銀の子供・3


 エリザは針仕事の練習をしていた。

 赤衣という特別な物を作るのは初めてだが、裁縫には自信がある。

 そう、兄の服のほつれだって、よく直してあげていたのだった。と、思ってエリザは不思議な気持ちになる。

 霊山の生活は質素である。

 だが、充分に恵まれているので、ほつれたものを直して着るものはいない。質素ではあるが、やはり豊かなのである。


 ……とはいえ、ここは温かみがない。

 誰しもが、熱を持たない、死に絶えたような世界なのである。

 仕え人たちは、滅多にエリザに挨拶することもない。お互い挨拶することもない。

 言葉を交わすことは品がないと思っているらしい。心話はするくせに、友情やふれあいは、世捨て人には不要だと思っているのだ。

 それが、長年この霊山に君臨してきた前最高神官マサ・メルの教えであり、霊山の掟である。彼ら仕え人は、清く正しく、その掟を踏襲しているのである。


 でも、エリザには理解できない。

 何事も不要・不要・不要では、息が詰まってしまう。

 生きているのから、たまには楽しいことを……と思う。だが、うっかりフィニエルにそう言うと、はっきり言い返されてしまった。

「我々仕え人は、もう時を終えています。生きている者とは違います」

 エリザは言葉をなくしてしまう。


 ムテの寿命としては、それは真実かもしれない。

 でも……。

 フィニエルだって、死んでいるわけじゃないわ。

 他の仕え人だって……。

 感情を殺す必要なんて、どこにあるのかしら?

 それがどれくらい、合理的でムテの制度に合っているのかしら?

 それに……サリサ様や私は、時を終えたわけじゃない。

 今を生きているわ。


 手馴れた単純作業をしていると、どんどんいろいろなことを考えてしまうものだ。

 ムテを守るための制度なのだから……と、必死に言い聞かせて自分を納得させてきたのではあるが、気がつけば疲れ果てている。

 がんばって馴染もうとし、がんばって受け入れようとし、従ってはいるのだけど。

 時々、ぐぐっと息苦しくなるのだ。

 それが、きっとあの人にもあるのでは? とも思ってしまう。

 よく考えれば、絶対にありえないことを、エリザは真面目に考えていた。


 ――サリサ様も、私の村に来て一緒に住むことはできないのかしら?


 きっとそれがいい。そうしたい。

 霊山を離れて故郷こきょうで。

 親子三人、幸せになれる……。


 

