クレシェンド

はくのすけ

第1話

 終了チャイムが鳴り響く。


「では、今日はここまで」

英語教師である『戸沢開とざわかい』先生の声と同時に静寂から解放された教室。


公香きみか、どうだった?」

親友の『戸沢京子とざわきょうこ』が私の肩を叩いた。


「うーん、まあまあ」

さっき受けた英語の試験の内容を頭に浮かべた。


「京子はどうだったの?」

「私は全然だったよ」

肩を落とす京子。


「帰りどっか寄って行く?」

試験も終わったことだし、久しぶりに出かけたい気分だった。

京子も気分転換になるだろうと思って誘う。


「どこ行く?」

「とりあえず、カフェでも寄って行こう」

「賛成」

私の案に京子は同意した。


帰り支度を整えて、私たちは教室を出る。

廊下に出ると、一人の男子が立っていた。


「あ」

綺麗にセンター分けをした男子。

男子の名前は『木邉智也きなべともや


那須なすさん」

木邉君に声を掛けられて、私の動きを止めた。


「公香、先に行っているね」

京子は私に気を使って先に昇降口に向かった。


「木邉君……何?」

木邉君の要件は大体分かっている。


期末試験が始まる一週間前に、木邉君に告白された。

あの時は、なんて言って断っただっけ?

