伊予国 調略 永禄十年(1567年)

人事の章 第1話 佐伯

永禄十年(1567年)春、伊予国西園寺領黒瀬城城下にて。

佐伯惟教 元大友家家臣 伊予西園寺領に亡命中 四十代前後

臼杵鑑速 大友家老中 四十代半ば


大友家中で外政を司る臼杵鑑速が、伊予に亡命中の同僚佐伯惟教を訪問する。そして、今一度大友家に仕えるよう情勢に通じた理を説いて勧誘する。一方、説かれる惟教も、大友家に対する情熱を捨ててはいない。


鑑速

「永禄五年(1562年)にお会いして以来。お久しぶりです。ご健勝でなにより。」

惟教

「あなた様は義鎮殿のために、西へ東へ使者として存分のお働き、ご苦労な事です。近年この伊予では騒乱が続き、介入の機会を虎視と狙う者に溢れています。戦役は継続中というのに、堂々と敵中にあなたを派遣した豊後の大殿もその一人。相変わらずのご様子ですな。片や黒瀬殿はどちらかと言えば今や獲物の側、はてさて、臼杵殿は当方の元へは何の御用で参られたのですかな。」

鑑速

「単刀直入に申します。惟教殿、貴殿に大友家へ復帰して頂きたく、そのお願いに参りました。」

惟教

「なんですって、御冗談ではなく?」

鑑速

「はい、臼杵の大殿の御意思によりその御意をお伝えするべく、私は参上しました。」

惟教

「これは驚きました。なにせ全く予想だにしていなかったので、本当に。一条殿ご提示の条件を、黒瀬殿へお伝えにいらしたのだと伺っておりましたし、この時期、それ以外には考えられないご歴訪だとばかり。」

鑑速

「無論それもありますが、今回、大殿の命で伊予に赴いたのは、惟教殿、あなたと面会するのが主たる目的です。腹蔵無く申し上げると、今の大友家は毛利家との筑前豊前を巡る戦いを有利に進めるために、優れた武者を必要としています。あなたが率いる佐伯氏の復帰は大殿も強く期待されている所です。いかがでしょう、過去のいきさつはそれとして、大友家に復帰をしてはみませんか。」

惟教

「鑑速殿、今更そのような事が承知できるとお考えですか。かつて私は一方的かつ強制的に大友氏を追放された身です。佐伯一族の名誉は、十年前に損なわれたまま。今は黒瀬殿のご厚意で、我らこの伊予にてなんとか命脈を保っているに過ぎないのです。」 

鑑速

「私見を申せば、十年前のあなたと佐伯氏への処置は正しくないものであったと考えます。今となっては家中の者ども多くがそのように考えているでしょう。ですがあの時は、あなたも良くご存じの通り、大殿に対する謀反が頻発していた時期です。豊後国主として、大殿には他に選択肢がなかったのも事実。つまり怪しげな風聞が伝われば先手を打って対処をするのが治安を維持する上で最良の手段であったという事です。大殿が背負っていたこの事実にもどうぞ思いを致して頂きたい。そして、少なくとも佐伯殿に対しては、あのような事はもう起きないともお考えください。」

惟教

「果たしてそうでしょうか。この伊予にも、大友領内では高橋殿、立花殿を中心に秋月、原田、筑紫と謀反ばかりが相続いていると伝わってきております。仮に私が復帰をしたとして、同様の羽目に陥らぬとは言えないでしょう。」

鑑速

「その点は心配ご無用です。現在起きている謀反騒ぎは、毛利の調略が激しい筑前、豊前に限定されています。これらの国々に所領や所縁を持たない惟教殿に毛利の誘いはありますまい。我々、この点については確信をもっております。」

惟教

「高橋殿は大殿の御舎弟ご自害の件で、大殿に恨みを抱いていたかもしれません。毛利の調略とは別にそれが謀反という形になったのだとしたら、我が佐伯の者も、似たような結果を招くかもしれませんぞ。そもそもが堪え難き恨みを抱いていれば。」

鑑速

「しかし、寄る辺なく反逆を企てる者はおりません。もはや豊後国内であなたを反逆に誘い得る者は皆無。かつて謀反を起こした小原殿に加担した豊後の連中はみな力を失いました。ただ、彼らがあまりに逼塞しているのではそれも軍事の観点から問題で、佐伯殿に彼らの精神的よりどころとしてお働き頂く事について、大殿は特に期待しておられます。これはすなわち、究極的には佐伯氏の旧領は全て返還されるということ及びあなたを老中の一員として遇するということでもあります。この条件、いかがでしょうか。よもや不足があるとは思えませんが。」

