フィニエルの憂鬱・2


『祈りの儀式』の練習のがんばりには、感心を通り越して困ってしまった。

 サリサ様の『わざと失敗』にも困ったものだったが、エリザ様の『こっそり真似っこ』にも、本当に困った。

 斜め横に控えていたつもりなのに、いつの間にかあの方は私の後ろに回ってしまう。そして、私の歩き方を観察し、真似っこなさるのだ。

 こそこそとまるで泥棒のように背後に近づき、すべてを真似る。止まれば止まるし、こほんと咳をすれば、咳をする。気持ちが悪いったらたまらない。

 しかも、私がうっかり石につまずいて転びそうになった時、あの方は本当に転んでしまったのだ。

「なぜ、仕え人である私が、あなた様の前を歩かなければならないのです? 何をなさっているのです!」

 そんな失敗まで真似られると困る。

 しかも、大事な『祈りの儀式』前に怪我でもなさったらどうするつもりだろう?

 慌てて助け起こして、怪我がないか顔を見る。そして、手。足。掌をすりむいたくらいでほっとした。

「だって……フィニエルのように素敵に歩きたいんですもの」

 私は、エリザ様の手をとったまま、真剣なまなざしに見入ってしまった。


 擦り傷はたいしたことはないが、念のため、巫女姫の部屋に戻り、手当てをする。

 消毒のための液剤がしみたのか、涙目になっている。少し、薬が濃かったかも知れないが、別に真似事の復讐や意地悪ではない。

「フィニエルが巫女姫だった時って……きっと素敵だったと思うわ。だって、今だって素敵だもの。はぁ、それに比べて私ったら……」

 おそらく、ご自身の魅力になど気がついていないのだろう。私は私、エリザ様はエリザ様であるのに。

 転んでばかりで情けないと、エリザ様は小さな息をはいた。

 そういう仕草が、きっとサリサ様にはたまらないのだろうと思う。

 どこか抜けていて、誰かが見ていないと、だめそうに見える。彼女は彼女なりにがんばっているのだが、それが空回りするだけに、余計力になってあげたくなる。

 それに、エリザ様は、ムテらしからぬ艶を持ち合わせている。まだ未成熟な感じではあるが、柔らかく温かな気をもっていらっしゃる。私ですら、少し触れてみたくなる衝動にかられてしまう。

 情感にあふれているというのか……。とにかく、今まで霊山にはいなかったタイプの女なのだ。

 そして、とんでもないことを言い出してくれるのだ。その、かわいらしい桃色のふっくらとした唇で、ふっとため息を漏らしながら。だから、いじめてさしあげたくなってしまうではないか?

「フィニエルが巫女姫で、きっとマサ・メル様ってお幸せだったのでしょうね」

 私は黙って傷口に練り薬を塗りこんだ。

「あ、うっ……」

 エリザ様は顔をしかめて我慢した。赤面症の顔が赤くなる。

 霊山には、ここまではっきりと表情を変える者はいない。だから、余計に刺激的なのである。涙目になった巫女姫の苦しそうな顔は、なぜか見ていて気持ちがいい。

 はっきりとお伝えする。

「マサ・メル様は、ご自身を捨て去った最高神官であらせられます。幸せだなどという感覚は、持ち合わせてなどおりません」

 少しがっかりした顔をなさるのは、痛かったからか? それとも……。

「サリサ・メル様も、同じ最高神官であります。それを、お忘れなきよう……」

 私は忠告した。無駄なことかもしれないが。




『祈りの儀式』の騒動は、霊山に『巫女姫旋風』が吹いた……とでもいうべき大騒動だった。

 たった一人の子供を救う……という前代未聞の珍事。

 サリサ様曰く『頭の固い』我々・仕え人にとって、受け入れがたい事件でもあった。


「私、あの方を信じます」


 エリザ様のその言葉を聞いたとき、吹き出してしまいそうだった。

 かわいそうに……。

 最高神官が大嘘つきのとんでもない男だとも知らず、信じると言い切るのだから。そして、ご自分がやろうとしていることの危険性すら、まったく認識できていない。


 ――信じて命を捨てるおつもり?


 マサ・メル様の命を半分は削っただろう水晶台に、あの方ならばすぐに呑まれて消えてしまうだろう。

「サリサ様も、あなたは力不足であることぐらい、充分に認識しております」 

 そうはっきり言ってやりたかったが、あの方の純真な顔を見ていると、その信念を砕くのは私の仕事ではないと思った。

 私にできることは、早くサリサ様に戻ってきてもらうことしかないと。

 万が一があっても、サリサ様のお力があれば、エリザ様を呼び戻せるとは思っていた。


 でも、正直、子供が助かったのには驚いた。

 これには、霊山の者が全員、開いた口がふさがらなくなるほどの結果だった。出来損ない巫女姫は、一気にすごい人になってしまい、サリサ様の選択眼にさすがだ……という声さえ上がった。

 が。

 実は、エリザ様の力に一番驚いたのは、サリサ様本人だと、私は知っている。


 ただ……。

 エリザ様は、力の出し方が、他のムテ人たちとは少し違う。

 自己陶酔型とでもいうのだろうか? なりきることで、自己の持つ力以上に力を発することが出来るタイプのようだ。

 精神的なもろさが、力に繋がる。

 つまり、妄想がエリザ様の力の源らしい。


 マリの一件で、私はエリザ様が少し怖くなった。

「あの方は知らずに人を殺せます」

「私がそのようなことはさせません」

 サリサ様は、そう言い切ったが、最高神官にそのような自由はない。

 エリザ様は、まさに諸刃なのだ。

 霊山を去るその時に、あの方はサリサ様と別れることができるのだろうか? 

 心が崩壊してしまうのではないだろうか?


 あの方は、一人では生きてはいけない。一人では、何もできない。

 このまま、サリサ様を心のよりどころにしていては……。


 そう思うと、憂鬱を通り越して怖くなる。

 しかし、困ったことに助けた子供――マリがいなくなってから、サリサ様とエリザ様の仲は、ますます近しくなったように思われるのだ。

 しかも……巫女の力を認めてしまった他の仕え人の目は、少しばかりかつてよりも甘くなった。

 祈りの祠までの道は、巫女と最高神官ではルートが違う。だが、お互いに姿を見ることができる。

 お二人が、目を合わせて微笑みあった瞬間を、私の横にいた薬草の仕え人も見ていたはずだ。なのに、彼女は何と言ったのか?

「あぁ、微笑ましいことで……」

 途中で彼女の声が小さくなったのは、私が横で睨んでいたからである。

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