豊後国 謀議 天正十三年(1585年)

仇討の章 第1話 入田

天正十三年(1585年)、八月、豊後国菅迫城内にて。

入田義実 大友家家臣 緩木城城主 五十代

志賀親度 大友家家臣 菅迫城城主 五十代


 薩摩勢の大攻勢が予想される大友家。大勢覆し難く、風雲急を告げる前にどのように身を処するべきが適当か、諸将は額を寄せ合う。



入田

「それでは以上の段取りで行動を共にすることになる。よろしいかな。」

志賀

「承知した。」

入田

「今も家中に不安が渦巻き、混乱収拾と安全の確保が期待できない以上、もはや、所領を守るには他に方法はあるまい。志賀殿よ、無論、我が入田氏の旧領を取り戻す方法も他にはないようだからこそ、この話を持ってきた訳なのだがね。」

志賀

「近年南郡衆の者どもから相談を受ける事が多くてね。薩摩勢の活動はかくも活発なのに、大友家の兵が肥後、日向に打って出る事が余りにも少なく、土地を守り切れるのか、とね。あんたが動かずとも、きっと誰かが動き始めるに違いないのだ。それならば主導権を誰がいつ握るか、という所が後々の為にも肝要になる。あんたが協同者として私を指名してくれたのだから、感謝しているよ。」

入田

「南郡衆のご歴々を説得する適格者は、長年彼らの代表だったあんた以外にはいない。言いにくいのだが、親次殿は南郡衆の受けがあまり良くないようだから。」

志賀

「そうだろうとも。」

入田

「加えて正直に話すと、志賀家と我が入田家は共に名門でありながら、諍いや過去の恨みが無い。共に動くにはまさにうってつけというわけさ。」

志賀

「今回の打ち合わせでは、あんたの口からその、それだ、過去の恨みという言葉を良く耳にする。あんたの恨みはかくも大きな物だったのだなあ。」

入田

「志賀家は不思議な家だと思うよ。あまり主家から嫌われていないではないか。無論、我らとも、かつての田原家とも違うようだ。であれば恨みは少なかろうとも。」

志賀

「おいおい、あんた、私が大殿に隠居を強制されたことを良く知っていてそう言う事を言うのかね。恨み骨髄さ。」

入田

「あんたの後を継いだのは血を分けた息子だろう。なら特に恨むような事でもないと思っていたがね。宗家のご愛顧引き続き、というわけだ。」

志賀

「そうでもないのだよ。なんにせよ私は今回、あんたの作戦に従って、島津家に快く従おう。心配は無用だ。」

入田

「誠にありがたい。志賀殿の御確約、新納殿に対する私の面目も立つというもの。島津家との折衝は彼が万事取り計らってくれているから、あんたにも心配は無用と改めて言っておく。彼は信頼の置ける人物だ。しかし、どういう訳かな、あんたなにやらすっきりしない顔もちだ。もしや新納殿に御不審でもあるのかな。」

志賀

「いいや、計略に不審な点があるわけではない。それどころか勝利は揺るぎないと思うよ。斡旋の労苦を受け持つあんたも大したもんだ、とね。ただ、来るべき戦役に恨みを全力でぶつける事ができるだろうあんたが羨ましいだけなのだ。無論、私も骨髄に達した恨みがあるから主家に逆らうのだが、あんたと違って神妙にならざるを得ないのだ。」

入田

「志賀殿よ、それなら私に話をしてみてはどうかね。話せば胸のつかえが落ち、楽になるかもしれない。それに思い切って事を運ぶためにも、気分は良いにこしたことはない。」

志賀

「だが、私のそれはあんたが持つ恨みに比べればいささか矮小なものなのさ。」

入田

「そうかね。しかし我ら武士どもはみな、心清く生まれたのち、疲れ果て心身に傷を負う事により恨みを発する。それはことの大小ではないのではなかろうか。」

志賀

「そうかもしれんね。」

入田

「よし、では私は入田一族が持つ恨みの全てをあんたに話そう。しかるのち、あんたは志賀一族が持つ恨みを打ち明けたまえ。」

志賀

「そうねえ、いやちょっとまて、なにやら一連のこれは切支丹伴天連どもの儀式に似ているようではないか。この流れ、私は好きではないな。」

入田

「いや、全く似ていないよ。互いに胸中の苦労を相談しあうなんて事、はるか昔から誰もがやっていたことだ。いいかね、では話すぞ。よく聞いてくれよ。我が入田一族の持つ恨みは、無論、三十年以上前に不名誉と偽りの中で殺された我が父親誠への憐憫による。これが全てといってよいが、以後、土地を奪われて貧困の中に各地を放浪したこと、追放者として扱われ惨めさを味わい尽くしたこと、妹を救えずあれは離縁されてしまい兄としての面目を失ったこと、そして今だにかつての旧領を回復できていないこと、などだ。三十年に渡る亡命生活は、私の心に復讐心をしっかりと根付かせてくれたものだ。この始末つけねば、我が一族の魂はまったく報われないのだ。」

