銀の子供・9
小春日和である。
とはいえ、暦読みの仕え人の話では、明日からは厳しい寒さと雪になるそうだ。
いまや公認となってしまった二人のデートは、ばかばかしくてバヴァバ赤竜も食わない……はずであるが、世を捨てたはずの仕え人たちには新たな刺激のようである。
霊山の空気は、ここしばらく落ち着いたためしがない。
苔の洞窟に差し込む光は、夏の時期と比べてかすかだ。
茶色に染まった香り苔の間から、小さな白い花が顔を出している。すべてが死に絶えたような冬にあり、初めて日をみる雪花である。
夏の間も雪花はここにある。だが、他の草花に隠されて表には表れないのだ。すべてが枯れはてたあと、押さえつけられていた茎をそっと伸ばし、小さくて可憐な花を見せる。
その花を踏みつけないように場所を選んで、エリザは持ってきた籠を置く。薬草を摘む時ですら、エリザはいつも遠慮がちに摘む。
サリサは、そういったエリザの仕草が好きだった。
彼女は無意識なのだろうけれど、とても優しいと思えるのだ。
「このお菓子ですけれど、あの食事係の方の一人が持たせてくれて……」
エリザが籠から出したお菓子は、一の村特産の焼き菓子に似せた代物である。
彼女が賛同票に回ってくれたことを、フィニエルから聞いていたので、サリサは余計にうれしそうに微笑んでみせた。
「あぁ、これはリュシュのお菓子ですね?」
「リュシュ?」
「彼女がメル・ロイとなる前の名前です。でも、人前で彼女をそう呼んではだめですよ。世を捨て切れていないと愚弄するに等しい行為ですから」
エリザは目を丸くした。サリサは耳元で囁く。
「誰もいないところならばいいんです。リュシュは喜びますよ」
最高神官が捨て去った名前で呼んでいる仕え人は、どうやらフィニエルだけではないらしい。
「このお菓子を、私はリュシュと呼んでいるんです」
それはエリザに言ったのではない。
岩陰に隠れて様子見しているリュシュに聞こえるように言ったのである。
案の定、岩陰で自分の名前を呼ばれて、リュシュはご機嫌だった。今後もまずい霊山の材料から美味しいお菓子をあみ出してくれるだろう。
リュシュだけではない。
この洞窟のどこかで気を潜めて、サリサとエリザを観察している者は、サリサが気がついているだけでも六人はいる。
すべてが好意的とはいえないが、誰もが二人の行動に興味があるのだろう。
最高神官の仕え人とフィニエルは、仕事だから当たり前かも知れないが。
「……私たちの子って、どういう感じでした?」
「え? いいです……。もう、聞かないでください」
エリザは、後ろめたそうにうつむいた。
「夢だとわかったならば、何でもないことですよ。もしかしたら、予知夢かもしれない。私だって、自分の子供に興味があるんですから」
甘美な夢は悪夢だった。
でも、夢とわかれば無害である。
サリサの笑顔に安心して、エリザはぽつっと呟いた。
「えっと……蜂蜜が好きで、ずるっ子するので、しつけが大変だったです」
仔細を聞いて、サリサは大笑いした。
しかし、やはり岩陰で聞いていたフィニエルは、逆に顔をしかめた。
「エリザ様。それは子供時代のサリサ様そのものです!」
時々、サリサの正体をばらしてやりたいフィニエルではあるが、仕え人たるもの、常に冷静沈着でなければならない。
……フィニエルが冷静沈着だと思っている者は、この霊山には誰もいないのであるが。
いつの間にか、フィニエルの横に医師がそっと歩み寄った。
少しおどおどしているのは、別にフィニエルが怖いからではない。
「あなたまでも観察ですか? 医師の」
この洞窟にいるだろう仕え人の人数を想定して、フィニエルは呆れていた。世を捨て去った身の上で、まったく浅ましいことである。
「はい、いえ、あの……」
相変わらずはっきりしない男である。
「実は……巫女姫の。あなたに真っ先に打ち明けたいと思いまして……」
思いのほか沈んだ声に、フィニエルも顔をしかめた。
「何事です?」
「エリザ様のことですが……夢から覚めても、周期が戻らないんです」
医師は言いたくなさそうに言った。
ちらりと向けた視線の先には、幸せそうなサリサとエリザの姿がある。
「戻らない? 妊娠はしていないのに?」
「つまり……。エリザ様の月病みの年は終わったのです」
さすがのフィニエルも声に詰まった。
月病みの年……。
それは生殖能力の劣るムテの女性に、月経がある年を示している。つまり、巫女として務まる期間と同じ意味だ。
「あの……エリザ様はまだお若く……ですから、その、まさかとは思ったのですが、どうやらあの……」
はっきりしない医師の言葉を遮って、フィニエルが言い切った。
「ようするに、エリザ様の巫女姫としての資格は失われたのですね?」
「はい……」
冬の穏やかな日々は、続かないのが常である。
明日からは嵐――日読みの予言ではそうなるだろう。
=銀の子供/終わり=
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