楠林の章 第2話 寂心

義武

「肥後国は戦に破れて他国の支配下になってしまった。それでも、この国の様相は容易には変わらないだろう。理由は三つ。一つ、隈本城を中心とした国に変えようとした私が排斥されたこと。一つ、この国の事実上の支配者である土豪らは、そうされては困るから私の他にそのような人物が現れたとて全力で反対するだろうこと、一つ、形式上の支配者である大友にとって、そうする理由がないこと。」

寂心

「最後のそうする理由がないとはいかなる意味でしょうか。」

義武

「豊後勢が肥後を支配しつづける以上、豊後の武士にも肥後領内の所領を宛がわなければならないが、それには適当な土地が足りない。だが強行すれば反抗を招くから、ある程度弱者が強者の餌食となる自由は与えなければならないということだ。兄義鑑もそれが分かっているから、この肥後に自ら足を運ばないのだ。」

寂心

「では強者とはさしずめ、隈部、赤星、城、阿蘇、名和、相良の諸勢力のことになりましょうか。ですがいずれも、大友氏に良く従っている勢力です。何かを変える理由などありえようはずもないでしょう。」

義武

「それは親員殿よ、あなたの努力によるものだろう。全てあなたの功績と言ってよい。現在、鹿子木一族に隈本が与えられている理由も、大友氏のために調整役に徹して最高の仕事を成し遂げた、つまり私にとっては致命的な裏切りをしでかした、あなたのその功績にあると言っても過言ではない。前の城主は何を隠そうこの私だったのだからね。それでも、礼を失するのは承知でこんなことを言うのだが、親員殿。あなたがいなくなれば、恐らく鹿子木一族は隈本城を維持できないだろう。さっきあなたが名を挙げた連中がきっと隈本を奪い取るために権謀術策をめぐらせる。豊後府内にも中傷めいた流言が届き、最後に未熟なあなたの子孫は血祭りにあげられるのだ。」

寂心

「なるほど、そのように、我が孫を説得されたのですね。効果てきめんであったでしょう。」

義武

「まさしく。だが豊後の義鑑より隈本城を預かる身なのに、とは思わないことだ。私に対する忠誠心も彼は残してくれている。そしてそれは私が菊池氏の家督であるからこそのものだ。そのような心情を持つ者は、この肥後に数多いるだろう。私がこのようにあなたと会う事もできるのも、そのおかげであることは間違いない。」

寂心

「そこまでお考えならば、豊後との戦いに彼らを引っ張り出すことがいかに無益かということにも思いをいたして頂きたいものです。豊後の守護職とは、その持つ実力が肥後の守護職とまるで異なっています。あの大友親治様の時代、つまり五十年も前に大友氏は国外からの干渉を受けながら国内の乱れを抑えきって勝鬨を挙げたのです。対して肥後は、国内の乱れから常に国外の勢力の干渉を招き、能運、政隆、惟長、武包、そして義武様と五代に渡って君主を破滅に誘っております。義武様は自分だけはそうはならないとお考えでしょうが、どうしてそう言い切れましょうか。恐れながら、ついに肥後を掌握した義鑑様も、ただのお人ではございません。家臣、一門の裏切りに晒され続ける緊張の中、領国の拡大に成功しております。一方、あなた様は如何か。最も身近にいた家臣、つまり私のことですが、その裏切りにすら対処できなかったではありませんか。いい加減、身の程をわきまえられよ。」

義武

「なんと、常に冷静なあなたの言葉とも思えない。以後どこかで隈本城が豊後に逆らったとすれば、それはあなたへの私の復讐が為った事にもなる。だがそのような事をするのは私の本意ではない。あなたは私を裏切ったが、それでもあなたへは返しきれないほどの恩がある、と私は思っている。だからお願いするのだ。あなたの子孫とともに、事ある時は私に従うのだ。」

寂心

「もしもそうなれば我が鹿子木一族も滅びるでしょうが、武時公の武勲以来名族の誉れあまりに高い菊池氏もついに名実ともに滅び去ることになります。それは大友氏にとって良き事となり、また名族最後の家督の者として、あなた様の不名誉は永遠に記憶される事でしょう。」

義武

「それがあなたの返答ということか。」

寂心「さらにあなた様について申せば、菊池氏に他国から養子にきた分際でこの国に思いを懸け大望を抱いたのがそもそもの誤りだったのです。勝手な願いは肥後の国衆にとっても迷惑でしかありません。本来のあなたの役割は、義鑑様の手となり足となりお働きになることであって、つまらぬ見栄を張り、勝手なお考えで肥後の民の代弁者を気取ることではなかったはずだ。さて、先ほどの御望みについて申せば、私はすでにあなた様を売った者です。主君を二度裏切ることはいたしかねます。」

