第06話 雛、百戯館の住人と出会うこと

 玉蝶ぎょくちょう百戯館ひゃくぎかんに向かっていた。道行く宦官たちに、車輪付きの板きれに乗った者について訊くと、すぐに教えてくれたのだった。

 百戯館は、宜春院の南に位置する。朱塗りの円柱が立ち並び、碧瑠璃の軒先や、銅板に刻まれた扁額と、宮中の建物の一つではあるが、北門に近い舞楽館ぶがくかん修練館しゅうれんかんと比べて、楽器の音色や歌声は減り、代わりにトンカチやノコギリを使う軽やかな音が増え、動物の鳴き声が聞こえ、獣臭さが漂ってくる。

 玉蝶は、百戯館の正面の広場にでんと置かれた木造の四阿あずまやを見上げる宦官たちに声をかけた。

「あ、あの、すみません!」

「女?」「女だね」「なんでここに?」「お嬢ちゃん、どこの子? 迷子?」

 四阿の近くに置いた、注ぎ口から湯気が出る薬缶を載せた火鉢を中心に語らう宦官たちが、玉蝶を見て口々に言った。それぞれ、頭や肩に玉蝶が名前を知らない鳥を乗せていたり、両腕でだるんと下肢を伸ばした猫を抱えている。

 宜春院にいる宦官の特徴は、先ほど会った紅榴や桃簾のように、芸能者ゆえに華やか、派手な容姿をした者が多いのだが、玉蝶の前にいるのは、舞台では主役の背後にいそうな、ようするに控えめであったり、化粧映えしそうな顔立ちの宦官ばかりであった。

 ちなみに、稽古でいくら立派な芝居や心を奪われる演奏、歌舞を披露しても、生涯で一度しか舞台に立てない役者と、舞台の片隅で十年以上立っていられる役者だと、後者が宜春院や教坊では尊ばれる。

 主役は一人だが、主役が目立つように、背景となるその他は大勢必要なのだ。

 温石おんじゃく代わりなのか、「ぶみゃああああ」と鳴く三毛猫を両手で抱えた宦官が、玉蝶を上から下までジロジロと見ると(雛妓を見る者にはよくあることだ)、思いついたように言った。

「ちょっと待って、君、あれに使えそう!」

「あれ?」

 首を傾げる玉蝶に、三毛猫を抱いた宦官の後ろにいた連中ものっそりと玉蝶に近づいた。

「ねぇねぇ彼女、暇? 暇だよね!?」

「ちょうどいいところに来たな」

「グへヘヘ、我々と楽しいことをしようぜ」

「俺たちを助けてちゃあ、くれないかい?」

「え……?」

 予想外の反応に、玉蝶の踵が半歩下がった。



 玉蝶は肘掛けに鎖がついた椅子に座っていた。

 椅子があるのは、一ヶ所に二段の階段がつけられた丸い舞台の端っこだ。丸舞台の中心には半球をくりぬいた屋根を支える太い円柱が直立し、手押し棒が垂直に生えていた。

 玉蝶が四阿だと思っていたものは、丸舞台であったのだ。

 顔を上げれば曲線を描く屋根は、傘のごとく中心から外側に向かって八本の梁が伸びていた。梁とおぼしき部分には鎖が打ち込まれ、鎖の先は玉蝶が座る、背凭れつきの椅子の肘掛けに打ち込まれていた。

 玉蝶が座っているのは八脚あるうちの一つで、前後にも宦官が座り、残りは丸舞台の外側に立っている。

 そして玉蝶が四阿ではなく舞台と思っていたものは、舞台ではなかった。

 回転鞭撻かいてんべんたつと名付けられた遊具であり、椅子もその一部だ。

 玉蝶自身は拘束されていないが、椅子に案内した宦官からは鎖か肘掛けを必ず掴むように言われた。

 ところが玉蝶が手袋の一つも持ってないと知るや否や「そいつぁ大変だ!」「指になにかあったらどうする!?」と、玉蝶の手より二回りは大きい作業用の太い毛糸でできた手袋を貸し出された。

