桜並木と僕

暁烏雫月

僕の住む町

 なんてことのない、ありふれた町のひとつ。一軒家やマンション、アパートが歩道に沿って並ぶ。コンビニやスーパー、ガソリンスタンド、定食屋。町に存在する建物一つ一つが、町民にとってはかけがえのない大切なものだ。


 幼い頃はつまらない町だと思ってた。だけど今は、この町が無性に恋しい。僕が人生の大半を過ごした思い出の地だからだろうか。この町を離れるのが寂しくて、悲しくて、だけど少し嬉しくて。


 この町はさほど有名ではないけれど。歴史に名を残すような町でもないし、有名人が住んでいた町でもない。だけど僕にとっては、共に人生を歩んできた大切な大切な町なんだ。


 外に出れば、今日も見慣れた母子が楽しそうに歩いてる。少し離れたところでは、近所のおばちゃんが僕に気づいて小さく手を振っている。車の音、店の物音、道行く人々の話し声。その一つ一つが、たまらなく愛おしい。


 町の喧騒に誘われるように、町を流れる川に向かった。川の両端には桜の木が沢山植えられていて、非常に目立つ。町の名物と言いたいところだけど、この桜並木はこの町だけのものではない。だから、やっぱりこの町には名物となるものは存在しない。


 あと少しすれば、この景色が見られなくなる。見慣れた光景も、聞き慣れた音も、この町で経験してきたことも全て、過去のものになる。そう思うと、こんななんてことのない町並みですら素敵に思えるから不思議なものだ。


 これから行く未知の土地では何が待っているんだろう。特別な町でなくていい。平穏に過ごせて、周りの人が素敵であればそれでいい。願わくば、この町に続く第二の故郷となりますように。


 皆さん、今までお世話になりました。僕は新社会人として、新たな一歩を踏み出します。





 僕の住む町には立派な桜並木がある。三月下旬、今頃になると一気に開花して、町に彩りを添えてくれる。今年もそろそろ咲いてくれるかな。そんなことを思って桜並木に向かえば、まだ七分咲きの薄いピンク色が僕を出迎えてくれた。


 このペースなら、僕がこの町を出ていくまでに満開になってくれるだろう。どうかそれまでに桜が散ってしまいませんように。桜並木を見ていると、懐かしい出来事をいくつも思い出すから。


 春といえば決まって、町の桜並木を訪れた。物心がついた頃から毎年のように訪れて、桜並木の下を歩いて。そして、頭上から落ちてくるハート型の花びらを手のひらで優しく受け止めるんだ。


 桜の蕾が少し膨らんでくると、この町は少し騒がしくなる。桜の開花に間に合うように提灯をぶら下げて、桜並木の下では屋台が組み立てられる。そして、桜の開花に合わせて「桜祭り」という祭りが始まるんだ。


 桜並木の下に並ぶ屋台はとても楽しみだった。射撃の屋台から聞こえる銃声が怖くて耳を塞いだ。輪投げやダーツを豪華賞品目当てにやったけど、豪華賞品だけは一度も当てられなかった。バナナチョコやイチゴあめをねだって食べ歩いたことは、今でも瞳を閉じれば思い出せる。


 たこ焼きやお好み焼き、焼きそば、鶏皮餃子。屋台の時期になると決まってそれらが夕飯として卓上に並ぶ。特にたこ焼きは製作過程を見るのが楽しくて、よく屋台の前に張り付いて眺めていた。


 たこ焼き用の鉄板に生地を流し込む。そこにタコと他の具材を入れて、金属の棒でクルクルと生地を少し動かしていく。さらに生地を流し込んで、棒を使って器用に丸い形に整えていく。


 何度見ても飽きなかった。クルクルと器用に動く棒と、鉄板の上で次々と焼き上がるたこ焼きに、いつだって目を輝かせた。将来はたこ焼きの屋台をやる、なんてことを思った日もあったな。


「いらっしゃいいらっしゃい!」

「美味しいたこ焼きはいかがですか?」


 あぁ、今日も毎年のように通っていた屋台ではたこ焼きが売っている。行列の先にある屋台で、ハチマキを巻いたおっちゃんがクルクルと棒を動かしてたこ焼きを造っている。


 屋台の前には、いつかの僕のようにたこ焼きの製作過程を夢中になって見ている子供がいた。この子は大きくなったら何になるんだろう。きっと僕のいなくなった町が、この子の成長を見守ってくれるはずだ。





 桜のピークは三月下旬から四月上旬。それ以降になると、雨風で呆気なく散ってしまう。桜並木の近くを流れる川は、桜が散る季節だけ薄いピンク色になる。川を流れる花びらに、春の終わりを感じていた。


