銀の子供・7


 誰かに会わせてしまったら、この子は殺される。

 誰かが、この子を短剣で突き刺して殺してしまうかもしれない。

 黒い小さな影が刃物を持って迫ってくる――

 エリザは必死になって、その影を追い払った。


 エリザは子供に『ジュエル』と名をつけた。

 ウーレンの言葉で「宝石」という意味。

 とある立場の人がその国の言葉で「ムテの珠玉」とか「ムテの宝玉」と呼ばれているところからとった名前である。

 いかにもムテらしい銀の髪。やや切れ長の銀の瞳。子供はすくすくと成長する。忘れられない人の面影を持つ。

 この子供は、まさにエリザの宝石だった。


 白い家。

 朝。パンと蜂蜜。

 ジュエルは蜂蜜が大好きである。うっかりすると、一人で壷ごと食べてしまいそう。

 だから、エリザは一日一匙と制限をつけた。

 なのに、子供は少しずるかった。蜂蜜の壷をひっくり返してしまうのだ。

 こぼれた蜂蜜に慌てるエリザの前で、指ですくってぺろぺろなめ、いたずらっ子の微笑を見せる。


 ――いったい誰に似てしまったこのだろう?

 エリザはしつけに苦労していた。


 ジュエルをけして家からは出さない。

 なぜなら、誰かがやってきて、彼を殺してしまうだろうから。

 エリザ自身も外出は最低限。誰にも会いたくはない。

 この世界は、私とジュエルだけの世界でいい。

 穏やかな日々。子供だけを見ている満ち足りた日々だ。


 お料理を作っている間のことだった。

 ほんの少し目を離した隙に、ジュエルがいなくなってしまった。

 カタカタと風に揺れる扉……外に出てしまったのだ。

 エリザは慌てて鍋もそのままに、家を飛び出していった。

 夕陽が白い村を染める。

 村境の川辺にジュエルは膝を抱えていた。小さな唇からため息が漏れる。

 エリザが声を掛けても返事もしない。どうしたのだろうと、子供の肩に手を掛ける。

「母様……」 

 か細い声でジュエルは聞いた。

 エリザは帰宅を促すようにジュエルの手を引こうとした。しかし、ジュエルは軽く拒んだ。

「母様……教えて。僕の本当の父様は誰?」


 え?

 エリザの目の前は一瞬真白になった。

 誰って……誰だろう?


 とたんに目の前が真っ暗になる。

 子供の姿はない。

「いや! ジュエル!」

 エリザは闇の中を走り出した。


 あなたは、私と……の子供なのよ……。

 私と……誰の?


 闇の中、誰かがエリザの腕を掴む。

 銀色の光。銀の髪。銀の瞳……。


「サリサ様?」


 最高神官は安堵の表情を浮かべていたが、エリザは興奮していて何も見えてはいない。

「サリサ様! 大変です! ジュエルが……ジュエルがいなくなって!」

「ジュエル?」

 やや不思議そうな顔をしたサリサに、エリザは悲鳴のような声を上げた。

「ジュエルです! あなたと私の大事な子供です!」

 今、こうしている間にも、誰かがジュエルを殺そうとしている。エリザはサリサを振りきろうとして、ばたばたと暴れた。

「放してください! 私、あの子を守らなきゃ……」




 サリサは、エリザの空想力に驚いていた。

 いや、この場合、妄想力とでもいうのだろうか……? いもしない子供に名前までつけているとは。

 しかし、必死に夢の中をさまよって、やっと見つけたエリザなのだ、絶対に放すわけにはいかない。

 とはいえ、夢の中で見つからない子供探しに付き合うわけにはいかない。そのような時間もゆとりもないのだから。

 でも、これだけ夢の世界にどっぷりとはまってしまい、しかももう何年も経ってしまったと信じているエリザを、どうやって納得させればいいのだろう?

 一瞬困ったサリサだが、答えはすぐに浮かんできた。


「ジュエルは……ほら、あの香り苔の洞窟で待っていますよ」

「洞窟?」

 エリザが反応したので、サリサは少しほっとして微笑んだ。

「私たちが二人であの子を育てていたころに、一緒に住んでいたところですよ。あの日々は……とても幸せでしたね」


 思い出した……。


 霊山に新しい家を持ち、そこで三人で過ごした日々。

 サリサ様は、昼の行を途中で抜け出して、ジュエルに会いに来るんだった……。

 私はいつもお料理をして……あぁ、二人とも蜂蜜が大好きで……。


 それは、いったいいつのことだっただろう?

 

「ジュエルは……霊山に戻ったの?」

 不安げにエリザが聞く。半信半疑という顔だ。

「そう、生まれたところに……。ここと、ここに……」

 サリサは自分の胸を指差し、エリザの額に指を添えて微笑んだ。

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