惟教

「私を老中の一員に、とは驚きの条件です。佐伯氏の者では先例がない。」

鑑速

「さらに、大友氏の力はかつてなく強大で、その中での老中職です。天下にも大いに面目施す事できるでしょう。堪え難き恨みも、過去のかなたへ押しやる事、条件次第と言えるのではないでしょうか。」

惟教

「それはあまりに人が好過ぎるのではありませんか。それで力を蓄えた私が謀反を起こすかもしれない、と風聞が流れるのは必至ではないでしょうか。」

鑑速

「十年前、無罪であった貴殿のこと。実際、謀反など考えてもおられないでしょう。この点は大殿及び老中一同にあって揺るぎ無く共通している考えです。」

惟教

「なるほど、その点、疑義無き事はなによりです。鑑速殿の口からその言葉を頂いたのであれば、確かに間違いない事なのでしょう。ですが他方の心配があります。今から七年も前になりますが、私は伊予に進出した大友方に対峙する西園寺方に協力しておりましたが、時の寄せ手の大将は高橋殿でした。今は謀反を疑われ大友家中から離れているとはいえ、残されたご親族一万田氏の人々は私の復帰を快く思わないかもしれない。一万田氏に限らず、大友家中が最も大変であったその時に、大友方にいないばかりか敵に加担することもあった私を彼らは許せるでしょうか。そういった反対あるやもしれません。これについてどうお考えですか。」

鑑速

「まず、当初大殿より諮問を頂戴した吉岡、吉弘、私の三名は賛成。無論、田原親賢殿も同じです。筑前の戸次殿、肥後の志賀殿も恐らく賛成されるはずです。他の重臣について、一万田殿は、叔父の高橋殿が今の有様ですし、人格優れた方ですから、恨み言等言わないでしょう。朽網殿も、噂の是非は別として、兄の入田殿の敗亡について、もはや水に流しているはずです。石宗殿も心中どうお考えかはわかりませんが、賛意を示されました。」

惟教

「ははは、角隈殿は心から反対しているに違いないが、あの方は実に聡い戦略家だ。老中衆の空気を読んで同調するつもりになったのでしょう。肥後隈本攻めの時にくだらぬことから起こした諍い、ずっと尾を引いていましたよ。私が追放された時、その計略に賛成していたはずですからな。あの時の実に見事な手腕、角隈殿が無関係であるはずがない。しかし、彼の時のお人が賛成されているのならば、我が身もしばらくは安泰なのでしょう。」

鑑速

「角隈殿を大分お疑いですな。しかし、あの方の心は確かに奥深くも、故無く他者を貶める性質ではありますまい。そこが、家中の尊敬弛まぬ所以でしょうから。」

惟教

「では、田原常陸殿、田北殿はいかがか。また実際のところ、角隈殿と親しい戸次殿、この方はどうお考えでしょうか。気になるところです。」

鑑速

「臼杵の大殿が本件について、特に現在も戦陣在中の御三方へ重ねて諮問する事はないでしょうが、結果として大友軍の強化にこそなるのですから、戸次殿も反対はいたされますまい。」

惟教

「臼杵の大殿のご配慮にはありがたいことですが、大殿が私を、対毛利を想定して戦場で用いる場合、豊前、伊予が主たる方面になるでしょう。功績を横取りされる、と田北殿は良い顔をしないかもしれません。また伊予について言えば、私は黒瀬殿にすでに十年も世話になっているのです。果たして私に西園寺家の諸将へ刃をむける事ができるかどうか。そして戸次殿について言えば、隈本城攻めの時、私と相性が良いとは言えませんでした。角隈殿と口論になった時のことですが。」

鑑速

「これは大したご自信ですな。とはいえ、貴殿の言われる通り、豊前では田北殿存分のお働きなので、現段階では出番はないでしょう。となるとこの伊予についてです。この時点で、とりあえず戸次殿については熟慮の必要はなくなりますが、五年前、高橋殿が毛利へ寝返った折に、大殿は伊予の経営を断念しました。筑前豊前を毛利と争いながら、渡海して伊予を監督する余裕がないためです。そのため、今後伊予攻めがあるならば、恒久的な支配ではなく、毛利への牽制としての軍事活動が目標になるでしょう。その為には、伊予の国情を知り、豊後の同盟国土佐の一条殿及びこの国の敵方とも交渉が可能であり、無暗な戦を避けつつ目標を達成する事ができる人物像が求められます。現在、大友氏の戦線は拡大を続け、人材は常に不足しているのです。特に、大将を満足に務め得る武者には。」

