なのではないかね。主君押し込めだって、下手を打てば内乱だ。先代の代替わりの時は、あんたの父親も含めて数多の血が流されたではないか。書簡一つでそれを防ぎ得たとは、やはり凄いお方だよ。」

入田

「そうかもな。だが、家督を返上せよ、と名指しされてしまった大殿の武士としての経歴はもう終わりだ。一家老風情にそんな事をされて、罰する事もできないのだぞ。」

志賀

「まあ、それは確かに。」

入田

「そして結果的には、御隠居が玉虫色の解決で済ませてしまった。名ばかりとは言え大殿がいる限り、戸次殿とて、大友家中に居場所はあるまい。戸次殿の書簡で、確かに血は流れなかった。だが、大友家の分裂は決定的となった。深い怪我はそれを治療するべき時期に断行できなければ、漸次悪化して腐り始めていく。この状況、もはや後戻りはできまい。」

志賀

「あんたがしきりに諸城の間を動き回って、傷を悪化させるだろうしな。」

入田

「そしてそれを止める者もいない…」

志賀

「当然だとも。」

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