遠周縁の時宜
蓑火子
肥後国 誘略 天文十八年(1549年)
楠林の章 第1話 隈本
天文十八年(1549年)一月 鹿子木荘 硯川付近の楠林
菊池義武 菊池氏当主 四十四歳 亡命中
鹿子木寂心 隈本城隠居 親員 老年 その死の二か月前
天文十八年(1549年)一月、肥後国・鹿子木荘。今は隈本城主の後見人である鹿子木寂心入道を、かつて国主の地位を追われた菊池義武が再起の勧誘のために訪ねる。それぞれの思惑の元、議論が起こるがそれは平行線をたどる。
義武
「ここは静かで良い。冬だというのに相変わらず緑に力がある。あなたには幾度となく連れてきて頂いたものだが、久しぶりにくると昔を良く思い出すものだ。」
寂心
「立派なこの楠が周囲を睥睨しているからでしょう。土地の者も、侵さざる地としてめったに近寄りません。木の香りが虫などを寄せ付けぬため、拙僧気に入りの場所でございます。」
義武
「今となっては差し詰め、虫とは私の事だろう。いやいや、そんなため息をつかないでもらいたい。事実そう思っているのだからしょうがない。こんなところを豊後の間者に見られてはそなたの孫にとってもまずかろうと思うが、よくぞ私の呼び出しに応えてくれた。礼を言う。」
寂心
「義武様、私はすでに出家遁世したうえ隠居の身です。どの国の間者に見とがめられたとて、なにも不都合な事はありません。孫ももはや何の役にも立たない私を持て余しているようで、隈本の城内でも忘れられている始末です。城主の後見とは名ばかりです。あとはある日突然老木が倒れるように、その日を待つだけの枯れたこの身が、いったい義武様のお役に立てるものでしょうか。」
義武
「謙遜しなくてもよい。隈本を通過するものは、誰もがあなたのご機嫌を伺いに登城すると聞いている。その名声他国にまで響いているぞ。一方、私といえば、下手をうてば捕らわれて、あるいは首打たれるその日を待つだけの身だよ。このままではそうなるだろう。だから、事ある時はすぐにでも動けるようにしておきたいのだ。あなたはまだ元服したばかりの未熟だった私を良く補佐してくれた。その恩は片時もわすれた事はない。そして私も放浪生活のままでは終われない。豊後の太守・大友義長の次男として生まれた身が哀れ過ぎるのだ。」
寂心
「はい。」
義武
「今に至ってこの境遇、如何ともし難い。肥後国中を廻るにして、このように下人の装いに変装をしなければ生きてもいられないだろう。親員殿、あなたには私を憐れんでほしい。そして昔と変わらず、いまこそ私を助けてほしい。」
寂心
「繰り返しになりますが、私のような老人は何のお役にも立てません。さらに申せば、私は、十五年前に、義武様を裏切った者です。もはやあなた様のご信頼に値する者ではありません。」
義武
「そのことはとっくに水に流しているつもりだ。もし疑うのなら今、あそこの硯川に流してみようか。八幡大菩薩に誓っても良い。」
寂心
「それもよろしいでしょうが、一先ず御思案ください。義武様が隈本城をお出になられて、今年で九年目です。あれから城の者の顔ぶれも変わり、豊後からのお使者のやり方にも慣れてまいりました。大友の支配も緩やかに進み、肥後の国は平穏を取り戻しています。」
義武
「親員殿、そのような事は偽りであることを私は知っている。肥後方分の斎藤長実は、豪族間の調整に手こずっていて、裁決は遅々として進んでいない。方々で大友への不満が渦巻いているではないか。そしてこの国の民は菊池氏が守護として君臨する事を望んでいるのだ。このまま大友の支配が続くことは、肥後の民のためにはならないだろう。」
寂心
「拙僧は隠居した者ゆえ民の心情はわかりかねますがさて、大友義鑑様は、今や幕府より正式に肥後国の守護職に補任されたお方です。正統なるお方です。このまま平和が続き、紛争や戦がなければ、かつてのように田畑が焼かれ踏みにじられることも無いでしょう。民草はそれをこそ望んでいるのではないでしょうか。義武様は、この国を再び戦火の中へ投じるおつもりですか。」
義武
「そこまでは言っていない。」
寂心
「思えば肥後の国が今日この日に至ったのも、元を質せば国主たるものに徳と力が欠けていたからです。それであればそれらを備えた他国の国主に仕えた方が、肥後の民も幸せでありましょう。」
義武
