霊山の聖母・2
エリザに会った翌日。休養三日目。
完全休業状態の最高神官は、部屋に閉じこもりっぱなしで一週間を過ごすことになっている。正直言って、サリサは三日目にして飽きていた。
この休養は、マサ・メルが定めたものである。彼は『祈りの儀式』の後、完全に休まないと回復しなかったのである。サリサには休養が不要であるということに誰もが気がつきながらも、長年の慣習を変えられないというのが、いかにも霊山らしいところだ。
何百年も続いたことは、一気には変わらない。それでも、サリサが最高神官になってからは、眠り続けなくてもいいという方針に変わった。かなりの進化といえよう。
「そして、いつかはすべてを変えてみせるけれど……」
つぶやくサリサの視線の先、やはり今日も巫女姫の姿はない。
とはいえ、サリサの脳裏には昨日のエリザの姿が焼きついている。
ほんの少女だと思っていたが、時にまるで母親のような顔をするから不思議だ。そばにいるだけで、この霊山のどこかにいてくれると思うだけで、癒されてゆく自分がいる。
守ってあげようと思うけれども、守られているのは自分かも知れない……などと、サリサは時々思うのだ。
そのような思いにふけっているときに、邪魔が入った。
「サリサ様、医師と癒しの者がお目通り願いたいと……」
まったく感情の篭らない仕え人の声が響く。
やれやれ……と、内心思うものの、そこは昔から外面だけは鍛えてきたサリサだ。最高神官の神々しいまでの態度で、面会を許可した。
狭い最高神官の謁見の間で、医師と癒しの者はかしこまっていた。
「何事です?」
そう尋ねると、二人はどちらが口を開くかで譲り合ったあと、癒しの者が口を開いた。
「実は、巫女姫様と病の子供のことで、相談にまいりました」
若干、嫌な予感で表情が硬くなったかもしれない。
「病の子供は順調だと、巫女姫の仕え人から聞いていますが、何か?」
医師と癒しの者は再び顔を合わせる。今度は医師が口を開いた。
「はい、実は、子供は驚くべき回復力でして、私も癒しの者も、改めまして巫女姫様の力を認める次第でございますが……。少し問題がございまして」
引き継いで癒しの者が口を開く。
「正直言いますと、あの方の力がここまでとは思いませんでした。どうやら、巫女姫様に置かれましては、実践が授業よりも力をつける最良の方法だと実感いたしました次第ですが」
サリサは要領の得ない二人の話を聞いていたが、だんだんとわけがわからなくなってきた。
「それのどこが問題なのですか? 巫女姫の力が思った以上であり、しかも病気の子供を診るということで、ますます力がついているということですね? 真にいいことづくしに思われますが?」
二人は顔を見合わせてため息をついた。
「実は、巫女姫様は、我々に子供を任せられないとおっしゃいまして……」
最高神官が休養を取ろうとも、巫女姫の休養は決まり事ではない。
大満月の夜から三日ぐらいは大目に見ようとも、明日からは日常に戻るのだ。が、エリザは子供をそばに置くといって駄々をこねているらしい。
「巫女姫様には、朝の祈りや夕の祈りがございます。その間ですら、子供を連れて行きたいと申しまして……」
サリサは顔をしかめた。
「わかりませんね。それで巫女姫の言いなりになるあなた達ではなかったはずではありませんか?」
そう。エリザは今まで、彼ら仕え人の言葉に泣かされ、踊らされていたのに。今更、何を言い出すのだろう? 泣きついてくるとしたら、エリザのほうではないかと思えるのに。
二人は再び顔を見合わせる。
「実は……巫女姫様は、それは最高神官であらせられるサリサ様の命令だと……」
思わず絶句した。
エリザは、あの弱々しい見かけで、実は肝が据わっているのかもしれない。
どうしても子供から離れたくはないのだろう。そこで、最高神官の名前を出すことを思いついたに違いなかった。
確かに頼れとは言ったが、いきなりそうくるとは思わなかった。
「巫女姫様は、我々があの子供を一度は見捨てたことをしつこく糾弾いたしまして……あなた様の命令を全うするためには、我々には子供を預けるわけにはいかないと言うのです。道理にあっているものですから、我々もほとほと困りまして、お力をお借りしたくまいりました」
サリサは、台座の上から降りて窓辺に歩み寄った。窓から外を眺めながら聞いた。
「私にどうしろというのです?」
「命令を撤回していただくか、巫女姫様に我々に子供を預けるように言っていただきたいのです」
サリサはうつむいた。
が、それは辛いからではなかった。こみ上げてくる笑いをこらえ、しかも、表情を読まれないためだった。
「最高神官の命令は、そう簡単に撤回できるものではありません。それに、巫女姫の信頼を失墜させたのは私ではなく、あなたたちです。何の説明もなく、あなたたちを信頼せよと言ったところで、それは矛盾というものですよ」
「ですが!」
二人の声は揃った。
「ですが、それでは巫女姫の祈りはどうなるのです? 今でさえ不十分ですのに」
「私が代理で祈ります」
サリサの言葉に、二人の呼吸は再びあった。
「とんでもありません!」
サリサは思わず苦笑する。
日頃は祈り、祈りという仕え人たちが、いざ、マサ・メルと違うことをしようとすれば、たとえそれが祈りであっても、とんでもないことになってしまう。
「最高神官は、祈りの儀式の後はお休みになるべきなのです!」
世を捨てたはずの者たちの、悲鳴にもにたありがたい進言だ。
――実にバカバカしい。
マサ・メルは、孤高のムテ人であった。彼は、霊山の力に挑み、戦い、力を操った。だが、サリサは違う。一人は嫌いだし、力に挑むような強さなど持たない。だから、和して力を利用させてもらう。疲労するどころか、大満月は力を充電できる期間でもあるのだ。
だが、マサ・メル至上主義の霊山において、自分の能力を主張して敵を作るのは利口ではない。
時を捨てた者たちは、成長することはない。だから、簡単に変わることができないのだ。縛られた考え方に囚われても仕方がないのだ。
ゆっくりとサリサ・メルの力を認めてもらうしかない。
「では、私が子供を診ていましょう」
「はぁ?」
「ですから、巫女姫が祈りをしている間、私が子供を見ているのです。私ならば、巫女姫の信頼はあなた達よりはあると思いますよ」
「で、でも、サリサ様は休養を……」
「見ているだけです。何かありましたら、あなた達を呼びます。ここで休養しようが、子供の横で休養しようが、私には同じことです」
「はぁ……」
医師と癒しの者が腑抜けた声を上げた。
サリサは、にやけそうになる顔を平静にとどめるのに苦労した。
これで、毎日引き継ぎと称して、堂々とエリザに会えることになる。
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