 観光客の減った桜並木が桜色から緑色に変わる頃になると、僕の大嫌いな夏がやってくる。夏もやっぱり、桜並木が町の象徴だった。


 緑色に染まった桜並木からは嫌という程、せみの声が聞こえてくる。その鳴き声には複数あって、不快感より先に「蝉も必死なんだな」となんとも言えない感情を抱く。僕は小学生の頃から実に子供らしくなかった。


 夏休みだからと桜並木に向かい、木に向かって乱雑に虫取り網を振るう子供達。虫取り網に引っかかるのは蝉ばかり。良くて時折カブトムシが取れる程度。なのに、虫一匹でワイワイと盛り上がる子供達。


 本当は仲間に入って一緒に虫取りをしたかった。カゴを肩にぶら下げて、虫取り網を持って桜並木の下を走って、大きな声ではしゃいでみたかった。だけど僕はそれが出来ないまま、大人になってしまった。


 周りの子供達が虫取りではしゃぐのを遠目に見ながら、僕は一人で本を読んでばかりだった。自由研究も虫の標本や観察記録、なんて素敵なものは作れなくて。他の男子の持ってきた標本や観察日記を食い入るように見つめることしか出来なかったんだ。


 大学生になると、憧れの対象でしかなかった木陰が貴重な場所になった。夏は暑くて日差しが強い。だけど、企業からの電話を待つために外で時間を潰すことが多々あった。そんな時は決まって、この桜並木の下で休んでいたんだ。


 これでもかと広がった緑の葉は優しく僕を守ってくれる。耐えられないような太陽光から庇ってくれて、夏特有の湿気と暑さを緩和してくれた。何度この桜並木の下で一喜一憂しただろう。


 桜並木の下を歩いていくうちに、見慣れた一本の大木を見つけた。昨年の夏、散々お世話になった桜の木だ。結構な樹齢らしいのに、今年も綺麗な花を咲かせている。そっと木の幹に手をあてれば、ザラザラとした硬い感触がした。


「今までありがとう」


 きっとこの大木は、今年の夏も就活生の将来を無言のまま支えるんだろう。どんな結果になっても、この木は人を見捨てない。多くの涙を吸って、また一段と大きくなるんだろう。





 秋もやっぱり、桜並木の印象が強い。桜並木はこの町の宝だからだろう。これといった特徴のない町だけど、複数の町にまたがって存在するこの桜並木だけは、誇っていいものだと思う。


 秋になると桜並木が涙を流す。赤茶色に変色した葉が、はらりはらりと歩道に落ちていく。絵面としては綺麗だけど、町民にとってはあまりありがたくない自然現象だ。


 枯葉は歩道の邪魔になるし、強風が吹けば顔面を直撃する。春は美しい花びらを凛と咲かせるのに、秋だけは桜の木が寂しくなってしまう。桜並木維持のために町が動くのもこの時期だった気がする。


 木のお医者様が知らないうちにやってきて、桜並木を構成する木々を診断してまわる。経過が芳しくない桜の木は後日伐採され、代わりに新しい桜の苗木が植えられるんだ。


 さらに、桜並木を維持するために歩道の修繕も行われる。大木になると根っこが地上に出てくるようになり、歩道が不自然に盛り上がってしまう。そんな桜の周囲の土壌関係を改善するためにも、歩道が作り直され、土壌の改良が行われる。


 僕が小学生の時は無かったけれど、今の地元の小学生は桜並木の維持に関連する活動をするらしい。桜並木周辺の土壌調査を手伝ったり、根の張り方を確認したり。こうやって、桜並木が町の人々にとってかけがえのないものになっていくんだろうな。


 欲を言えば、僕も桜並木に何らかの形で携わりたかった。小学校中学校と地元だったのに、僕がしたことと言えば町内会の手伝いをして夏の小さなお祭りに参加したことくらい。


 観光客で混みあった桜並木の下を流れに沿って歩く。そうしていると、桜並木の途中にある看板に目がいった。観光客の多くがその看板の前で立ち止まる。


 手書きの地図と文字。平仮名の多さから言って、書いたのは小学生。タイトルは「桜並木の案内図」。看板を見た観光客の会話が耳に入ってくる。


「これ、地元の小学生が書いたのか」

「よく出来てるわね」

「今度はこっちの桜並木に行ってみようか」


 きっとこの地図を書いた子供達は、必死に桜並木の下を探索したんだろうな。歩いて、歩いた道を地図にして。地図の端っこには、桜祭りのイメージキャラクターまで描いていた。実に可愛らしい。