はっきり言って覚えていない。

木邉君には申し訳ないけど、私は全くそんな気は無いから。


「えっと、この間の答えを……」

「この間の答え?」

「うん。那須さんは『期末試験も近いから、その話はまた今度ね』と言っていたから……」

木邉君の不安そうな表情を浮かべる。


そんな適当なこと言っていたんだ……

はっきり断って無かったのか……


私はいつもそうだ。

困ったら問題を先送りにしてしまう。

今回もまさにそれだ。


断りたいけど、断るのにも勇気がいる。

どうしよう……


「えっと、もう少し、もう少しだけ考えさせて……駄目?」

「あ、うん。ゆっくりでいいから」

木邉君の少し安堵した表情を見て、心が少し痛かった。


木邉君は特別イケているわけでもなくイケてないわけでもない。

いたって普通の男子。

明るいわけでもないが、根暗でもない。

本当に普通。


そういう私も特別可愛いわけでもないし、かと言ってブスでもない。

私も普通。


しかし、二人とも目立たない。

いわゆる地味な二人。


「じゃあ」

私は逃げるように昇降口に向かう。


昇降口で京子の姿を見つけ

「京子」

小走りに京子の元に急いだ。


「あ、公香」

京子の隣に男性が居た。

英語教師の戸沢先生。

「じゃあ、お兄ちゃん、私カフェ行くから」

「学校では先生と呼びなさい」

「はいはい、戸沢先生」

そう言って意地悪そうな笑みを浮かべる京子。


京子と戸沢先生は兄妹で、とても仲が良い。

そして、私が密かに想いを寄せている人。


私達は学校を出てカフェに向かった。

「それで、木邉君は何だったの?」

「え?あ、この間、告白されたから……」

突然、切り出されて驚いてしまった。

「そうなの?それで、どうしたの?」

「うん……断り切れなくて……答えを保留に……」

「断るつもりなの?」

「うん」

「どうして?」

「どうしてって……」

「他に好きな子がいるとか?」

「……」

「あーいるんだ!!」

「うん……」

「誰?誰?私の知っている人?」

京子は興味深々で聞いてくる。

言えるわけないのに……

あなたのお兄さんなんて……

「内緒」

私は答えをはぐらかす。

「えー教えてよ」

「教えない」

私ははっきりと断った。

「そっか、でもいつか教えてね」

京子の笑顔に、

「うん」

笑顔で答えた。


カフェについて、ケーキを食べて紅茶を飲んだ。

「そう言えば、兄貴の結婚が決まってね」

紅茶に手を伸ばしながら京子が衝撃な事を言った。

「え?」

胸が異常に高まる。

「だから、兄貴が結婚するみたいで」

「嘘?」

「嘘じゃないよ」

「あれ?公香どうしたの?」

頭が真っ白になる気がした。

「あ、うん……大丈夫……」

無理に笑顔を見せたつもりだったが、

「顔色悪いよ、具合悪い?」

「大丈夫……大丈夫だから……」

絶望的な気持ちになっていくのが自分でも分かる。


どうすればいいの……

自分の想いも伝えていないのに……

「今日はもう帰ろうか」

京子は私を心配して切り出した。

「そ、そうだね」

やっとの思いで返事をする。

「公香、ゆっくり休みなよ」


京子と別れてから、どうやって家に帰ったのかあまり思い出せない。

頭の中は京子の言葉でリピート再生されていた。


『兄貴が結婚するみたいで』


私は泣いた。ただひたすらに泣いた。

もう流す涙がないのではと思えるくらい泣いた気がする。

それでも気持ちはいっこうに晴れることなどなかった。

誰とも話したくない。

誰とも会いたくもない。

そんな状態が数日間続いた。


幸いなことに試験休みの為に学校に行かなくても良かった。


久しぶりに京子に会うことになった。

駅前で待ち合わせ。

京子はあれから随分と心配してくれて、

いつもメッセージを送ってくれた。

凄く助けられた気がする。


駅に着くと京子は既に来ていた。

その後は、二人でショッピングにカラオケと回って、

少しは気が紛れた。


「あれ?あれって木邉君じゃない?」

京子の指差すほうを見ると、確かに木邉君がいた。

そう言えば、木邉君の告白の答えを保留にしたままの事を思い出した。

そんな事を考えていたら、木邉君が私たちに気付いた。


小走りで私達の元にやってきた。

「私、少し外すね」

「え?ちょっとどうして?」

私は京子を引き留めようとするが

「ちゃんと答えてあげてね」

京子はウィンクして離れた。


「那須さん」

「木邉君……」

「何してたの?」

「あ、うん。京子と遊んでいただけ……」

「そうなんだ」

凄く気まずい……

「木邉君は何してたの?」

「あ、うん。バイトの帰り」

「バイトしてたんだ……」

「なんのバイト?」

「えっと飲食店のバイト」

「そうなんだ」

どうしよう、会話が続かない。

私の頭の中では、どうやって断ろうかをずっと考えている。


「那須さんって、僕と付き合う気なんてないでしょ?」

突然の言葉に何を言っているのか分からなかった。

「え?どうして?」

「だって、那須さんは戸沢先生のことが好きなんでしょ?」

「な!なんで?なんでそれを?」

誰にも伝えてない。

それなのにどうして木邉君は分かったのだろう……

「それは、那須さんのことをずっと見てたから」

こんな私をずっと見ててくれた?


「それなら、どうして私に告白したの?」

私が誰が好きなのか分かるならどうして告白したのかが謎だった。

「好きだから」

もっともシンプルで分かりやすく、もっとも想いが詰まった言葉だった。


私は木邉君に向き合う事もせず、断る勇気もないまま、

答えをずっと保留にしたままだった。

中途半端な私とは正反対で、強く真っ直ぐ私を見てくれていた。

そう思うと、申し訳ない気持ちで一杯になる。

そんな気持ちから自然と涙が流れる。


はっきりしないといけない。

もう保留にすることなんて出来ない。

「ごめんなさい。木邉君とは付き合えない」

これほど、保留して引き延ばした帰ってきた答えはこれだもの……

私はなんてひどいことをしたのだろうか……


「うん。知ってた」

木邉君の答えはその一言だった。

木邉君は笑顔だった。

「でも、ごめん!好きでいさせてほしい!迷惑なんて掛けないし、話しかけたりもしないから。

ただ、たまにでいいから那須さんの笑顔を見せてくれたら」


言葉が出ない……

どうしてそうまでして私なんかを

「あ、ごめん。そんなの気持ち悪いよね」

笑顔のままの木邉君。

「どうして?どうしてそこまで私なんかを好きでいてくれるの?」

「好きになる理由なんて正直分からないけど、那須さんの事を考えると、嬉しかったり、悲しかったり、楽しかったり、辛かったりと一人で勝手に揺れ動く気持ちが出てくるんだ」


あーなんだろう……

この気持ち……

自分でも言い表せない気持ちになってる。

木邉君が言っていることはこういう事なのだろうか?


私は……

正直私も分からない。

もうどうしたらいいのかさっぱり分からない。

「ごめん……やっぱりもう少し考えさせて……今度こそちゃんと答えるから!」

私は断った言葉を取り消した。

どうして取り消したのかは分からない。


ただ、これほどまでに真っ直ぐ私の事を思ってくれている人に、曖昧な答えを出すわけにはいかないと思った。

この気持ちがどういう事なのかはっきりするまでは、断ることも付き合うことも出来ないと思う。


それからの私は、気が付けばいつも木邉君の事を考えていた。

あれほど、思っていた戸沢先生の事はまったくといいほど考えなくなっていった。


そして、気付いてしまった。

日に日に木邉君のことを好きになっていく自分が。


考えれば考えるほど、その想いはだんだん強くなる。


この気持ちを木邉君に。

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クレシェンド はくのすけ @moyuha

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