 玉蝶が手袋を嵌めた状態で鎖をしっかりと握ると彼らは安心した様子で頷く。

「是非、感想を聞かせてほしい。乗り心地とか飛び心地とか」

「はあ……」

 着席してから、聞かされる、唐突な発言に、玉蝶は困惑するばかりだ。

「安心しろ、大丈夫だ。石臼を載せても椅子も鎖も外れなかったっ!」

「象が乗ったら壊れるけどね!」

「雛妓なら上手く受け身が取れるよなぁ!?」

「ええ……?」

 そんなやり取りを経て、腕捲りをして太い腕を晒した四人の宦官が、舞台に上り、中央の支柱から生える手押し棒の前にそれぞれ立った。

「そぉれ!」と掛け声とともに、彼らが手押し棒を押しながら、ぐるりと円柱の周りを歩き出す。

 すると天井、もとい傘のように広がる丸屋根がぐるりと動き出した。

 必然、傘の骨にあたる屋根の梁から吊り下げれられた椅子に腰かける玉蝶も、動き出す。

「わぁ!」

 景色が前から後ろへと流れて行く。鎖に吊るされた椅子と合わせて体が揺れる。

「嬢ちゃん、どうだい!?」

「楽しいです!」

「そいつぁ良かった」

「っしゃあっおらっ!!」

 玉蝶の返事に、回転鞭撻の周りにいる宦官たちと中央でぐるぐると回る宦官たちが喝采を上げた。

 一周、二周、三周と回ったところで、回転鞭撻がゆっくりと止まる。

「これは、どの舞台に出るんですか?」

 百戯館の面々は主に舞台道具を作っている、という知識がある玉蝶は、椅子から降りると、近くにいた宦官に尋ねた。

「舞台? なんの?」

 首を傾げて答えた相手の隣で、別の宦官が玉蝶に言った。

「いやいや。こいつは舞台じゃなくて、御子みこ殿下の玩具なのさ」

「玩具!?」

 御子――すなわち、皇帝陛下の子女の玩具と聞いて、玉蝶は目を見開いた。

「鞭撻って、確か枝に縄をぶら下げて、板切れを付けるんじゃあ……?」

「それだと殿下方が危ないだろう?」

 当今の御子は、五歳や三歳だ。鞭撻に一人で乗らせるには危険が伴う。

「だから乳母が抱いた状態で楽しめるようにって、設計して誕生したのがこれ」

 ちなみに設計者は俺、と鼻の下を人差し指でこする宦官は得意げに言う。

 背後では、他の宦官たちが口を開いた。

「実際に作ったのは俺らだぜ!?」

「本当、この屋根の曲線を計算するのが大変だったぜ」

「おいおい、椅子と鎖の強度を調べたのは俺よ?」

 互いに語りたい部分や思い出があるのか、ほろりと涙を見せる宦官たちに、玉蝶はただ尊敬の眼差しを向けた。

「皆さんで作ったんですね」

「ああ!」

 設計者の宦官がうなずき、建造に関わった面々がそれぞれ声を上げる。

「笑顔のために!」「安全第一で!」「真心注入!」

 ビシッと親指で己の胸をそれぞれ指す一同だが、途端にどんよりと曇った表情になった。玉蝶以外の全員が両肩を落とし、その場に座り込んで膝を抱えている。

「利用者の安全確保がな……」

「できねぇな、できてねぇぞ……」

「鎖や肘置きから両手を離したら、すっ飛ぶよな……」

「ああ、空を飛びたくなるように設計しているから……」

「飛びたくなるもんな、鞭撻は」

「飛びたくなった?」

 落ち込む一人に水を向けられた玉蝶が「ええ、まあ」と答えると、彼らは再び嘆息した。

 つい最近まで、大勢と動きを合わせる群舞の練習に励んでいた玉蝶は、各自それぞれの時機タイミングでため息を吐く宦官たちの言動が非常に気になった。

 演技指導の舞台監督や楽団の指揮者がいたら「そこ、声と肩を落とすのをそろえて!」ぐらいは言っただろう。

 けれど、玉蝶は指導役としての経験も実績もないため、胸の内にとどめた。

 落ち込む彼らに向けて、素人ながら気休めの言葉をかける。

「あの、椅子に紐を着ければいいんじゃ……?」

 おずおずと発言した玉蝶の顔に、全員の視線が突き刺さった。

「天才かよっ!!」「なるほどね!!」「それだぁ!!」

「ありがとう、君のおかげで我々は安眠できる!!」

 どうやら彼らの思考は迷路状態となっていたようだ。出口を見つけ出すのに苦労していたらしい。

 回転鞭撻の設計者が、設計図らしき図面に数字や文字を書くのを横目に、玉蝶は十人ばかりの宦官に「でかした!」「お手柄!」とわっと囲まれた。

「――ところで、君。どこの子? 迷子?」

「それ、さっきも聞かなかったっけ?」

「あの! お願いがあって参りました!」

 会話が進まない、とばかりに玉蝶は教坊の鍛錬で培った発声で、視線をさ迷わせた。

 目に留まった、例の車輪がついた板切れを指さす。

「あの車輪、私の鞋につけられませんか!?」



 玉鸞の形見であり、玉蝶が先ほど人造湖で使用した滑氷鞋は、刃が取り外せるようになっている。

 刃を外した長靴の底に、足の甲と踵に当たる部分に二対の車輪をつけてもらった。この車輪も取り外しができるようになっている。おまけとして、爪先には滑り止めとなる革を縫いつけてもらった。