 ちょうどその時、やっとの思いで赤い染料の確保に成功したフィニエルが尋ねてきた。

 エリザの針仕事の見事さにすっかり安心しているフィニエルではあったが、ほったらかし……というわけにはいかない。

「失礼いたします」

 と、敬意を表したフィニエルだが、顔を上げてすこしだけギクリとした。

「あら? どうしたの?」

「いえ、何でもございません」

 何でもなくはない。

 一人で何かを想像して微笑むエリザに、なにやら恐ろしいものを感じてしまったのだ。まさか、今、恐ろしいことを考えていますか? などとは聞けない。

「いえ、思ったよりも練習がはかどっているようなので、驚きました」

 そう言って、フィニエルがエリザの手元を覗き込んだときである。

 突然、エリザが甲高い声を上げた。

「あ、動いた!」

「え?」

「フィニエル、今、おなかの子供が動いたんです! ほら!」

 そういって、エリザは無理やりフィニエルの手をとると、自分のおなかに当てさせた。

「何をばかな……。まだ、お子ができてから日が……」

 言いかけたフィニエルの言葉が途切れた。

「ね、ね、動いたでしょ? ね!」

 楽しそうに笑う笑顔に屈託はない。

 しかし……。

「エリザ様、まだお子ができて日が経っていません。動くはずはありません」

 フィニエルは少しこわばった。

「医師に見てもらいましょう」


 急に何かから醒めたような気がする。

 それも、醒めてはいけないものから、醒めてしまったような、嫌な予感が……。




 その頃。

 最高神官の仕え人は「巫女姫選出」の下準備で忙しくしていた。

『赤の祭り』以降、現巫女姫の行はすべて取りやめになる。と、同時に、行のすべてを引き受ける新しい巫女姫を迎える儀式でもある。

 適任者がいれば、の話ではあるが。


 ムテの女性は、五年に一度の割合で『月病みの年』を迎える。つまり、子供を産むことができるのは、五年に一度だけである。

 多少の変動はある。中には二年、月病みの年がある者もいたり、三年で再び巡ってくる場合もあったりである。

 しかし、ほぼ決まっていることもある。月病みの終始は春だということ。だから、春には新しい巫女姫を選出しなければならない。

 初冬に新しい巫女姫を選出するのは、難しいことである。巫女姫の仕事をこなすには、あまりにも時間が短すぎるのだ。

 しかし、今の巫女姫が懐妊となれば、もう巫女姫としての仕事をこなすことはできない。


 最高神官の仕え人は、前回の選定の際の次点者を選び出した。

 前最高神官の巫女姫であり、すでに「癒しの巫女」として充分な地位を得ている者である。しかも、すでに、神官以外の一般人の子供を産み育ててた経験もある。

 このような者が再び選ばれることは、前代未聞のことではあるが、他の候補は話にならない。


 ――ムテの血は、末期的な状況にある。


 彼女は再び巫女姫に選ばれるべく、五年間の祈り所生活をして選定の場に挑んだ。自らの純潔を示すための行為である。

 それだけ、能力ある者の責任は思い。巫女姫に選ばれるだけの能力あるものは少ないのだ。 

 

 エリザは、今の巫女姫の母屋を新しい巫女姫に譲ることになり、別宅で一年と少しを過ごす。子供の成長が安定したら、山を降りることになる。

 最高神官の子供を得た巫女の将来は、非常に恵まれたものである。

 まずは『癒しの巫女』という地位を得る。特別な手当などは養育費程度なのだが、霊山の所有する土地での薬草採取が許可されているのだ。貴重な薬は、『癒しの巫女』に富を与えるだろう。

 子供が五歳になったならば、再婚もできる。

 富も栄誉も持つ『癒しの巫女』には、求婚者も殺到する。エリザのような美しい少女ならば、おそらく引く手数多だろう。


 エリザの仕え人として最初に付いたのは、この最高神官の仕え人だった。途中で当時の最高神官の仕え人と入れ替わったのだ。

 彼は、エリザとの日々を思い出していた。

 目に浮かぶのは、何をしても何もできず、棒切れのような腕と足をもった、情けない子供の姿だ。

 取って食われるのではないか? とでも思っているような、そんな不安な目で、いつも仕え人を見ていた。そのうえ、強情で言うことをきかないわがままな少女である。

 かたくなな態度には、手をやいた。

 彼にとって、エリザは単なる困った巫女姫である。が、子供を為すことができるのであれば、大人として認めるしかないだろう。


 しかし。

 何か奇妙な気がする。何かが――。

 彼は首をひねった。




 その頃。

 サリサはぼっとしていた。

 昼の祈りまでのわずかな時間。前日のエリザとの会話を思い出していた。

 夢見心地のエリザの表情は、サリサを魅了してしまう。

 まさに、彼女自身が蜂蜜飴にでもなってしまったかのように、甘ったるい笑顔を見せるので、ついつい唇が欲しくなってしまうのだ。

 だから……。

 ひとり思い出し笑いをしてしまい、サリサは自分でも驚いてしまった。

 誰も側にいなかった幸運に感謝するばかりである。

 エリザは、以前のように口づけひとつで身を硬くするようなことがなくなった。

 それは、一人の男性として信頼されているということだろうか? それとも、子供を身ごもったゆとりなのだろうか?

「子供?」

 サリサは、ふっと口に出して不思議な不安を覚えた。


 実は、サリサはここしばらく、エリザにはもう二度と自由に会えないだろうと落ち込んでいた。

 後に訪れる別れの日を思うと、あまり本気にならないほうがいい……というフィニエルの忠告が納得できるゆえに、強く会いたいと主張できなかったのである。

 それが何とも幸運なことに、エリザが妊娠したことにより、フィニエルが再び目をつぶってくれるようになった。

 これは儲け物とばかり、頻繁にあってしまう。

 フィニエルの心配がわかるだけに、少しは自重しなければ……と思いつつ、気持ちに歯止めがかからない。

 一瞬一秒でも長く側にいたいと思うのだ。

 今までもそうだったが、今まで以上にそう思う。


 あの夜、初めて二人……満ち足りたと感じたから。


 エリザと見た夢が空想の賜物であると知っていても、とても否定する気持ちにはなれない。

 現実では――

 サリサは別の巫女姫を迎え、エリザを抱いたように彼女を抱く。懐妊した前巫女姫などと会うことなど、通常ありえないのである。

 もちろん、サリサは昼の行を抜け出して会うつもりなのだが、そのときに自分がどれほど嫌な気分になってしまうかは、想像したくない。


 温かな家庭であるはずがないのだ。


 子供のことを考えると、なにやら不安な気分になるのは、おそらくその後のことを考えてしまうからだろう……と、サリサはため息をついた。

 そして――。

 ほんのわずかしか残されていない日々のために、不安な気持ちをすべて封印し、今の幸せに浸ろうと考えてしまった。

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