銀の子供・5


 赤い染料は無駄になった。

 フィニエルは疲れ果てていた。

 村々からたくさん運ばれていた荷を、冬用の保管庫に運ばせる。いつか、再び必要になればいいと思いながら。


 霊山の空気は、お祭り騒ぎが静まって、一気に冬が来たようである。

 窓から差し込む光はお昼を示しているが、夏の時よりも影が長い。冬の訪れは、日を傾けさせる。


「皆様に、今回の騒動の説明をしなければなりません」

 食堂に集まった仕え人たちを前に、フィニエルの顔も冬のように枯れていた。

「まずは今回の誤報に、医師の責任はありません。なぜなら、彼はずっと確信を持てないといい続けていたのです。しかし、私を初め、誰もが本気にしませんでした。サリサ様を含めて……です」


 と言いつつ、フィニエルは知っている。

 最高神官は、知っていた。

 知りつつも、彼もその甘美な夢に身をゆだねたいと願っていた。


「理由は……エリザ様が霊山全体に暗示を掛けたからです」


 一部でざわっと声が上がる。

 この異常さ……。

 霊山は百人もの巫女姫の出産と子育てを見守ってきた。しかし、このような想像妊娠に振り回されたのは、始まって以来のことである。


「しかし、それはあの方の悪意からではありません。むしろ、我々の過大な期待が、あの方を追い詰めてしまったともいえます。子供さえできれば、すべては叶う……そう思い込んでしまったのです」


(なんと……情けなくも未熟なことか……)


 仕え人たちの心の声が聞こえてきたが、その未熟者の暗示に屈したのは誰なのだ? と心の中で言い返す。

 案の定、大人しくなったものが数名いた。


「皆さんの意見をお聞きしたいのです。エリザ様の今後のことにつきまして」

 そこで言葉を切って、フィニエルは今まで言ったこともないような、情けない言葉を口にした。

「……疲れています。座らせてください」

 言い終わらないうちに、彼女は近くの椅子に座った。

 


 ――動揺したのだった。


「フィニエルは私がねたましいんだわ! 子供を授かった私が!」


 そうかもしれない。

 もしも子供ができたならば……。

 と、思わなかった日々もなかったわけではない。


 でも、それらはすでに遠い過去となった。

 今更、戻ることはできない。

 わかっていながら……動揺したのだ。


 だから、エリザに、覚めないほどの強い暗示をかけてしまった。



 フィニエルに見習って、仕え人たちは椅子を持ち寄り、おのおの座った。まるで丸く輪になって、こそこそ話をしているかのようである。

「エリザ様はすでに十日間眠り続けています。体は弱り続けています。先日から最高神官の祠にての治療も行われていますが、まったく目覚める気配はございません」

 フィニエルは少し言葉を切った。

「私は責任を感じております。暗示を止めさせるためとはいえ、このように深い暗示をかけ返してしまったことに。ですが、霊山のためには、仕方がない選択でした」

 あたりが少しだけざわついた。

 確かに、もう少しでエリザの茶番劇に皆が踊らされ、とんでもないことになるところだったのだ。

「しかし、今度は巫女姫の命を助けるために、そして負担を少しでも和らげていただくために、選択を迫られています。すなわち……」

 フィニエルは、息を吸い込んだ。

 今までの霊山では、考えられないようなことを言わなければならないのだ。

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