銀の子供・8
その頃、香り苔の洞窟は大変な騒動になっていた。
まずは、薬草の仕え人が洞窟の外で火をおこし、薬湯を皮袋に詰め込んで湯たんぽにしている。
筋力に乏しいと思われる仕え人たちが、それをひいひい言いながら洞窟の中に運んでいる。
洞窟の中では、唱和の者たちが一同揃って祈り言葉を唱えている。癒しの者の力を補う祈りである。彼女は最高神官を癒しているのである。医師は、次々と運ばれる湯たんぽで最高神官の体を温めている。フィニエルはエリザの手を握っている。
お湯運びに比べると、彼らの役割は一見楽そうに見えるのだが、実はけっこう大変である。なぜなら、薬草は非常に臭いからだ。わざわざ外で煮出して運び込むわけは、洞窟内でその行為を行えば、一同、直ちに昇天してしまいかねないからである。
そこで意識を統一して祈るわけだから……さすが、霊山の仕え人たちだというべきだろう。
サリサは、山の気と同化してエリザの夢に入っていた。
これは、エリザがマリに行った方法と同じである。しかし、水晶台を使わない。万が一、山の気に飲み込まれそうになった場合、誰もサリサを呼び戻せる者がいないからだ。
だが、力の増幅を望めないので、サリサの寿命を大量に消費することになる。力の浪費は生命活動の抑制で多少はまかなえることができるが、時にそのまま死んでしまう者もいる。
ゆえに霊山にいる者すべて揃ってサリサの手伝いをしているのである。
体を温め、体温の低下を補い、癒しの言葉を唱えながら……。
「何でこんな未熟な女のわがままな妄想のために、私達がこんなに似合わない苦労をしなければならないのですか!」
と、誰しもが叫び出したい気分だったが、仕え人たちは世捨て人である。そのような感情的でヒステリックな言動は恥とされている。
最後は我慢大会の様相であったが、さすがは長年鍛えた仕え人たち、誰もが表情ひとつ変えず、紙切れのような薄っぺらな顔で、黙々と仕事をこなすだけである。
すべては、ムテのため、最高神官のためである。
そのためだけに存在を許されているのが、仕え人なのだ。
が。
実は彼ら、未熟な妄想癖を持つ巫女姫のことを、さほど憎くは思ってはいないのかも知れない。
しかし、その忍耐もほぼ切れかけたと思われるとき……。
「ジュエル!」
誰もが叫びたい悲鳴にも似た声を真っ先に上げたのは、エリザだった。
エリザは、子供の姿を求めて帰ってきた。
そして、大声で子供の名を呼んで飛び起きた。が……。
そこで目に飛び込んできたのは、子供の姿ではなく、冷たい呆れた目で自分を見ている仕え人一同の姿であった。
エリザは、その異様な空気にもめげず、あたりをきょろきょろして、再び叫んだ。
「私の……私のジュエルはどこ?」
あたりは静まりかえっていた。
が、やはりここで一番最初に、エリザに説教する人は決まっていた。
「寝言はいい加減になさい!」
ぽかんと口を開け、目を見開いて、エリザはフィニエルの顔を見た。
当然ながら、フィニエルはかなり怒っている。
かなり怒っているのだが、怒っているわけがわからないらしいエリザの様子に、ますます怒りは募っていくようである。
彼女が怒り出すと、感情を表に出すことを恥ずかしいと思っている他の者たちは、反動で大人しくなる。誰もが、そそくさと立ち上がり、その場を後にし始めた。
辛うじて医師と癒しの者だけが、サリサの横に残っていた。
「エリザ様、あなたの妄想はまだ覚めてはいないのですか? ご自分が巻き起こしたことを、よく御覧なさい!」
エリザは、恐る恐るあたりを見た。
なんだか、気分が悪くなる。圧された空気だ。
いつもの場所でも、親子三人家族の家でもない。
そして……自分の横で死んでいるようにして眠っている最高神官の姿に気がついた。
「きゃーーーーーーーー!」
甲高い悲鳴が、洞窟中の岩壁という岩壁に反響して、穴という穴から飛び出し、外に出たばかりの仕え人たちの耳をキンキンさせた。
一の村まで聞こえた……といわれてもおかしくはない声だった。
しかし、その声で眠り続けていたサリサも目をさました。
うっすらと目を開けたが、まだ体は起こせないようである。
「サリサ様! サリサ様! いったい……」
泣き叫びながら、エリザはサリサにすがりついた。
「何が『いったい』です! 何を『いったい』言い出すことやら……」
怒鳴りかけたフィニエルの声は、そこで途切れた。
最高神官を癒していた癒しの者と医師が、同時にフィニエルを押し留めたからである。
「あの……巫女姫の。ここはひとつ……」
切れが悪そうに医師が言い出し、癒しの者が続く。
「サリサ様にお任せになっては……」
医師と癒しの者。実はこの二人、内心お互い気に食わない。だが、さすがは霊山に長年いるだけあって、一糸乱れぬ呼吸である。
その見事さに免じて、フィニエルは怒鳴るのをやめ、立ち上がった。
「一刻の後、迎えに参ります」
エリザはすっかり興奮したままで返事もできなかったが、サリサのほうはうっすらと開いた目を向けて、感謝の意を示した。
フィニエルは敬意を示してその場を後にしたが、彼女の内心はこうである。
(ばかばかしくて……。私はもう知らない!)
