霊山の聖母・7


 サリサは、朝の祈りに向かう。

 いくらエリザのことが気になっていたとしても、もう日常に戻ってしまったのだ。最高神官としての勤めは果たさなければならない。

 早朝に祠までの道を登り、巫女姫の祈りを補うために、いつもよりも長い祈りをこなす。

 特別に参加した巫女付の唱和の者たちが驚くほど、サリサの力は強かった。

 ムテの者だけに見える気が光の塊となって、ムテの村々、はるか彼方まで飛んでゆく。

 祈りの力においては、サリサは前最高神官マサ・メルを越えているのでは? と、霊山の者は内心思っている。

  

 祈りが終わったあとも、いつもの休憩時間はない。

 食事をしたら、昼は昼で行をこなす。が……。

 サリサは階段を伝って、マール・ヴェールの祠へと下りた。

 そこで待ち合わせしているのは、エリザではない。一日たっぷりの癒しを受けて回復した彼女は、誰の忠告にも耳を傾けず、再びマリに付きっ切りになっている。

 待ち合わせ先にいるのは、フィニエルだった。

 彼女は、すきっとした立ち姿で風に吹かれながら、最高神官が現れるのを待っていた。

「敵の目安はついたのですか?」

「残念ながら……」

 サリサはため息をついた。

「サリサ様、エリザ様は弱り続けています。このままでは、あと二、三日と持ちますまい。子供を諦めるしかありません」


 あれだけ激しい祈りを続けながらも、サリサはエリザとマリを癒し続けていた。

 しかし、まったく困ったことに、八角の部屋は外からの気を遮断する力がある。ゆえに、最高神官サリサの癒しもエリザには半分も届かないのだ。

 だからといって二人を部屋から出してしまえば、敵の魔力にエリザは耐え切れないだろう。

 そう思うと、ますます不思議である。

 八角の部屋にいるマリにそれだけの呪縛をかけ続けられる者など、どう考えてもいそうにない。

 最高神官であるサリサが、これだけ力を伝えるのに苦労しているというのに。

「相手は最高神官並み……ってことですか? 変わってもらいたいくらいですよ」

 サリサは、笑えない冗談を吐き捨てるようにつぶやいた。


 エリザを助ける方法。

 もう無理やりマリとエリザを引き離すしかない。それは、マリの死を意味していた。

 おそらくエリザは半狂乱になるだろう。それを暗示で無理やり大人しくさせ、隔離して……目覚めたときには……すべてが終わっている。

 考えただけでぞっとする。


「マリを助けてあげたいと思ったのは事実です。でも、たぶんエリザが言い出さなかったら、私は見殺しにしたと思います。最高神官として……。そして、この期に及んで、やはり見殺しにするかと思うと。以前より辛いですね。あの子と遊んでしまったから」

 かわいい声の歌。エリザの微笑み。

 そして、あどけない声で自分を呼んだマリのことを思うと、サリサは、無力さに歯噛みする。

 あの日はなんと幸せで楽しい日だったのだろう。

 明日も明後日も、あの日だったらよかったのに。

「フィニエル、本当にマリはかわいい子供なんです。何とかなりませんか?」

「サリサ様、情は禁物で……」

 突然、フィニエルの声が途切れた。

 一瞬の静寂。

 マール・ヴェールの祠に渡る風だけがうなった。

「フィニエル?」

 サリサは、真剣なフィニエルの顔を覗き込んだ。

「サリサ様、もしかしたら、敵がわかったかもしれません」

 フィニエルはつぶやいた。

「敵が? 本当ですか?」

「おそらく……間違いありません」

 フィニエルは確信した声で、しかし、厳しい声で言った。

「あの方ならば、おそらくそれくらいの力は持ちえると思いますし、動機も充分です」

「誰です? その不埒者は」

 サリサも声を潜めた。

「エリザ様です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る