人事の章 第2話 鑑速

惟教

「さて、文書をしたためるとして、どのような内容が良いでしょうか。私は戦場の振る舞いなら存じておりますが、文書の形式や作法の知識を欠くのでご指導頂けるとありがたいのですが。」

鑑速

「復帰を乞う内容であれば、簡潔なものより多少冗長でも誠意を尽くした文章がよろしいでしょう。この場合の書状は、まず大殿の目に入り、それから下々への諮問とされると想定されることから、大殿の慈悲に訴える内容であれば裁量は受け手次第ということで大いに面目を施すことができます。さて、そこで文の校正にあたり、惟教殿にお願い事があるのです。」

惟教

「なんなりと。」

鑑速

「文書は大殿個人への私信という形にして、他国から見た大友家の今を正面きって記して頂きたいのです。それこそ遠慮なしに。」

惟教

「大殿へそのような文書を送る事にどのような意味があるのか、私には良く分かりません。」

鑑速

「では、この伊予に住まう貴殿の目からは、今の大友家がどのように見えているか、それを教えてください。」

惟教

「そうですね。大友家の現況をこの伊予から見た場合、誰もが毛利との争いについて注目せねばなりますまい。なにせ、この伊予の動乱も、結局は大友と毛利の代理戦争と言えるからです。戦も長引き、伊予勢は争いの余波に巻き込まれまいとする人、これを機会と領地を得ようとする者様々ですが、どちらにせよ、現在は大友側が不利です。なぜなら、毛利との戦は、常に毛利勢が先手を得ているように万人に見えるためです。毛利側が伊予の守護たる河野殿を擁している事もその要因でしょうが、あるいはここ黒瀬城はどちらかと言えば毛利方で、厳島での大勝利が元就殿へ与えた神々しいまでに輝く武名武威が未だに眩い為、そんな知らせばかり届くのかもしれません。一方で、丹生島城におられる大殿には元就殿のように鮮烈な印象は無く、むしろ昏い印象すらあります。戦場の人ではないと言ってしまえばそれまでですが、家督相続時の紛争、立て続く家臣の謀反がそのような印象を与えているはずです。権勢のほぼ全てを自ら構築してきた叩き上げの元就殿には勢いがあるため、政治や軍事の失敗が許容され得るのかもしれませんが、名門の継承者である大殿はそれこそ慎重な領国経営、戦争指揮が求められているはずです。」

鑑速

「紛れもなく、大殿は大友軍の総帥であらせられますが、これは全ての権限を持っていることは意味しても、同時にそれを全て駆使できるわけではありません。そもそも豊後は山深い国で中央の指示が隅々までいきわたるという事が困難です。それはすなわち内治のため、総帥たる大殿が丹生島城から離れ前線に出る事が危険を伴うという事でもあります。まして、大殿は名門中の名門大友氏の棟梁です。そもそもが前線に出て戦う経験に不足しており、戦術面ではともかく、戦略を合理的に遂行するためには、これは不適格と言えるでしょう。言い換えればこれは、交渉による落としどころを見つけるのが不得手ということ。豊前門司を巡る毛利との争いがこれほどまでに長引いているのはその証拠です。確かに毛利軍が強兵かつ名将揃いなのは事実。ですが、それは我が大友も同じことで、そのためお互い手詰まりになる事も多い。この戦はつまるところ大内氏が遺した遺産の相続争いと言ってもよく、筑前諸将の裏切りが相次いでいるのも、いい加減この戦争に飽いて終結を願う者が多いためだと考えられます。門司を確保して毛利と和平を締結する決定的な材料は吉岡殿が秘して温めています。が、これは武士の道に背く手法でもあり、実行する機会には注意を要します。前線の武将たちはこのような手段をとることを良しとしないでしょう。そして前線の事は前線に任せたがる大殿の考えを、戸次殿と同じく前線の人であった惟教殿の文章をもって改めるよう説得したいのです。結果、全ての権限を大殿が駆使できるようになれば、九州にて最も優れた権力と権威を持つに至り、その領国は繁栄を維持することができるでしょう。」