志賀

「なるほどな、それでは当時の権力闘争の相手先である今の御隠居が最も憎い相手なのだな。」

入田

「無論だとも。そしてあの時、先々代の御当主義鑑様の襲撃者、父親誠の殺害に多かれ少なかれ加担した連中皆が復讐の対象である。」

志賀

「いやあ志賀家が対象外で良かった。しかし、我々とて御隠居のご厚意を受けていたのだがな。その点は良いのかい。私の親父はあの遺言書めかした遺言書に連署していたはずだから、何らかの関連はあったかもしれんがね。」

入田

「道輝殿は我が父親誠の殺害にはまるで関わっていないし、義鑑様の襲撃にももちろんそうだ。そして御隠居の家督継承に協力したことそれ自体は、全く罪ではないと私は思う。事が起こったあと、既成事実というやつを突きつけられれば、誰にとっても如何ともしがたいものだし。」

志賀

「となると、御隠居以外であんたの復讐名簿に名を連ねているのは、吉岡長増殿、小原遠州殿、戸次鑑連殿、佐伯惟教殿の四名か。ああ、今や生き残っているのは戸次殿だけだな。」

入田

「そうとも。よくぞ申してくれた。全くその通りさ。」

志賀

「戸次殿だって御隠居に匹敵する、あるいはそれ以上の大人物だ。最強の相手ではないか。そうやすやすと身辺に近づけるわけでもあるまい。」

入田

「この期に及んで、復讐のために暗殺する、なんて愚行はしないとも。復讐は自分の手を汚さずに、他人の手でやってもらうがよかろうし。」

志賀

「ははあ、それが今となっては島津家というわけなのか。良く分かったよ。ところで、耳川の大敗にあんたはなにがしかの形で加担していたのかね。」

入田

「残念ながら何も。もし加担できていれば、それ以上に我が一族の名誉に適う事は無く、良い復讐譚として世に残ったかもしれない。」

志賀

「だが、それほどに復讐の一念に燃えるあんたの大友家復帰を許すとは、御隠居も人を見る目が無いという事か。」

入田

「私の復帰が許されたのはなぜか、じっくり考えてみたが、戸次一族への牽制だろうと思うよ。戸次鑑連殿はいまや大殿や御隠居の指示では動くまい。彼が南郡の戸次家の者どもを扇動するのが、特に大殿は不安なはずだ。御隠居だってかつてあれほど辱めた入田家を、三十年も経過しているからとつい承知したのに違いあるまい。極めて後ろ向きな動機で、我々は帰って来たのだ。」

志賀

「だがね、帰ってきた男よ。あんたを南郡に戻せば騒動が起こる事は目に見えていたはずだ。津賀牟礼城は相変わらず戸次家の物で、あんたも面白くなかろう。実際、騒動が起こり、最近和解をしたらしいが、入田家を復帰させる段取りも、随分と思い切りが悪いものだったなあ。」

入田

「思い切りの良い決定を下せるのならば、大友家が今の苦境にある事はあるまい。人間落ち目の時は、何をやっても駄目なのだろう。まあ、我が一族の事は今話した通りだ。次は志賀殿の番だ。話したまえ。」

志賀

「わかった、打ち明けるとしよう。私はあんたと違って御隠居にこそ他意は無い、つもりだ。だが、大殿に蛇蝎の如く毛嫌いされてしまっていてね。家督も無理やり息子に譲らされ、出世の見込みもない。」

入田

「有名な話だ。」

志賀

「この現状の打開の必要に加え、切支丹宗門に入れあげている愚かな息子の件だ。なんとしても目を覚まさせてやらねばならないが、あいつは今や志賀家の惣領となっているからな。正しい道へ帰すのは父親の務めということだが、そのためにも実力を行使するしか道はないのかもしれない。とまあ、我が家がこんなことになってしまったのも、残念ながら御隠居のお振舞のせいだとは思っている。ご自身に阿る怪しげな宗派を特別扱いするから、それを利用して気に入られようとする連中が、それぞれの一門内で角突合せ、不幸を味わうことになるのだ。」

入田

「私は思うのだが、切支丹宗門による混乱で御家が滅びるのではないか、という昔から市井に流れる噂だよ、これは紛れもなく真実味を帯びてきている。あんたも同感のようだがね。」

志賀

「同感という以上に、我が家の父母と子の関係は崩壊してしまった。全く憂鬱だよ。だが耳川の大敗後も、息子の魂が、我らの先祖の下へ帰ってこない事が最も理解できない。宗家は息子を重用するが、その息子が我が一門の伝統を捨てるという現実。希望が見いだせない。」

入田

「切支丹宗門では、身に降りかかる不幸や苦労も大臼が与えた試練だというからな。親次殿は差し当たって修行中のつもりなのかもしれないなあ。」

志賀

「全く度し難い。救えぬ馬鹿め。志賀家の面汚しだ。我らの継承してきた権威をないがしろにしおって。それでどうやって生きていけると言うのか。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る