愛しあうこと・3


 食欲がない。

 吐き気がする。

 今日のことがあまりにショックで、エリザはふさぎこんでいた。

 フィニエルはいつもとまったくかわらず、じっと食事の様子を見ては、小さな文句をつけてくる。

「偏った食事はいけません。粥もちゃんと食べてください」

 とは言われても、薬草の混じった今日の粥は、なんだか奇妙な香りがしてむかつくのだ。

 健康にいいとされる舞米を、消化吸収されやすいように煮つぶしている。さらに体調を整える作用があるとされる七種の薬草を混合した霊山特有の粥だった。

 美味しいも何もあったものではない。

 健康第一はわかるけれど、食欲をそそられない料理は意味がない。しかも、今日は特別にまずい。

 サジですくって少しなめて、エリザはそのまま首を横にふった。


 フィニエルが調合した湯は、安息効果が高い配合だ。

 さらにエリザが大好きな美しい瑠璃色の透明な色だった。

 今日のエリザの様子を知っていて、少しでも気持ちを和らげようとしてくれているのは、わかる。

 でも、エリザには、フィニエルの態度の意味がどうしてもわからなかった。

 今まで、なにかと文句は言えど、二人の仲を応援してきてくれた彼女が、まるで手のひらを返したよう。


 ――どうして?


 お湯に浸かりながらも、疑問が頭から離れない。

 体を流すフィニエルの手が一瞬止まる。気が付くと、彼女の目はエリザの胸の一点に集中していた。まだ、かすかに痕が残っていた。

 エリザは慌てて体をひねり、両手でその部分を覆い隠した。

 涙が溢れてきた。

「どうして? どうしてなのよ!」

 湯船の淵に顔をうずめて、エリザは泣き出した。

「どうしてそんな意地悪をするの? どうして私たち、会ってはいけないの? どうして?」

 しばしの沈黙が流れた。

「では、聞きますが……」

 やはり冷静なフィニエルの声。

「エリザ様、あなたはなぜ、巫女姫に選ばれたのですか?」

 突然の基本的な問い。

 エリザは、ふっと顔を上げた。

「……え?」

 答えようとして、エリザは目の前が真っ暗になっていくのに気が付いた。


 なぜって……。

 巫女姫は、なぜ選ばれるのかって……。それは……。


 気が付くと、岩屋の天井が見えていた。

 まだ、目の上を闇の輪が飛んでいて、かすかに天井が回って見える。

「湯あたりさせてしまいました。申し訳ありません」

 扇の風が気持ちいい。

 横になっているエリザの隣に座り、フィニエルは風を起こしていた。

 力ある銀のムテ人は、皆一様に似たような雰囲気を持つ。フィニエルとサリサは、ある意味似ているところがあり、エリザは少し切なくなった。

「エリザ様、巫女姫が選ばれる一番の理由は、力ある神官の血を絶やさぬためでございます。それはもちろん、おわかりですね?」

 もちろん、わかっている。

 だから、エリザは顔も見知らぬうちに最高神官に抱かれる覚悟をつけてきた。少なくてもその覚悟で村をあとにしたのだ。

「我々は、そのために最善を尽くしております。できるだけ無駄なく、効率よく……。なぜならば、最高神官の力は少しでも温存させなければならないからです。ムテの力はムテの寿命と引き換えに発されているもの。あの方が無理をなされば、それはあの方の死を近づけ、ムテの滅びを引き寄せることとなるのです」

 それも知っている。

 だから、祈りでも何でも、足を引っ張らぬよう必死で努力してきた。至らないとは知りながら、最高神官の足を引っ張る巫女姫ではいたくなかったから、可能な限り頑張った。

「私が、今まで見て見ぬふりをしてきたのは、あなたが巫女として力を発するようになるためには、サリサ様とお会いすることが効果的だと考えたからです。でも、今後は逆効果。あなたのためにはならないでしょう」

「どうして? どうしてそんなこと、わかるんですか!」

 エリザは叫んだ。興奮すると、ますます胸が悪くなる。

「最高神官との間に愛があると、勘違いなさっているからです」


 愛……。


 確かに、エリザとサリサは、愛のない関係から始まったにちがいない。

 出会いは作られたものだった。しかし、だからといって愛が生まれないわけでもない。

 お互いに抱きあい、愛し合い、幸せを感じあった。

 それが愛ではないのだろうか?