義武

「では教えてやる。あなたの後継者は私に同心しているがそれだけでなく、あなたの同僚であった田嶋も、八代の相良殿も同様についてくるだろう。これも豊後のありがたい統治のおかげだが、それなのに私に同心しないのは、あなただけだ。それはなぜか。今の言葉通り、私を侮っているのか。無理も無い事だが、私は私を慕う者どもを見捨てておくことなどできない。」

寂心

「なんという思い違いを。彼らとて、かつての主君たるあなた様を前にすれば、良い顔の一つをしたがるものでしょう。それも哀れみから。誰が進んで今の安定をかなぐり捨てて、収穫の少なそうな賭けに打って出たがるものでしょうか。誠に彼らの事を思うのならば、もう関わり合いを持たないであげていただきたい。そして義武様については、他国にお仕えするのが最も安全なる道です。例えば、薩摩や日向、または周防などにお仕えするのはいかがえしょう。あなた様に対して、粗略な扱いは決してしないと思います。安全かつ平穏無事に余生を過ごせることでしょう。」

義武

「そして、かつての大聖院宗心のように誰からも忘れ去られるのか。そんなことを私は求めてはいない。今日あなたはかつてないほど私に本心を見せてくれた。だから私も同じように振る舞わねばなるまい。聞いてくれ。私が努めて求めているのは、この身の正しい置き場を確保してやることなのだ。今となっては、私が生きて他国に居るだけで、豊後の者は迷惑するに違いない。担ぎだして騒乱をおこしてやろうという連中はいつもどこかにいるのだから。自分の命だ、そんな連中に利用されるより、賭けに出た方がマシだろう。私が生きている以上、ただそれだけが原因で謀反は起こり得るし、それを材料に一旗あげようという者にも事欠かないのだ。九州諸国を長らくさすらって、それは良く理解できている。だからこそ、そういった業が深い者どもの需要に応えてやることができる。それこそが私が生存している数少ない意義かもしれない。そしてそれが原因で死ぬ者もいるだろうが、その者について、私が声をかけなかったから長生きできるという保証もどこにもないのだ。」

寂心

「御本心をお聞かせくださり、ありがとうございます。それはまさしく業深き修羅の如きものでした。そして、我ら肥後の国衆とはもはやなんのかかわりも無い事でもあります。安心いたしました。あなた様の活動はきっと不首尾に終わる事がよくわかりましたから。これ以上は申し上げませんが、ぜひ他国へ亡命をなさいますよう。今となっては平穏無事へ至るが唯一の道はそれしかありません。」

義武

「わたしもわかった。あなたはどうあっても、私を支援してはくれないのだね。そして私の失敗を確信している。願っているといってもよいようだ。今の肥後を均衡に導いたのはあなただから、当然の事だとは思う。だが、忘れないでほしいのは、私に従う者はあなたが考えているよりは数多くいるという事だ。その中にはあなたの友人や、親族の者もいるのだ。それでいてどうしてあなたが正しく、私が間違っていると言えるだろう。これはすなわち、私はこのままでは終わらないだろうし、豊後の兄義鑑を好まぬ者も、私をこのままでは終わらせないだろうということだ。駒となって利用されるかもしれない。周防の大内がしたように途中で梯子を外されるかもしれない。それでも武士として生まれ、故あって名族菊池氏の家督を継承した以上は、その期待に見事応えてみせよう。私の手によって、真に菊池氏を再興するのだ。それは他国に従属しない、勝利と栄光に満ちた肥後守護の姿だ。」

寂心

「私こそ、幼き頃に御身をお預かりした義武様が真の君主であればと願っていた者です。故に本日このような結論に至り無念でございますが、今後、それがこの大友の世といかなる関わりを持つかは判断のいたしようがありません。ですが、あなた様の武運長久を祈っております。しかしご安心を。罰を受けたあなた様が惨めな姿を隠しているように、罪ある者には天の咎め必ずあるはずでしょう。恐らくこれが今生のお別れです。どうか義武様が平穏の中で御命を長らえられんことを!」



鹿子木寂心は生前四編の和歌を残している。旧主君菊池義武との関係を前提にするならば、複数に渡る解釈の余地を持ち得、諸勢力間の調整役に徹した彼が、ついに義武に背いて彼を破滅に追いやり、晩年に至りいかなる心境に至ったか、吟味する人に感慨を与える作品である。


立ちいでし旅の衣も日もくれは かへりて行かんもとのありかに

のりて行くのせて行くとも白波の 舟のうへなる夜はのつきかけ

はちすはに池のささ波よるごとに 花のくちびる動くとぞみる

おもはくも千々に流るる硯川 よどむかた瀬に月やどるらん

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