霊山の聖母・4
休養五日目。近くの森に散策に出る。
「はじめに星からきた人は……」
歌声に、目を覚ます。
教えてあげた歌を、エリザとマリは、声をそろえて歌っている。だから、二人が来たことがすぐにわかった。
見つかる前に、軽く伸び――そしてサリサは体を起こす。
木陰で休養していた。やや黄色に変化し出した芝生だが、気持ちがいい。地面から、木漏れ日から、力を与えてもらえたような気がする。
かすかに体に疲労感があるのは、力を使ったからではなく、むしろ吸収したからかもしれない。
光はすべてを活性化させる。
日常にふさわしい力が、行き場なく体の中で困惑しているような感じだ。祈りという毎日の行為がなされないと、逆にだるくなるというのも、なんだか不思議なことである。
エリザは、薬草摘みの時と同様の木綿の衣装を身に付けていた。が、光を浴びて銀糸の髪が輝いて見えた。サリサを見て、かすかに頬を染めてうつむく仕草も、彼女らしいといえば彼女らしい。
マリは粗末な木綿の服だったが、エリザが洗ったのだろう、清潔そうで爽やかな感じがした。しかも、昨日まではかすかに残っていた斑点の後もきれいに消えて、本来のかわいらしさが戻っていた。成長したら、さぞや美しい女性になることだろう。
サリサのほうも、今日は最高神官の礼装などではなく、ムテの村人のような木綿の長衣を羽織っていた。エリザが照れたのは、そのような格好が新鮮に見えたからかもしれない。
「天気もよくて……上々ですね」
「うん!」
元気よく返事をしたのはエリザではなく、マリだった。エリザのために差し出した手に、マリは小さな手を重ねる。サリサは少しだけ苦笑した。
真ん中にマリを挟んで、三人並んで森の小道を進んでゆく。マリが時々楽しそうに宙ぶらりになる。
サリサは長身だし、エリザもそれなりの背の高さがある。マリは、常に万歳するような格好で、自分の体が持ち上がるのが楽しいらしい。きゃーきゃーはしゃいで喜んでいる。
先ほどまで緊張していたらしいエリザだが、マリの仕草に自然と微笑がこぼれている。
普段は見せたことのない、エリザ本来の微笑なのだろう。少女らしいかわいらしい微笑みだ。
三人は、一面に小さな花が咲くやや開けた場所に出た。
マリの体力も考えて遠出は避け、そこで食事をとることにした。フィニエルが持たせてくれた籠には、昨日のメニューのほかにも、なんと蜂蜜飴まで入っている。
「あの……これは、マリのお母さんが霊山のマリへって、使者に持たせてくれたみたいなんです。だから、本来はマリのものなんです」
「でも、ちょっとあの子には量が多いみたいですね」
サリサは、目を丸くしているエリザの前でいたずらっぽく笑った。そして、籠の中に手を入れると、一個きれいな琥珀色の飴を取り出し、口に入れた。
「あーん、マリも、マリも!」
お花だ、お花だ、と辺りを走り回っていたマリが、飴に気がついてサリサに抱きつく。サリサは飴を取り出すと、マリの小さな口にそっと入れてあげた。
「おねえしゃんにもあげれあてれ……」
マリの口には、飴は少し大きすぎたようだ。それでもいいたいことはわかった。サリサはもう一個飴を取り出すと、エリザの口元に運んだ。
「え? でも……」
エリザは照れているようだった。マリの前だからなのか? それとも、緊張が解けないのか?
