愛しあうこと・4


 白い陶でできた部屋。

 焼きあがったパンは、白くて柔らかい。

 エリザは、野菜を煮込んだスープとお茶、蜂蜜を添えて運んでいる。

 日差し溢れる暖かな部屋。木製のテーブルと木綿のクロス。小さな人影が、テーブルに向かって座っている。

 マリだった。

 少し大きくなったようだ。銀糸の髪は、背に掛かるほどに伸びて、病の痕もすっかり癒えている。

 マリは、届かぬ足バタバタさせていた。

 誰が、この子を大きな椅子に座らせたの? その答えはすぐ横にあった。

 勢いあまって落ちそうになったマリを、背の高い銀糸の髪を持つ男の人が支え、座りなおさせようと抱き上げた。

「サリサ様……」

 涙が出そうになった。

 なぜ?

 泣く必要など、まったくない。これは毎朝のことなのだ。

 いつもと変わらない朝の風景なのに……。

 サリサはエリザに気が付いて、振り向くと微笑んだ。


 三人で外に出かけると、なぜか人だかりが街の端から端まで続いていた。

 噴水の水が、光をはらんでキラキラと輝いていた。


――この良き日……。


 エリザはサリサと並んで、マリの手を引きながら、列の一角に加わった。

 誰もが頬を紅潮させ、向こうから来る行列を一目見ようと構えているのだ。

 巫女姫の華やかな一行が、やがて向こうのほうからやってきた。

 突然、何を思ったのか、マリがエリザの手を離れ、列のほうへと走りだした。エリザは慌ててマリを追いかけ、列の手前で捕まえた。サリサがふくれっつらのマリを抱きあげた。

 そして、家に戻ろうとしたその時……。

 エリザは振り向き、そして見た。

 輿の上の巫女姫の姿を。

 美しい絹の衣装とヴェール。光輝くサークレットを額につけた美しい女性を。

 ムテの女性ならば、一度は巫女姫になりたいと願うだろう。最高神官の血を残す尊き存在になりたいと。

 エリザはうっとりと巫女姫を見入った。

 しかし、彼女はエリザと目があったとたん、驚いたような表情をした。

 そして、大きな瞳からはらりと涙を流した。


「……え? 私?」


 突然、あたりの風景が激しく回転する。

 目の焦点が再び合った時、エリザは輿の上にいた。

 見知らぬ女性が自分を見つめていた。小さな子供を抱いた男性に寄り添い、去りゆく輿を見送っていた。

 そして、満足そうに振り返り、白い陶の家の中に吸い込まれていく。

 幸せそうな笑い声を残して……。


 ――まって!


 手を伸ばした。届かない。

「サリサ様!」 

 エリザは夢の中で叫んでいた。

 彼は振り向いた。手を差し出したようにも見えた。

 でも、暗闇だけが二人の間に横たわり、手はいくら伸ばしても届かない。

 ただ、微笑んで離れてゆくだけである。

「待って! 待ってください!」

 時間はまたない。

 エリザはサリサの側にはいられない。

 愛などではなく、制度で繋がっている二人なのだから、任期が過ぎればもう他人だ。

 長い人生のひとつの思い出にでもすればいいのだろう。


 でも。

 それだけではなかったはず……。


 笑って去っていかないで。

 それだけではなかったと、手を差しのべて言ってほしい。

「嫌です! 私を一人にしないで!」

 やがて、すべては闇に消えかけた……が……。

 サリサの手に、エリザの手よりもずっと小さな手が掛かる。

 彼は歩を止め、その小さな存在の手を握りしめた。その顔に柔らかな微笑がふわりと浮かんだとたん、あたりは光に包まれた。

「え?」

 気が付くと、エリザの手も握られていた。

 サリサの手ではない。もっと小さな、ほんの小さな手だった。

 サリサにも似た銀色の瞳を持つ小さな子供が、光の中、微笑みながらエリザの手を握っている。

 そして、もう片方のその子の手は、サリサが握っていた。

 マリとも違う……小さな男の子。あまりの愛しさに涙が出てきた。

 その子をぎゅっと抱きしめる。

 二人が愛し合った証の子供……エリザにはすぐに分かった。

 愛しい子を抱きしめる自分の肩をさらに抱きしめてくれる存在を感じた。

 さきほどとは違う温かい涙が、こらえきれずに流れては落ちる。


 この子がいれば……。

 きっと、どんなに離れたって二人繋がっていられるわね?

 辛いことがあっても……きっと生きていけるわよね?

 私たち、幸せだって……わかりあえるわよね?


 


 お腹が……重たい。

 エリザは目を覚ました。

 そこは、白い陶の部屋などではない。牢獄にも似た巫女姫の部屋である。

 しかし、フィニエルがそばにいた。それに、医師も一緒だった。

「大丈夫ですか? あなたは昨夜倒れられて、丸一日お眠りになっていたのです」

 そんなに? いや、もっと長く夢を見ていた気がした。

 エリザの母が望んだ、平凡な幸せの夢だった。

「夢を……見ました」

「夢から覚められましたか?」

 フィニエルがエリザの手を握り締めている。子供の手ではなかった。

 さすがに、自分の言葉でエリザが倒れてしまったので、後ろめたさもあったのだろう。いつもとは違って、労わるような優しさを感じた。

「夢……?」

 エリザの中から別の声がした。

 おもわず、お腹に手を当てる。そこに、何かの存在を感じていた。

「夢……ではないです」

 エリザは、おそらく予知夢を見たのだ。

 エリザと、エリザの中に宿ったものが、その夢を作った。

 輿の上のエリザと、白い陶の家に住むエリザ。二人の大きな違いはひとつ。

 巫女姫であるエリザは制度でサリサと繋がっている。しかし、もう一人のエリザは小さな手を介して愛する人と結ばれているのだ。


「フィニエル、私、子供ができたんです」


 突然のエリザの言葉に、医師とフィニエルは顔を見合わせた。

「あの、お言葉ですが……エリザ様。私にはまだ……」

 医師の言葉をさえぎるように、エリザはもう一度はっきりといった。

「いいえ、間違いないです。私、感じるんです」

 フィニエルの手がエリザの手を撫でた。

「医師の正確な判断なしで決め付けてはいけません。ですが……」

 彼女は微笑んだ。

「とすれば、あなたは今は御身ひとつのものではありません。ゆっくり日を改めて、検査をしてみましょう。それまでは、他言しないように……」


 医師とフィニエルが退室したあと、エリザはそっとお腹をさすってみた。

 かわいい銀色の男の子。

 あの夢の中で、二人の手を取ってくれた存在が、間違いなくそこにいる。そんな気がする。

 窓を揺らす風は、いかにも冷たそうな音を立てている。


 ――霊山に冬が来る。


 これから来る季節は寒くて凍える日々かもしれない。

 でも、私たちは愛しあっている。

 その証拠が私に宿っているのだから……。

 だから。

 絶対に乗り越えられる。

 ただ、ひたすらに愛を信じられるならば――

 夢は、いつか必ず訪れるだろう。


 フィニエルが言ったように、女は器なのかもしれない。

 でも、それは愛を受けとめ、育み、生み出す器なのだ。

 

 ただの器などではない。

 ――女は愛する器である。

 



=愛しあうこと/終わり=

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