決断の時・3
こっそりと扉の後ろで探っていたフィニエルは、エリザの様子を感じてほっとした。
思い込みの激しいエリザが再びとんでもないことをやらかすのでは? と、心配でたまらなかったのだ。
やや、荒療治的な発言をして倒れられてしまったときはひやりとしたものだが、今となっては、それが覚悟という形で身についていたのかも知れない。
エリザは、わがままでどうしようもない子供ではないのだ。
何事にも一生懸命なところが、自ら持つ強い暗示の力のために禍することがあるのだが、まったく悪意はない。
……むしろ、どうしようもない子供は……もう一人のほうなのである。
案の定、医師が巫女姫の状態を発表したその日のうちに、フィニエルは最高神官の呼び出しをうけた。
彼は、フィニエルがノックする前に扉を開け、しかも腕をつかまえて部屋に引き込んでしまった。誰かに見られたら、最高神官を絶対視している仕え人でさえも不審に思うだろう。
人払いは完璧だった。が、ゆえに感情を抑える気がないようだった。
「医師の説明を聞きましたが……そんなことはありえません! いったい、何をたくらんでいるのです?」
「人聞きが悪うございますね。私が何をたくらむというのです?」
よっぽどエリザ様のほうが大人だ……と、思いつつ、フィニエルは言い返した。
少し頬を紅潮させて、サリサは握り締めていた手を放した。自分でも大人気ないと自覚したのだろう。
「エリザのことは……本当なのですか?」
まるで玩具でも奪われそうな子供みたいな情けない顔で、サリサは聞いてきた。
サリサにとってみれば、まさに青天の霹靂である。
春に別れが来るだろうことは、彼にとっては常に頭にあったことではある。が、まさか、この時期になろうとは思っていなかったのだ。
「まだ、早い!」
「早くても、それが事実ですから」
「秘密にすればいい!」
フィニエルは、やや軽蔑の眼差しでサリサを見た。
「本気で言っておられるのですか?」
「当然です。私と医師とあなただけの秘密にしておけば、何もこのような寒い最中にエリザを霊山から追い出すこともないのですから」
もうとっくにやっています……とは、さすがに言えない。
フィニエルらしからぬことではあるが、念のため……と称して、すでに丸々一ヵ月も事実を伏せていたのである。
「それが、どのような影響を及ぼすものか、考えたりはしないのですか?」
これを、二人の仲をよしとしない者に先を越されて指摘されてしまったとしたら、どのような騒ぎになることか……。
巫女制度崩壊の兆しととられても、弁解ができない。
フィニエルも、霊山の不安定な気を感じている。それを助長させるような愚かな提案に、辟易してしまう。
最高神官たるサリサには、今の状況があまりいい状態ではないことは充分すぎるほどわかっているはずなのだが。
――彼は、まだ子供なのだ。
「エリザ様は、若すぎるのです。あの方にとっては初めての月病み。こういった場合、体が安定していないので、春を待たずに時期が終わってしまうこともあります。そのことに対する選者の意見を無視なさったのは、サリサ様ではありませんか?」
「フィニエル……。私は失いたくはないのです」
最後は泣き落としである。
「私に何ができましょう? 別に失って欲しくはありませんが、仕方がないことです」
サリサは、ついに観念したようだった。親指の爪を噛んだまま、動かなくなってしまった。
「サリサ様、いずれはこのような日が来ることは、よくご存知だったはずです」
「でも……こんなに早くとは」
あまりの落ち込みように、さすがのフィニエルも同情した。
彼女らしからぬ提案は、今まで二人の仲の片棒を担いでしまったことへの罪滅ぼしも兼ねていた。
「明日、エリザ様とお会いになりますか?」
フィニエルに出来ることといえば、これぐらいしかなかったのだ。
――こんなに早くに別れがくるとは……。
その夜、サリサは眠れなかった。
フィニエルが去った後、最高神官の仕え人が新しい巫女姫の仔細を持ってきた。笑顔で受け取ったものの、仕え人が退出した後、思わず握りつぶしてしまった。