惟教

「つまり私信によって、現在筑前筑後の軍権を掌握している戸次殿を批判せよ、という事ですか。」

鑑速

「戸次殿は軍神と誉めそやされる実績実力人望すべてお持ちの方です。ですが大友家の現状にあって、外交に権限を持たない戸次殿がいくら勝利を積み重ねても、毛利との戦争の決着ははるか彼方。大友家にあって、軍事と外交を統括するべき人物は大殿以外にはおりませんが、大殿と戸次殿の方針は必ずしも合致しないのです。毛利軍相手に百戦して百勝するのが不可能な以上、筑前筑後豊前は常に謀反の危険性があります。ですが門司を抑えた上で毛利との和平が為れば、大友領はさらに盤石かつ強大なものとなり得るでしょう。ようやく行政に注力できるこの路線は、吉岡殿や私の考える方針です。この方針について大殿もご承知ですが、戸次殿にご遠慮あそばされているというわけです。」

惟教

「その方針についてですが、門司を抑えるということは豊前筑前方面から毛利軍を追い払うという事でしょう。果たして可能でしょうか。毛利は旧大内領分割の約束も平気で反故にできる手ごわい相手です。また、秋月、筑紫勢が幾度も反逆するのは、毛利の後援が期待できるためです。将軍家を挟み両家が交わしたあの三年前の和睦の条件、確か婚儀についてと聞き及んでおりますが、果たされたとは未だ聞こえておりません。先方は騙す相手には決して不足しないという困った人物。大殿とは役者が違うというところ。無論、戸次殿よりもはるか格上でしょう。御二方ともそんなことは承知しているでしょうから、身に掛る批判には強く抵抗され、むしろむきになってしまうのでは。まあ、私などの意見など嘲弄されるでしょうが。」

鑑速

「いいえ。先ほど申し上げた通り、大殿と戸次殿は必ずしも全面一致をしているわけではありません。他方からであっても、あくまで大殿にとって都合のよい客観的な意見であれば、きっとそれを利用なさるはずです。その意見を述べ得る適任者は、惟教殿、貴殿を置いておりません。」

惟教

「ただ、大殿は戸次殿に対しては随分ご遠慮があるように思えます。物事はより複雑で、戸次殿を批判すれば、余計なことをしてくれるな、というご気分になるかもしれません。」

鑑速

「公の書状であればそうでしょうが、今回はそうならないためにも、私信という形が最良だと考えられます。そして戸次殿は臼杵から遠く離れた筑前におられます。吉岡殿の策が多少強引に実行されても、戸次殿にその妨害は困難です。」

惟教

「私が考える大殿の戸次殿への遠慮とはその程度の類の物ではなく、大殿が現在の地位を占めるに至るまで大きな困難があったはずですが、それを打破する為に戸次殿と命運を共になされているはず、ということです。御両者の結束は部外者には知れようもないほど固いはず。そんな大殿が戸次殿をある一方で貶める策をお認めになるでしょうか。私が見るに、それをご承知でいるからこそ、あなた様方老中衆とてそこまでの直言は為されていないのでは。」

鑑速

「惟教殿、吉岡殿とて戸次殿と同じだけ大殿に対して責任を負っている、ということもお忘れなく。」

惟教

「なるほど、それはあなた様も同じということなのですね。」

鑑速

「私はその責任を果たすために、この地に参上しました。正直に申せば、あの大殿に戸次殿の如く近づいた者は数えるほどしかおりません。容易に他人の接近を許さぬお人ですから、その許しなく大殿の御側に侍り、意を誤解した者はこれまでみな遠ざけられてきたことはあなたもご存じのとおりです。その大殿が、今回一度は無残に扱ったあなたに心を寄せようとしている。伊予におけるこの年月を見て惟教殿にその資格あり、とご判断されたからでしょう。」

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