マール・ヴェールの祠での出来事を思い出す。
口移しに受け取った甘くも苦い味。
開こうか、閉じようか、かすかに迷う唇が、奪いたいほどに愛しい。
でも……今度は、きっと泣かせない。
二度と、悲しい思いはさせたくはない。
サリサは、飴をエリザの遠慮がちな口に滑り込ませた。
花を編んだり、歌を歌ったり、手合わせのゲームをしたり。楽しい時間が過ぎてゆく。
エリザの緊張もすっかり解けたようで、マリと二人で騒いでいる有様だ。本当の親子、いや、姉妹か? それくらいの仲のよさだ。
ムテ人の銀糸の髪は、光の中でこそ余計に美しい。絵になる。しかも自然だ。
やや、疲れがあるせいか、サリサは少しだけ眠くなっていた。芝生の上でくつろぎながらも二人を観察していた。
花を編んでいたはずのマリが、こちらに向かって走ってくるのが見えた。
「ねぇ、ねぇ、サリサも遊ぼ!」
うとうとしていたところに、いきなり飛びつかれた。サリサは、そのままマリと一緒にゴロンと後ろに倒れこんでしまった。
「きゃー! ダメよ、マリ! サリサは疲れているんだから!」
そう言って、エリザがマリを抱き上げようとして手を伸ばした。そして、はっと目を見開いた。
サリサも、びっくりしてエリザを見つめてしまった。
逆光で青空がまぶしいけれども、エリザの驚いた顔ははっきりと見える。マリを挟んで、二人は黙り込んでいた。
風が二人の間を渡り、かすかに髪を揺らした。
エリザは膝をついて身を乗り出し、子供を半分抱きかかえたまま、サリサは肘を芝生につけたまま、半分体を起こし、上に子供を乗せたまま……。一瞬でも時間を止めるには、けしてお互い楽な姿勢ではない。
「し、失礼なことを……」
最初に口を開いたのはエリザのほうだった。
――謝らないでほしかった。
たぶん、マリの影響で口が滑ってしまったのだろう。エリザは、最高神官に対して敬称を付け忘れたのだ。言ってしまって自分でも戸惑っているのだろう。
素の自分に戻れたような気がする。
はるか彼方に時が飛んでいって、子供の頃の自分に戻り、失ったものを取り返したような気持ち。
いや、確かに取り返したのだ。鮮やかな時間を。
その証拠に、エリザが今、ここにいる。
が……一瞬はすぐに去り、あたりは再びヴェールに包まれたように、薄くなる。
そして、たくさんのものを纏うのだ。お互いに。
「……いいのです。二人っきりの時は」
サリサも意外な顔をしたはずだ。それを、怒ってるとは取られたくはない。
このままだと、間違いなくエリザは誤解する。あっという間に、こわばってしまうにちがいない。
体を起こし手を伸ばして、エリザの頬に触れた。
大きな瞳には今を畏怖するような色すら浮かんでいて、彼女は震えていた。泣き出してしまうかもしれない。
「むしろ、あなたには……」
そこでサリサの声は途切れてしまった。
サリサの胸の上で、マリが跳ねたからである。息が詰まって咳き込んでしまった。
「んもう! 二人っきりじゃないもん! マリ、いるもん!」
確かにそうであった。
マリは、サリサが体を起こしかけたときに転げ落ちそうになり、腹を立てたらしい。
サリサは、涙目になりながら、ごめんと謝った。
マリがいるおかげで、エリザはエリザらしく振舞えた。しかし、やはりマリがいるおかげで、それ以上、心を伝えることもできない。
――最高神官に自己はない。伝えるべき心を持ってはならない。
サリサは、マサ・メルの教えを思い出し、気持ちを引き締めた。
伝わらないことがよかったのか、悪かったのか。
もう、考えないことにする。
帰る時間になった。
三人は出会った場所で別れることになった。
「サリサ様、今日はとても楽しかったです」
敬称はつけているものの、エリザは本当に幸せそうな笑顔を見せた。頬が桃色でかわいい。
思わず抱きしめて口づけしたくなったが、マリがふくれそうなのでやめておいた。
「私も楽しかったです。それに、マリも元気になってくれてほっとしました。あなたのおかげですね」
エリザは恥ずかしそうにうつむいた。
「マリががんばってくれたから……。私の力なんて、微々たるものですもの」
「そうだよ。マリ、がんばったんだよ!」
そう口を挟むマリの頭をサリサは撫でながら、言葉は無視した。
「あなたは立派な巫女姫ですよ。マリも、もう家に戻っても大丈夫かもしれませんね」
エリザは一瞬、目を見開いた。
「ねぇねぇ、お姉さん。マリ、お母さんのところに帰れるんだね?」
マリがうれしそうに声を上げた。
「え? ええ、そうよ。もう少し元気になったらね」
エリザがしゃがみこんで、マリの目線になって微笑んだ。
その時、何か一瞬、空気に緊張が走ったような気がして、サリサはあたりを見回した。棘のようなものが心に刺さった気がしたのである。
相変わらずのいい天気。風が渡るだけ。
気のせい。
ただ、エリザが硬く抱きしめたので、マリがちょっと痛そうに顔をしかめていた。
「マリ、充分にもう元気だよ!」
子供は、エリザに抱きしめられたまま、元気よく返事をした。
楽しかった一日は終わり、サリサは自室に戻った。
エリザの微笑やマリの元気な姿を思い出すと、多少の疲れは気にならなかった。
今日ほど幸せそうなエリザを見たことはない。サリサも、エリザが幸せそうでうれしかった。
それに……マリはかわいい。そのまま、自分の子供にしてしまいたいくらいに。いつも、エリザの横にあの子がいてくれたならば、エリザもきっと、心休まるに違いない。とはいえ。
おそらく、明日か明後日には、マリも霊山を下りるだろう。そして、母とともに故郷へ戻ることになるだろう。
黒い八角の部屋だけが、あの子の霊山の思い出とならなくてよかった。あの歌とともに、自分たちのことも忘れてほしくはない。
などと、のんきなことを考えて眠った。
マリが再び意識不明の重体に陥ったと聞いたのは、朝になってからのことである。
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