 完成を待っている玉蝶のために茶を沸かすからと、お湯の準備をして、玉蝶を回転鞭撻の材料と思しき木材に座らせたあたりで、玉蝶の滑氷鞋は車輪つきへと生まれ変わった。

「ほい。これ、刃が入ってる。気を付けてね」

「ありがとうございます。わあ、刃用の袋まで作ってもらって、嬉しいです」

 玉蝶は一対の滑氷刃が収まる紅茶色の革でできた袋を受け取った。

「いいってことよ。君のおかげで、俺らは今夜から眠れそうだしね」

「果たしてそうかな……」

 玉蝶と革袋を作った宦官の間に、例の設計者がぬっと顔を突き出した。

 どよんとした曇りある眼が、玉蝶に向けられる。

「紐の長さが決まらん! 御子殿下方はこれからお健やかにお育ち遊ばすし、短すぎてもダメ、長すぎてもダメ。俺もダメ……」

「しっかりしろ、この紐さえ解決すれば、あとは殿下方のお気に召す色に塗るだけなんだから!!」

「あの、発言いいですか?」

 口から魂魄を吐き出しそうな顔で、意識をどこかに飛ばず設計者の両肩を掴み揺らす宦官を見ながら、玉蝶は挙手した。

「左右の肘掛けに一本ずつ紐をつけて。片方の紐にはいくつか穴を開けて、もう一方には留め具をつけて、使う方に合わせて調整できるようにすればいいのでは……?」

「なるほど」

「それだ!」

 天啓を受けたと言わんばかりの表情で、設計者は再び設計図に数字や文字を書き込み始めた。揺さぶっていた宦官も横から口をはさむ。

「だからよゥ、安全に快適に娯楽を提供するっつー発想がな?」

「紐の太さを変えてみよう」

 玉蝶に革袋を作ってくれた宦官と設計者が設計図を覗き込みながら、ああだこうだと話し込む間、玉蝶は別の宦官から改めてお茶を差し出された。

 なし崩し的に彼らの世間話に付き合うことになった玉蝶だが、雛妓として舞台芸術に関わる百戯館の面々とは今後も交流があるだろうと、再び廃材に腰を下ろす。

 彼らは玉蝶の兄、玉鸞を知っていた。

「知っていると言っても、一方的にだけどね。見習いは十二まで修練館で一緒だけど、あとはここ、舞楽館、演劇館、その他に分かれるから」

 宜春院はここ一つで巨大な町ではあるが、住人の生活時間帯は各個人で異なるし、同じ舞台に出ない限り、接点はほぼないと説明される。

「そっか、君が玉鸞の妹かぁ……」

 続く言葉をさ迷わせ、明後日の方向に視線を向ける右側に座る宦官に、玉蝶は苦笑を見せる。

「似てないって仰って結構ですよ、よく言われるので」

 玉蝶が兄と似ているのは、青空のような眸の色くらいだ。

「うん、ごめん。でも君は雛妓だから、国家が認める美少女だ!」

「それはなんの解決にもなってないぞ!?」

「沈黙は金!」

「話題下手か! ……玉鸞の妹ってことは、君も金華村きんかむらの?」

「はい、そうです」

 左側の宦官の口から故郷の名前が発せられて、玉蝶はうなずいた。

「そうなんだ。俺、金波村きんはむらの生まれだよ」

「えぇ、そうなんですか?」

 右側の視線をさ迷わせた、朴訥そうな宦官が目を細めた。