これは八つ当たりである。大人気ない行為だと思う。
エリザだけを愛したいと思っているのに、そうはいかない自分の身の上が憎かった。
とはいえ、大人にならなければならない。
新しい巫女姫に邪険な態度も取れないだろう。夜を拒絶する権利は、最高神官にはないのだから……。
引き出しの中から、小さな宝石箱を取り出してみる。
振ってみると、さらさらと粉砂糖のかすかな音だけが響く。そこには、もう飴はない。
エリザと半分に分け合ったときの、かすかに苦い味を思い出す。
「大丈夫。郷に帰るその日まで、必ずあなたをお守りしますから」
故郷に帰すべき時が来て、サリサの誓いは揺れていた。
エリザは、自分の力以上のがんばりを見せてくれたし、充分に『癒しの巫女』としての知識も技能も身に付けた。
だが、祈りの力も重視すべき巫女としての力量は、これ以上の犠牲を強いるほどにはない。むしろ、サリサを消耗させているのだから、いらないというべきだろう。
彼女の幸せを考えるならば、当然『癒しの巫女』として故郷に帰すべきなのだ。
でも、そうしたら……二度と会えないかもしれない。
癒しの巫女は充分な地位である。薬草採取の権利が与えられ、豊かな生活を保障される。
子供を育てる五年間は結婚を禁じられているが、その後は結婚できる。エリザのように子供がいなければ、即、結婚することもできるのだ。
誰もエリザを放っておくはずがない。すぐに良縁があるだろう。
彼女の人柄や容姿はもちろん愛される要因だろうが、何よりも豊かな生活が保障されるのだから。彼女に惚れた男だけではなく、邪な気持ちで近づいてくる者もいるだろう。
もうそれだけでも腹立たしくなってしまう。
一度村に下りてしまった者を、巫女として再び選んではいけない……などという決まりはない。
だが、癒しの巫女で再度霊山に巫女姫として戻る者は――あえて言えば、エリザのかわりの次の巫女が、変わり者なのか、初めての者となるのだが――巫女制度の長い歴史の中で一人もいない。
当たり前だろう。
霊山の過酷な行を知っているうえに、もう充分な名誉を得ているのだから。
しかも、エリザが再び候補として選ばれるかどうかも怪しい。最高神官の選択は、最終選考の時のみなのだ。エリザの五年後の成長を考えても、祈りの力の寂しさはおそらく変化しないだろう。
エリザの幸せを考えれば考えるほど、サリサは胸が苦しくなる。
誰か他の男がエリザに触れるのかと思うと……サリサはどうしても堪えられない。
ベッドに座り込み、枕を抱きかかえる。それでも気持ちがおさまらず、つい手を口元に運んでしまう。
苛々と親指の爪を噛むのは、子供時代からの癖だ。生まれつきの甘ったれた性格は、そう簡単には直らない。
覚悟は付いていたはずなのに。
思い出にするつもりだったのに。
その時、サリサの頭にある考えが浮かんだ。
――逃げてもいいだろう。もうたくさんだ。
このような制度の下で、犠牲になるのはもうたくさんだ。
最初から、最高神官になんてなりたくはなかった。
あの人が励ましてくれたから、ここまで勤め上げたのだ。元々、自分は卑怯で弱い子供だったのだから。
あの人のためならば、どのような卑怯者になってもかまわない。
ムテがどうなったってかまわないのだ。どうせ滅びる運命ならば、その運命を受け入れればいい。
誰か一人が犠牲になる……。そんなムテの巫女制度も最高神官の制度も、初めから間違っている。
誰だって、幸せになる権利がある。
幸せになるために逃げ出すならば、それも必要。
ひっそりと大都市リューの片隅で薬師でも営めば、生活で困ることはないはずだ。
エリザと二人でリューの一市民として生きてゆこう。
そうして二人の人生を全うすればいい。
明日こそ、エリザに気持ちを打ち明けよう。
そして、二人で霊山を出よう。
サリサは、そう決心した。
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