「それではそのために、私は犠牲にならねばならないというのか。私は齢十五の時に故郷を離れ、この国で過ごしてきたのだ。それもすべて、父上や爺や、そして兄義鑑の願っていた事だし、命令でもあった。言ってみれば私は生まれた時から、この国と結びつけられていたのだ。考えてみれば犠牲になる事を運命づけられ、困難かつ不幸な人生が約束されていたのだが、全ては大友氏の繁栄のため、肥後国のためではないか。その中で得たものを、今更になって全てとりあげられ、命まで狙われる身となっているのだ。このような非道、天が許すはずがない。そうではないか、親員殿。」
寂心
「ここに至るあなた様の歩み、同情を禁じ得ません。しかし、義武様。あなた様は、肥後の国衆と良好な関係を維持する事に失敗されました。亡き親治様が、守護の居城を、隈府から隈本へ拠点をお移しになるようご用意されたのは、古くからかの地で生きる勢力への配慮でもあったはず。それなのにあなた様は、その隣の筑後勢と誼を通じ、肥後北部の者どもをないがしろになさいました。さらに周防の兵が豊後を攻めた時、義鑑様に敵対する行動をなさいました。あなた様がおっしゃる通りあなた様は大友のために菊池氏に養子入りしたはずなのに、その行いはまるで逆さです。大友氏の長たる義鑑様からすれば、これは万死に値する罪であった、とはお考えにはなりませんか。」
義武
「それでは、そなたはそもそも木野親則を討ったのが全て私の差し金であったとでも言うのか。木野は幼い私をあなどり、豊後への折衝を全て己の判断で為したのだ。山鹿・菊池の者どもとて、独断で事を運ぶ木野の死を願っていたではないか。だがあの老いぼれが死んだ後、彼らは不誠実にも肥後北部から邪魔者が消えたという果実だけを得た。その後の困難の中で、私を支持しなかったのだ。そもそも肥後の連中こそ、私に不服従であったのだ。それなのに私だけが全責任を負わねばならないのか。」
寂心
「それが守護たるもの、主君たるものの務めというものではありませんか。」
義武
「親員よ、この私に対してそのような事を言うか。だが、その理屈では、兄義鑑とて同様だぞ。肥後守護たる私の頭の上から勝手に安堵状を出し、国の秩序を乱したではないか。私は大友氏の総意と肥後の諸勢力の同意があったからこそ、幕府より守護職を与えられたはずだ。兄義鑑ではない、私にだ。それにも関わらず、数多の場面で無視されてきたぞ。親員よ。私こそがないがしろにされてきたのだ。その事を忘れるな。これ以上、虚仮にされてはたまらん。だが、兄義鑑を罰するものは天の他にはいないだろう。そして天を動かすにはまず人が動かねばしようがない。」
寂心
「確かにそのような事があったかもしれません。ですが、幕府の役職の前にお二人はご兄弟です。力の勝負になれば、御次男であるあなた様が不利であることは明らかでした。それなのに、最初に武を振ったのは義武様です。それも相手の危機に付け込むという卑怯な謀略によって。今は豊後も筑後も、そして肥後も落ち着きを取り戻しておりますが、あの時、豊後の民は、前面の大国周防の大内軍と対峙しながら、隣の筑後・肥後で騒動が起こり狼狽したものです。この事で大変な危機に追いこまれ、義鑑様が兄としての責務を果たせなかったという風評が流れ、家臣領民に対してどれほど恥をかいてしまったか、お考えになったことはありますか。」
義武「先ほど言ったように、それこそ天の咎めであろう。上下のしきたりをわきまえない者どもに天の咎め必ずあるはずだ。私が必ずや天の鞭として、彼らを打ち伏せてみせよう。」
寂心
「それであればまた、義武様とて、天の咎めから免れ得るものではなくなります。」
義武
「だが、そなたの支援があれば、天命を味方につける事ができるだろう。今の肥後国において、そなた以上に名声を博している人物はいないのだから。」
寂心
「高く評価して頂き誠に身に余る光栄ですが、私が天の恵みを得ているということであれば、今の私は豊後の義鑑様に従うものです。つまり、義鑑様こそ天命とともにあるという見方もあるということになってしまいます。ですが今や豊後と肥後の差は目を覆わんばかりです。あなた様のご本意に叶いますまい。」
義武
「いや、それならばなおのこと、あなたから協力の言質を得ておかねばならない。」
寂心
「一度あなた様を裏切った私を当てにするとは、人が好いにも程があるというもの。そのような事では大計の成就などおぼつかない、と私が考える事をどうぞお許しくださいますよう。」
義武
「これは手厳しい。やはり、あなたを説得するのは骨が折れるようだ。」
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