「ご近所さんなの?」

「うん。金華村の川を下れば俺の地元っていう。金華村は、確か……」

「なくなっちゃいました、十年前の土砂崩れで!」

 玉蝶は努めて明るく言った。

 金華村は、名前の通りかつては金山の中腹にある村として栄えていたが、玉蝶が生まれる以前から採鉱量が減り、廃村して、麓の金波村と合併する予定だった。

 母とともに金波村に移り住んでいた養父は、京師で治水工事に携わっていた経験を買われ、玉蝶たち一家は一時的に金華村で暮らしていた。

 鉱山地帯特有の、飲み水には使えない湖沼は冬になると凍りつき、養父は玉蝶と玉鸞に滑氷を教えてくれた。

 懐かしい。だが記憶は年々薄れていく。薄れていくからこその罪悪感を振り払うように、あえて明るく口にした玉蝶と違い、金波村出身の宦官は声を落とした。

「七つだった俺は、あん時の事故で、ここに……」

「ごめんなさい」

「いや、こっちこそ」

 金華村は水害によって廃村が決定打となり、その余波は麓の金波村にもあった。

 皮肉にも、金華村の老人たちに預けられて頂上に避難していた玉蝶と玉鸞は、麓の金波村に知らせてくると告げた村の若者――両親を喪う結果となった。

 そしておそらく、隣にいる宦官も、肉体の一部を。

 けれど、玉蝶と金波村生まれの宦官は、自身がどんな状態であっても、観客に笑顔を提供する帝国の芸能者だ。だから二人はすぐに互いのしんみりした空気から解放されようと、相手に笑みを浮かべ、周りも同調する。

「おおい、見ろ! 安全紐ができたぞ!」

 丁度、設計者と革紐担当の宦官たちが声を上げたのも、空気を変えるのを手伝った。

 見てみて、と騒ぐ二人に、廃材を囲むように座っていた一同は「しょうがねぇなぁ、どぉれ、ちょっくら見せてみろ」と言った様子で立ち上がる。

 玉蝶も立ち上がった。言い出しっぺだからこそ、最後まで完成するのを見届けなければ、という妙な使命感と不安があったから、回転鞭撻の椅子に取り付けられた革紐を覗き込む。

 たまたまその隣にいた、先ほど玉蝶の右隣にいた朴訥そうな宦官が、あご下に手をやりながら「変だなぁ」と呟いた。

 革紐のことかと玉蝶が視線を向けると、彼は盛り上がる同胞たちにはばかるように小声で言った。

「玉鸞って、金波村生まれの金華村育ちで京師に来たんだろ?」

「はい、そうです」

「どこの刀子匠とうすしょうか知っているか?」

 刀子匠とは、宦官を生み出す――男性を去勢する、国家が認めた職人だ。

「え?」

「京師にいる刀子匠は、大概その地域の自宮者じきゅうしゃを担当する。玉鸞は、俺らの世代の出世頭だから、刀子匠が宣伝するにはもって来いだ。だけど、俺らはあいつからお前の兄貴と同じ刀子匠だったなんて聞いたことがねぇ」

 ――お前の兄貴、どこで宦官になったんだ?

 玉蝶は今まで考えたことがない質問を聞いて、両目を瞬いた。

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