何が起きたかわからずに、エリザはサリサにすがり付いてすすり泣いていた。
その重さが胸にのしかかる。サリサはゆっくりと手を伸ばし、エリザの髪を撫でた。
いろいろ、慰めの言葉を考えようとした。でも思い浮かばない。それでも、傷つけないようにいろいろ柔らかな台詞を言ったつもりだった。
でも、やや麻痺したサリサの口からは、最後の言葉しか音にならなかった。
「……いません……」
「え?」
突然の言葉に、エリザはサリサの手を握り締め、頬にすりつけながらも、目を見開いた。
こうなったら、真実だけを言うしかない。
「子供です。子供は……いなかったのです」
感覚が戻った手には、すっと頬の温度が覚めてゆくのが伝わってくる。
はっきりと言い過ぎただろうか?
サリサは少し不安になり、エリザの顔を見つめた。大きな目にジワリと大粒の涙が浮かんでいる。
しかし……。
「……また、私、やってしまったのですね……」
どうやら、自分のやらかしたことに、エリザは自分で気がついたらしい。
暗示は、サリサが目覚めたのをきっかけに覚めたのだ。
「私……本当に……本当に子供を感じていたんです。あの子の存在を……。でも、でも、戻ってきたら……」
もう少しで、最高神官を殺すところだった。
――最高神官に迷惑をかける巫女姫でありたくない。
エリザは常にそう願い続けていた。
しかし、実際は思えば思うほど、愚かなことばかりを繰り返してしまう。
この胸を締め付けるような重たい感触は……マリの時と同じだった。
何が本当で何が間違いなのか、突然わけがわからなくなる。
大事なものを守ろうとすればするほど、大事なものを失っていく。
「私……もうだめです……」
おかしくなってしまう自分が怖い。
このまま霊山にいて、巫女姫を続けて、多くの人に迷惑を掛けてなんていられない。
もう、このまま巫女姫を降りよう。所詮は無理だったのだ。
そうエリザは思った。
「……ごめんなさい。私、もうここにいられない……」
――それが、きっと一番いいこと……。
サリサ様にも、私にも――
でも……。
サリサ様が好きだから側にいたい。迷惑でも側にいさせてほしい。
ここで諦めてしまったら、もう二度と会えないかもしれない。
そう思うと、涙がますます出てきてしまう。
泣いてもだめなのに。
役立たずで務まらなかったのは、自分が至らないからなのに。
エリザは冷たくなったサリサの手をさすりながらも、号泣していた。
……が。
「私の力を見くびらないでください」
サリサは、そう言うと体を起こした。
とはいえ、頭が痛いのか、顔をしかめて手を額に当てている。
「私は、別に死にかけたわけでも、力を浪費したわけでもありません。ただ、生命活動を抑えて、回復に専念しただけで……」
行き場のなくなった手の指先をぐちゃぐちゃ動かしながら、エリザはサリサの言葉を疑いを持って聞いていた。
「……でも……」
「でも、はありません。あなたも知っているはずです。行を行ったときの私の眠りは、常に深いのですから」
エリザは、あっ……と小さな声を上げた。
そういえば、最高神官のお昼寝はいつも深い。
何があっても起きないのではないか? と思うほどである。まさに死んだように眠っているのだ。
「今回だってそうです。他の者に多少のお手伝いはしてもらいましたが、私にはたいしたことではないのです。ちゃんと、あなたの声で目が覚めるよう、暗示を掛けていたのですから……」
もしもこの嘘をフィニエルが聞いていたら、サリサは張り倒されたかもしれない。
「本当……ですか?」
「本当です」
「本当に本当ですか?」
「本当に本当に本当です」
あまりにもしつこいエリザの疑問に、サリサははっきりと答えた。しかし、エリザは顔を伏せ、心苦しそうに呟いた。
「でも……サリサ様……とても辛そうに見えて……」
サリサはしかめっ面をますますしかめた。
「それは当然です。あなたは、この頭痛をもよおすひどい臭いを、何とも思わないのですか?」
湯たんぽの薬湯は、いまや皮袋の臭いとも合成され、最高神官といえど、耐え切れる臭いではない。
なのに、エリザときたら、臭いぷんぷんのサリサの髪や服に顔をうずめて泣けるのだ。
「え? 臭い? わ、私、知りません。あ……」
エリザは真っ赤になって叫んでいた。
「あの、私、泣き過ぎて……鼻がつまっちゃったんです!」
痛い頭を抱えながら、サリサは笑った。
「それは幸運でしたね。さぁ、いきましょう。この場所は私の大好きな場所ですが、今は一刻でも早く外にでたいのです」
ついさっきまで体を動かすこともできなかったとは思いにくい勢いで、サリサは立ち上がり、エリザの手を取った。
その夜……。
霊山では、記録的な量のお湯が消費された。
最高神官を筆頭に、仕え人一同、全員かなりの長髪だから……である。
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