秋の日の旅立ち
千石綾子
秋の日の旅立ち
「やっと止んだな」
季節はずれの夕立のような、激しい通り雨が上がった後。
「大したもんだよ、お前の雨男ぶりもさ」
ユウジはジーンズのポケットから、くしゃくしゃになったタバコを取り出した。
「火」
「ないよ。タバコ吸わないもん」
何度となく交わされたやりとりが、また繰り返される。
「参ったな……。ガス台はもう外しちまったしな」
そう言ってユウジはガランとした2DKを振り返る。まだ積み残したダンボールが少し残っているだけ。僕たちが過ごした2年間を思わせるのは、壁に染み付いたタバコのヤニと日に焼けた畳だけだ。
「あ、そういやカズトが持ってたっけな」
余程ニコチンに飢えているらしく、ユウジは一度しっかり梱包したダンボールのガムテープを剥がし始めた。
「おいおい。勝手に漁ったら……」
「いいんだよ。カズトのものは俺のもの。俺のものは俺のもの」
どこかで聞いたような台詞を呟きながら、ユウジは乱暴にダンボールを漁る。
「あった」
ひときわ嬉しそうな声をあげてユウジが取り出したのは、渋く銀に光るジッポーだ。ベトナム戦争時代に兵士が使ったビンテージなのだという、カズトの自慢の品だ。澄んだ金属音を立ててフタを開け、嬉しそうにユウジはタバコに火をつけた。
「あー、仕事の後の一服は最高だな」
そうしてさりげなくジッポーをポケットに仕舞い込んだ。
「……大して作業もしてないくせに」
そんな僕の恨めしい呟きも耳に入っていないようだ。
「さ、また降り出す前に積んじまおうぜ」
咥えタバコでユウジは一番軽そうな箱を持ち上げ、玄関の軽トラックに積み始めた。僕はふと空を見上げる。さっきまでの雨が嘘のような青い秋の空。
僕は引越し雨男だ。今までに何度も引っ越したが、必ずと言っていいほど雨に祟られる。
「今日は勘弁してくれよ……」
そう空に向かって呟くと、残りのダンボールを積み込んだ。最後にブレーカーを落として忘れ物がないことを確かめる。
「カズトは?」
「もう乗ってる。荷台でいいだろ奴は」
それもどうかと思ったが、口の達者なユウジとの会話にうんざりしていた僕は出かけていた言葉を飲み込んだ。
「さ、運転手君。安全運転で頼むよ。晴れの門出に交通事故なんて願い下げだからな」
2本目のタバコを車の灰皿に突っ込むとユウジは腕組みをして目を閉じた。
「はいはい」
この様子だと、奴のナビゲートは当てにはできなそうだ。道路に出来た水溜りから水しぶきを上げて、僕らのトラックは出発した。
***
「なあおい。ユウジ、起きろよ」
4度目の声でようやくユウジは目を開けた。
「着いたぞ」
僕はシートベルトを外して首を回した。
「おお、ご苦労ご苦労」
ユウジは大きな体を更に大きく伸ばしてあくびをした。雑然とした住宅街から出発して、今着いたここは緑の中だ。東京郊外のこの街には開発の進んでいないこんな場所がいくつかある。田舎から転校してきて植物に飢えていた僕には、憩いの場所だった。
「ここは変わらないなあ」
雨の匂いに満ちた緑の小道を進んでいく。ユウジはそれには答えず、何か小さく歌を口ずさんでいる。
道の行き止まりは川だった。丸く大きな石がごろごろと転がる河原。清く澄んだ水が流れるせせらぎ。ふと目をやると木立の中に錆びた大きな鉄板が立てかけてある。
夏になるとここでユウジとカズトと僕の3人でキャンプをしたものだった。あの鉄板でもうもうと立ち込める煙の中、バーベキューをしたんだっけ。僕はふと懐かしくなって目を細めた。
「カズトは?」
「ここだ」
僕の問いかけに静かにユウジが答える。僕はユウジの手の中の箱に目をやった。ユウジがその白い箱を開けると、待っていたかのように急に強い風が木立を揺らす。
その風に乗って、ユウジの手の中で傾けられた白い箱から舞い上がる白い灰。
冗談のようにある日突然逝ってしまった僕たちの親友。身寄りのない僕たち3人はお互いに約束していた。もしも死んだら、この思い出の場所に眠らせて欲しいと。そうして僕たちは約束を果たした。
「さて、お焼香しないとな」
ユウジは3本目のタバコに火をつけた。
「随分ヤニ臭い線香だな」
僕のぼやきにユウジはにやりと笑って、ふう、と大きく煙を空に吐き出した。
一筋の煙はどこまでも昇っていき、風に巻かれて消えた。
秋の日の旅立ち 千石綾子 @sengoku1111
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