第七話


 お互いに距離を置き、軽く身体を動かして準備をした。自然に戦闘体勢になる。徐々にピアノ線のようにきりきりと張り詰めていく空気。二人は緊張が極限に達した瞬間、弾けたように躍動した。

「バレると思ってないはずがないですよね?」

「まあ、長い付き合いになってきたしねぇ」

「俺としてはこのまま構成員になってほしいところですけど」

「そういえば、アレックスの組織は何て名前なの?」

「は?覚えてないんですか?」

「うん。何回か聞いた気がするけど、忘れちゃった」

「嘘ですよね…?」

「待ってね……Full Moonだっけ?Ducky Guysだっけ?それともArea Thieves?あ、Strong Armとか?」

「残念ながらどれも敵対組織ですね」

「あれ、結構頑張ったんだけど」

「逆に何で俺のところは覚えてないんですか」

「うーん…。すごく短かい名前だったことは覚えてるんだけどなぁ」

「JK、です」

「うわぁ、それこそ冗談みたいな名前だね」

「若いのが多いですからね。冗談でも組織名になっちゃいましたよ」

「アレックスだって若いでしょ。スラングがわからない歳じゃないよね?」

「まぁ、わかりますけど」

「わかるからこそ嫌だった?」

「他になかったのかなとは思いますね」

「俺はいい名前だと思うけどね。皮肉っぽくて」

「なら構成員になってくださいよ」

「それとこれは別の話かな」

 今までずっと受け身だった桜庭が、攻勢になった。背丈は桜庭の方がある。しかし全体的にはアレックスの方が筋肉のためか体が大きい。かといって桜庭が筋肉質でないわけではない。身体能力だったら桜庭のが何枚も上手だ。

「志希さん、そのナイフはずるいですよ。刃渡りだいぶありますよね?」

「十五センチは超えてたかな。刃はしまってるから大丈夫だよ。アレックスも使えばいいじゃん。それとも銃にする?」

「弾が無駄になるので銃にはしません」

 アレックスは桜庭の膝蹴りを避けながら、懐から小振りのナイフを取り出した。

 ここからはルール無用の寸止めゲームだ。

「おっと」

 アレックスの左手により、ナイフを握っている右手首を掴まれた。

「っぐ…」

「お互い油断は禁物だね」

 桜庭は空いている脇腹を左の拳で打ち付け、力が緩んだ一瞬の隙に右手首を解放すると背後に回った。

「っ…」

 アレックスは慌てて後ろ回し蹴りをした。桜庭はバックステップで距離をとる。その間に体勢を整えたアレックスとのにらみ合いの状態が続いて十数秒。先に動いたのは桜庭だった。

 伸びてくる左手を避け、右腕を掴んだ。背中に肘打ちをされたので、お返しに腹に膝蹴りをした。背後に回り、掴んだ右腕を背中に固定する。手首を内側に曲げさせ、ナイフを地面に落とす。肩越しに再び左手が伸びてきたので躱しつつ、アレックスの膝の裏に狙いを定めて蹴りを入れた。強制的に膝を曲げさせられたアレックスは、腰を落とした。右腕を引いて地面に仰向けにする。

「俺の勝ち」

 アレックスの目のすぐ横の地面に、ナイフを勢いよく突き刺した。

「相変わらず強いですね」

 苦笑いをするアレックス。

「強くないとやってられないよ」

 桜庭がナイフを引き抜きポケットにしまうのを見ながら、アレックスは服をはたいて起き上がった。

「君も、俺の速さに慣れてきたね」

「数年も一緒にいれば多少は慣れます。にしても速いですね」

 アレックスは傍に落ちていた自分のナイフを拾い上げた。

「俺は身軽さを第一に考えてるからね」

 殺すために動くのだ。鈍かったら何も出来ない。

「それでもあくまで遊びなんですよね?本気を出したら一瞬で勝負ついちゃいそうです」

「一瞬で終わったらつまんないでしょ?遊びだからこそ本気は出さないんだよ」

 ルール無用なのだから、勝ちたかったら銃で一発撃てばいい話だ。しかしそれではあまりに味気無い。アレックスはおそらく本気だが、桜庭は出していても六割だろう。

「志希さんが本気を出す時ってあるんですかね」

「んー…殺す時は毎回本気だけどなぁ」

「本当ですか?なんか余裕そうに見えるんですけど」

 アレックスの記憶の中では、桜庭は常に笑っている。どんな時だろうが泰然としていて、殺す時にも殺意が微塵も感じられない顔をしている。

「そうゆう仕様なんだよ、俺は」

 へらりと笑った桜庭。見慣れた軽薄そうな笑顔に、アレックスはなぜだか安堵した。

 

 死体処理屋が回収を終え、代金はアレックスを通して桜庭が小切手で支払うことになった。

「五千万くらいでいいかな?」

「多すぎると思います」

「じゃあ一千万」

「それでもけっこうな金額ですけどね」

「初めて依頼したからわからないんだ。思ったより安いんだね」

「あの数の割には安いかもしれませんね」

「そうなんだ」

 アパートへの帰り道で二人はそんなことを小声で話していた。

 田舎の深夜は些細な音でもよく響く。空には星がたくさん見えていて、明日は放射冷却で冷えるだろうと予測できる。

「アレックス、フィズのことは一週間以内に判断して。最終日に改めて依頼するよ。一週間経っても沈黙するということは、拒否だと受け取るからね」

「…わかりました」

 アレックスは渋い顔でこれからの一週間の予定を頭の中で組み立て始めた。忙しい一週間になりそうだった。

 自分が吐いた白い息を眺める桜庭の顔には微かに疲れが見えたが、目は爛々と輝いていた。

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ツギハギだらけのアイ @croon

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