銀の子供
銀の子供・1
「判断しかねる?」
巫女姫の仕え人が不思議そうな声を上げるのを、医師は申し訳なさそうな顔をして聞いていた。
医師という特殊性から、彼はすこしばかり他の仕え人とは少しタイプが違う。
魔力などというものから一番正反対の位置にいて、ここだけの話ではあるが、魔を扱って治療を為す癒しの者とは気が合わない。
世捨て人と言われている立場上、大きな声では言えないが。
どちらかというと気が小さく、あまり面倒を抱え込みたくないのが、彼だった。
「はい、巫女姫の。エリザ様は、確かに月の物は遅れているのです。しかも、体から発する熱量も高く、お子ができたかのような反応なのですが……」
「違うのですか?」
物言いのはっきりしている巫女姫の仕え人に比べ、はっきり物を言うタイプではない医師は、少し勢いに負けていた。
巫女姫が「妊娠した」と言い出したのは、今からさかのぼること一週間前。様々な検査を試みたのだが、これといった確証にいたらない。
「違わないかもしれませんが、検査ではまだ反応がありません。まだ、日が浅いのかもしれませんし……」
医師はやっと疑問を呈した。
「だいたい……あの、いつの行為が妊娠に至ったのでしょう? 前々回からならば、もう月の物がありましたし、前回は十日前。どう考えても妊娠を決定するには早すぎます」
「それはそうですね」
意外とあっさり巫女姫の仕え人――フィニエルは医師に返事をした。
内心、彼女の考えていることはこうである。
(お二人のことだ。あの分じゃあ、どこでどのようなことをしているのか、わかったものではない)
そのような仕え人の内心など、医師に読めるほどの力はない。
「あの……私ははっきり申しますと、今回はまだ……」
はっきりしていない医師の言葉を無視して、巫女姫の仕え人はブツブツと呟く。
「エリザ様は女性としての周期がまだ乱れている若輩者。日中でも妊娠不可能の周期の時でも、数さえこなせば偶然があるのかもしれない……」
「はぁ? 数?」
なんだか、すごい言葉を聞いたような気がする。医師は耳を疑った。
巫女姫の仕え人は、医師の驚きに答えて言いなおした。
「周期が乱れているということは、計画通りにはいかないということですよね。ですから、月の物前の受精卵を保存しているってことも、偶然ありえますね」
「偶然? それは奇跡です!」
医師は疲れた。
巫女姫の仕え人のような才女でも、医学的知識のなんと寂しいことだろう? 本気とは思えない血迷い方である。
ムテは医療の大家であると言われているが、それは正確には癒し系の魔力と積み重ねてきた薬草研究のおかげである。医学ならば、別の島にいる蛮族のほうがよっぽど通じているに違いない。何の魔の力を持たないがゆえに……。
「とにかく巫女姫の。今回の巫女姫のご懐妊は、まだ確認が取れていることではありません。エリザ様には、もう少し待つよう……」
「それは無理です」
巫女姫の仕え人はあっけなく言った。
「一応口止めはいたしましたが、今日のお昼には最高神官までそのことをご存知でした」
医師の顔色はざーっと音を立てて引いた。
「まだ、医学的には何の根拠もないんですよ!」
悲鳴にも近い叫び声は、この医師が霊山に上がって初めてあげた奇声だった。
医学的見地よりも、魔の力を重視してしまう霊山の慣例は、歴代の医師という存在を苦しめてきた。
さらに今回、この情報を触れ回っているのが巫女姫その人なのだから、本当に困ったことである。
朝の祈りの時もニコニコ、食事の時もニコニコ、隣で仕え人が顔をしかめているときでさえ、巫女姫ときたらニコニコなのである。
霊山で、これほど幸せいっぱいな顔を見せる巫女姫は、今までかつていなかった。
そして、話し込むなどもってのほか……と思っている仕え人たちを捕まえては、子供ができたことを吹聴してまわっているのだから。
あまりのどうしようもなさに、巫女姫担当の仕え人の顔が歪んでも、誰も『世を捨てた身の上で、そのようにあらわな顔をするとは』とは思わないのだった。逆に、あれでは仕方がない……と、同情を誘うほどだった。
まだ確実に妊娠が確認されたわけではない。
まだ伏せておく段階である。
各村々の神官たちへの報告は、どうにかこうにか止めさせることができた。どうやら仕え人の中にも、冷静な判断力を持っている者が、辛うじて残っている。
しかし。
巫女姫の扇動に乗せられて、霊山はすでに『赤の祭り』の準備が始まっていた。
赤の祭りとは……。
まずは、大事を取って巫女姫の祈りの行はすべて中止となる。そのかわり、巫女姫は赤衣と呼ばれる子供用の服を毎朝縫うことになる。
しかも、これは儀式であるから、一日三百六十五針しか打ってはいけないとされている。そして針数が多ければ多いほど、生まれた子供は魔力が強い、などという迷信があるので、余計にやっかいなのだ。
つまり、妊娠が早くわかれば早くわかるほど、早く儀式に取り掛かれる。さらに、ぎりぎりまで針仕事ができる安産であれば、なおよい。
医師にとっては腕の見せどころ……いや、頭が痛いところである。
『赤の祭り』というのは、この一針目を祝うものであり、早ければ早いほどいいので、皆、気が急いているのだ。
しかし、それにしても霊山の落ち着いた気の中では、極めて異常な状態だ。今までの巫女姫懐妊ではありえなかった事態である。
そのとばっちりは、医師が背負うことになりそうである。
「まったく……まるで合理的なようで合理的じゃなく、ほとんど迷信が基本なんですよ、ここの制度は……」
医師はいつになく華やいだ母屋で、ぼそっと呟きながら遅めのお昼を食べた。
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