惟教

「なるほど、ここ宇和郡のすぐ対岸に地縁を持つ確かに私は適任でしょうが、さぞや黒瀬殿に恨まれることになりそうだ。道具は徹底的に使い倒す、大殿の、というよりあなたがた老中衆の酷薄ぶりは相変わらずですな。」

鑑速

「思うところは尽きないとは思います。ですがどうぞ前向きにお考えになり、戦略の冴えとして飲み込んで頂きたいところです。大殿とて、京とも密接な西園寺家に酷な仕打ちを為せば将軍家から恨み言ある事ご承知です。現在も、わざわざ京の御所へ手間と資金を費やしているのですから、惨めな結末は避ける事ができるはずです。ご安心ください。むしろ、佐伯殿以外の者がこの事業を務めることになれば、黒瀬殿の未来は闇に沈む事必定ですぞ。大友が西園寺を攻め勝って和睦をするとして、貴殿の他いったい誰が事を穏便に収める事ができましょうか。そして黒瀬殿を大友方とすることができなければ、惟教殿、大友氏におけるあなたの将来もまた同様です。よろしいか、これは唯一の好機なのですよ。」

惟教

「大恩ある黒瀬殿のためにこそ、当の恩人に刃をむけなければならない、ということか。誠、あなた様方は相変わらずですな。ですが、鑑速殿、このお話、ありがたく戴かなくては臼杵の大殿にも礼を失することになりますな。」

鑑速

「惟教殿が豊後へ復帰するにあたり、その他ご不信なる事はありますか。」

惟教

「私の無実が認められた。旧領も返還される。あまつさえ老中に任命するという。前例のない大変な厚遇の代わりに恩人に刃を向けるべしという事ですが、我が家人どもは罠の可能性を考えるべきである、と必ず言う事でしょう。」

鑑速

「つまり、この際は破格の条件である事がむしろ信に置けない、ということですね。」

惟教

「鑑速殿、我が佐伯一族は四十年前にも大友宗家より罰せられた過去があります。そしてあの時、佐伯の家督であった私の大叔父を詐術によって討ち滅ぼしたのは、思えば貴方のお父上だ。今また、臼杵殿が同じように振る舞っている、と必ず考える者は必ずいるでしょう。歴史は繰り返すのだと。」

鑑速

「それでは誰か別の人物を表立った使者として立てましょうか。吉弘殿かあるいは志賀民部殿などはいかがでしょうか。」

惟教

「いや、こと大友の外政に関してあなた以外の人を指名する事など考えられますまい。一つにあなた以上に優れた人はおらず。さらに、要求のために人を替えよ、など言った日には、大殿の心証は大いに害されてしまう。そのようなことをすれば、それこそ我ら佐伯氏は豊後では生きていけなくなるでしょう。」

鑑速

「だが、佐伯家中の人々を納得させる必要があるのも確かです。臼杵氏の者が全面にでしゃばると、おっしゃるとおり禍根が燃え上がるかもしれません。ならば、惟教殿、貴殿から大友氏復帰を願う活動をする他ありますまい。そうすれば、汐が変わったのだと、家中の反感を買う事はないと思いますが。繰り返しますが、これは好機なのです。」

惟教

「そう、その通りです。私が大殿に文書を送り、大殿の指示に従って大殿が指名する人物に会い、段階を踏んでいくしかない。このやり方ならば、なにより大殿の面目もたつでしょう。私が小さな屈辱に耐えれば良いだけのことです。」

鑑速

「貴殿にはご苦労をおかけする。まずは大殿に代わり私が御礼を申し上げる。」

惟教

「とんでもない。今回の話を持ち込んでくれた鑑速殿への感謝は尽きないところ。そして旧領も安堵されるのであれば、必定惜しむことはなし。黒瀬殿については、私が誠意の限りを尽くすしかありますまい。今日まで先祖の因果から、我が佐伯氏は臼杵氏とは疎遠であったが、以後は親しくして参りたいものです。佐伯と臼杵は近いのだし、間柄が深まれば、大殿の為にも良い事がいくらも為せるでしょう。大殿へのお取り計らい、よろしくお願い申し上げる。」

鑑速

「お任せください。必ずや上手くいくことでしょう。」

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