 どうかこの桜並木が来年も再来年もずっと続きますように。子供達の描いた地図がとても可愛らしくて、スマホで写真を撮らずにはいられなかった。





 冬で真っ先に浮かぶのは、葉っぱが綺麗になくなった桜の枝に出来た蕾。小指の半分ほどの大きさしかない蕾が可愛らしく枝の上に不規則に並んでいる。


 関東平野部に位置するこの町では滅多に雪が降らない。二年に一度降ればいい方だ。だからこそたまに降った雪は印象的で、雪が数センチでも積もった日には大人も子供も大はしゃぎしてしまう。


 そんな雪が積もった日には、桜の木が白い雪飾りを身につける。枝に乗っかった雪は翌朝、太陽の光に照らされてキラキラと輝くんだ。雪が積もるのは嫌いだけど、桜並木がお洒落になるのは嫌いじゃない。


 今年は何度雪が降り積もっただろう。異例とされる今年は、滅多に雪の降らないこの町にも三回ほど雪が積もった。一番最近だと、三月に入ってから。


 雪が蕾の上にも積もったから、今年の開花がどうなるか不安だった。それは僕だけでなく町の人々も同じ。町を出歩けば今年の桜はどうか、桜祭りはどうなるのか、なんて話が飛び交っていた。


 雪が止んだ直後は、こんなに早く桜が咲くなんて思いもしなかったな。屋台だって、組み立てが始まったのは昨晩のこと。桜祭りは今年も例年通り、三月最終週に合わせて始まった。


 桜は儚い、すぐに散る、なんてよく言われる。たしかに桜の花は雨風によってすぐに散ってしまうかもしれない。その様は儚く、美しい。だけど、僕の知る桜の花は違う。


 冬の寒さに負けず蕾をつけ、雪に負けずに蕾を膨らます。今にもはち切れそうに膨らんだ蕾が、ある日を境にぽつりぽつりと花びらを見せるようになる。


 桜の蕾は、花のような儚さを感じさせない。どんなに過酷な環境でも耐え忍び、花を咲かせるタイミングを計っている。力強く我慢強い、そして美しい植物だ。


「よくこんな短期間で咲いたねぇ」

「雪がやんだ翌日には咲いたそうだよ」

「なんとまぁ。今年こそは、花びらの方も長生きしてほしいねぇ」


 桜並木を歩く人々が思い思いに口にする、今年の桜への思い。今年の桜がどのように散って、どのような葉を付けるのか。そしてどんな風に枯葉を散らし、冬を越すのか。残念ながら僕がそれを見ることは叶わない。





 桜並木は、町の春夏秋冬を見守ってくれる。地元の桜並木と言えば地元の誰もがわかる、かけがえのない宝物。地元の子供達はこの桜並木に見守られて大きくなる。僕がそうだったように。


 しばらく見ることの出来ないであろう桜並木を、過去の思い出を振り返りながら見ると不思議と涙が込み上げてきた。悲しいわけではないのに、どうしてだろう。


 涙がこぼれ落ちないように、必死に上を向く。見上げた先には、青空の下で意気揚々と咲き誇る桜の花達がいる。ピンクがかった白、やや濃いピンク、雪かと間違えるほどの白。品種によって、花びらの色が若干違うことに、今になって気付いた。


 この桜並木は検診して、植え替えられて、それでもまだ続くんだ。誰かが存続させようとする限り、桜並木は維持されるんだ。そしてその桜並木の維持に、僕の町も少なからず貢献しているんだ。


 有名人はいない、珍しい何かもない、歴史的に有名なわけでもない。そんな僕の生まれ育った町。だけど、一つだけ自慢出来るものがある。それは、複数の町にまたがって存在する桜並木を、町全体が支えようとしていること。


「皆さん、桜並木を維持するためにも『さくら貯金』にご協力ください」


 桜並木をどれくらい歩いただろう。たくさんの屋台が並ぶ中で、気になる単語を耳にした。「さくら貯金」なんて、初めて聞く言葉だ。


「桜の名所を守るため、この素敵な桜並木を守るため、『さくら貯金』というものをやっています。気になる方は是非、声をかけてください」


 これは募金活動の一つなのだろうか。僕の知らないところでお金が集められ、そのお金でこの桜並木は今日まで維持されてきたわけか。ボランティア無くして、この桜並木は……。


 これなら、これから旅立つ僕でも桜並木に貢献出来るかもしれない。僕は、帰郷した時に桜並木があってほしい。だから――。


「すみません! 『さくら貯金』について詳しく聞かせてください!」


 係の人に駆け寄ろうとした瞬間、頭上から桜の花びらがヒラヒラと降ってきた。それがまるで、桜並木が僕の旅立ちを祝福してくれるように思えた。桜並木のある僕の町に、幸あれ。

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