 それは単なる勘違いなのだろうか?

 それならば、本当の愛というものは、どのようなものだというのだろう?

 彼のことを考えるたびに、締め付けられるようなこの思いを、愛と呼ばないで何と呼ぶというのだろう?


「妄想です。巫女姫は、子供を宿すための単なる器にしかすぎませんから」


 エリザは上半身を起こすと、フィニエルを睨みつけた。

 大きな瞳から涙がこぼれた。迫力があったのか、さすがのフィニエルも驚いている。

「私は……器なのですか!」

「そうです。巫女姫はそうあるべきです」

 エリザはぼろぼろと泣きはらした。

 湯あたりがまだきつく、急に起きたせいか、頭が痛む。

 子供を作る器。

 大人の体になるということは、そういうことなのだろうか?

 鏡に写った自分の姿。美しいうなじと柔らかな乳房。そして艶やかな肌。

 巫女姫としての使命を果たすために、そう変化したのではない。

 ただ、ひとつの望みのためだけに。

 エリザは泣きながらも、はっきりと言った。

「愛を受けとめる器でもありますわ……」

 それは、フィニエルに対する初めての口答えだったかもしれない。


 パシッ! 


 という切れのいい音とともに、頬に痛みが走った。

 フィニエルの表情が、やや怒りに紅潮している。が、口調は冷静なままだった。

「妄想は覚めましたか?」

 仕え人が主人たる巫女姫に手を上げる。無礼極まりない行為を、彼女は平然とやってのけた。

「甘いことを言ってはいけません。自覚なさいませ」

 フィニエルは言った。

「子供を授からない巫女は解任されるか、再び時を待つか……。いずれにしても、残された時間は半年もありません。子を授かったとしても一年です。子を産んだならば、霊山を離れる身なのです。あとは【癒しの巫女】として、あなたは郷に錦を飾ればよいのです。そして……」

 頭がくらくらしていて痛かった。エリザは、顔をゆがめた。それが気になったのか、フィニエルのほうも一瞬言葉を飲み込んでから、覚悟を決めたように付け足した。 

「サリサ・メル様は、新しい巫女姫を迎え、彼女を同じように愛するでしょう」

 一瞬、言っている意味がわからなかった。

「……え?……」

 エリザは、奇妙な声をあげた。

「最高神官にとって、巫女姫はただ一人の存在ではありません」


 目の前が真っ白になる。

 新しい巫女姫。

 同じように愛する?

 そして……自分は、郷に帰り……。


「嘘! だって、サリサ様は!」

「あなたを愛しているとでも言いましたか?」

 愛しているなどとは、言われたことがなかった。

 何かガラリと音を立てて崩れた。

「たとえ言ったとしても、来年の巫女姫にも同じことを言います」

「だって! だって、幸せだって……そう言ってくださったのですもの!」

「それは巫女姫に対する応援というものです」

「だって……そう、感じたんです!」

「ですから……妄想なのです」

「違います!」

「信じれば、ただ、あなたが傷つくだけです」


 巫女制度のことを、エリザはよく知っているはずだった。

 だから、いつか郷に帰るのだと思っていた。

 でも、それが最高神官との永久の別れと同じ意味を持つことを、どこかですっかり忘れていた。新しい巫女姫のことだって、充分に知っていたはずだった。

 都合の悪いことは、すべてエリザの記憶から欠落していたのだ。

 最高神官は毎年新しい巫女を選ぶ。そして、おそらく同じように抱き、愛し、胸に印を残すかもしれない。

 同じように微笑んで、同じように幸せを感じ……。

「嫌ぁーーーーー!」

 エリザは耳をふさいで絶叫した。


 聞きたくない。

 見たくもない。

 絶対に認めたくない。


 その後、まったく記憶がなくなった。

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