フィニエルの予見
フィニエルの予見
祈りの邪魔にならぬよう、フィニエルは迷路のような秘所の中ほど、階段の上部で待機していた。
サリサとフィニエルでは、サリサのほうが背が高いのだが、この階段の位置関係でちょうどフィニエルがサリサを見下ろすような格好になっている。
「大満月の影響で、うっかりと聞こえてしまったのですが、酷なことをなさいましたね。サリサ様」
安堵の顔を引き締めて、サリサはフィニエルを見上げた。
「……何のことです?」
サリサは、フィニエルの態度にむっとした。
だいたい、大満月の影響といえど、聞き耳立てずにこれだけ距離の離れた会話を聞くとは、ありえないのだ。
世を捨てた仕え人としては、やや、はしたないといえる。それも、フィニエルたる人物ともあろうものが、興味津々、会話の盗み聞きとは。
普段は紙のように薄っぺらな彼女の表情に、やや怒りの色すら見えて、サリサは苛立った。
「酷なことなど……。私はただ、あの方を癒しただけです」
「体は癒されても、心は傷つくものです。殿方は、どうして女心に鈍感なのでしょう?」
もうすでに女ではないフィニエルが、いきなり女心などと言い出すので、サリサは耳を疑った。
だいたい、感情などというものを捨て去ったかのようなフィニエルが、何を怒っているのかもわからない。まるで、噂好きの村娘のように身の程知らずの態度にも見える。
最高神官の仕え人だったときよりも、心なしか彼女は若返ったようで、サリサはフィニエルの巫女姫時代を思い出した。
階段をゆっくりと下りながら、フィニエルはすれ違いざまに棘ある言葉をつぶやいた。
「私には、エリザ様のすすり泣く声すら、届いています」
「私には聞こえませんが」
耳を澄ませても、岩棚を渡るかすかな風音か、湧き出る水の音くらいしか聞こえない。最高神官に聞こえないものが、仕え人ごときに聞こえるはずもない。
サリサの言葉に、階段下になったフィニエルがきりりと上目使いに視線を送った。
「ですから、鈍感自分勝手と言わせていただきます。ご都合の悪いことには、すぐに耳をふさがれてしまわれる」
サリサは、上ってきた階段をフィニエルの後を追って、数段駆け下りた。
「私のどこが自分勝手なのですか? あまりに失礼な物言いですよ」
「エリザ様は、ただ、あなた様の命令に従い、なしえただけでございますのに」
その言葉を聞いて、サリサの勢いはなくなった。
巫女姫として、エリザは子供の命を救った。それは、最高神官の命令である。彼女は命令を完璧にやり遂げたのだ。
サリサは、そのことをまったく忘れていた。
確かに最高神官としては、「よくやりました」と、褒めるべきだったのに。
「二度とするな」とは、確かにあまりの言葉である。それも、言い方も優しくはなかったかもしれない。
エリザを心配するあまり……ではあるが、まるで彼女の行為を否定したような……。
最高神官を一筋に信じているエリザには、何が何だかわからなかっただろう。
けなげに「はい」などと言われたものだから、その裏にある気持ちなんてすっかり思いやることを忘れてしまった。
――情けない。
たとえ、どのように辛く、後ろめたくあっても、一点の曇りもない完璧な最高神官サリサ・メルであるべきだった。弱音を見せてはいけなかった。
ぐっと唇をかみ締めたところに、フィニエルが追い討ちをかける。
「いたわりという言葉を知らないのですか? エリザ様が心痛められて寝込まれてしまわれても私は責任をもてません」
痛いと思ったところに毒を塗るような物言いは、彼女独特のものである。
フィニエルが銀髪を翻してエリザを迎えに階段を下り闇に姿が消えた後、サリサは捨て台詞に胸を刺されれたまま、呆然と考え込んでしまった。
ムテという種族を守る力を授かった身でありながら、たった一人の少女は守れない。
フィニエルの足音とともに、岩屋の奥から水の滴るような音が響く。
その音を聞いていると、サリサは急に切なくなった。
エリザは泣いたままだった。
やがてフィニエルが迎えにくるだろう。
泣き声だけが静かに響く洞窟にあって、かすかな足音が混じるようになり、彼女の気配を感じた。
岩で組まれた階段を下りてくる足音がだんだんと大きくなり、泣いている場合ではないことは、うっすらと感じていた。
あの優しい最高神官の機嫌を損ねてしまうようなことを、やらかしてしまったのだ。何かはわからないけれど……。
より厳しい仕え人の彼女が、それを許すはずがなかった。
でも、どうすることもできない。フィニエルに怒られることになっても、止まらないものは仕方が無いのだ。
いっそのこと、いつもの明快さでガンガンと怒ってもらったほうが、何が悪かったのかよくわかる。
そのほうがうれしい。
エリザにとって、サリサを理解できないことが一番辛い。
「何を泣いておられるのです?」
姿の前に声が届く。
その問にエリザは返事もできない。
しかし、フィニエルの次の言葉は、意外だった。
「あの方には、いい薬になったことでしょう」
まるで一本とったような言いようだった。
「ヒック?」
エリザには意味がわからない。返事をしようとして出した声が、しゃっくりに変わる。
どうやらサリサとの間に何らかの会話があったことは間違いなく、その結果、フィニエルに軍配が上がったらしい。
彼女には珍しいほどに、声が陽気にすら思える。
「エリザ様、明日は一日お休みしたほうがよいでしょう。体も心も充分に休養をとりましょう。大満月のあとですから、誰も文句は言いません。いえ、いっそのこと明後日も休みましょう」
優しすぎて、何か気持ちが悪いほどの口ぶりだ。
驚きすぎて、涙もひっこんでしまった。
本当に、迎えに来たのはフィニエルだろうか? 起き上がり、まじまじと彼女の顔を見る。
エリザの視線に気がついて、やや顔をしかめたものの、フィニエルは言葉を続けた。
「あの方のために泣くことなどございません。もっと心配させてあげてもかまいますまい。自分でまいた種は、自分で刈り取っていただきましょう」
「え?」
「ですから……あなたには非が無いのですから、こちらが泣く必要も謝る必要もございません。そのうち、なんだかんだと理由をつけて、あちらから会いに来るでしょう。そうしたら『先日のことは、気にしていません』と、言って差し上げればいいのです」
やはり意味がわからなかった。
きょとんとしたエリザに、フィニエルは手を伸ばす。その手をとって、エリザは立ち上がった。
「あなた様は、最高神官が選んだ人なのです。常に堂々となさいませ」
巫女選びの時――
「この人にしましょう」
そういって、ムテの最高神官はエリザの手を取った。
その瞬間、エリザの運命は大きく変わった。
頭が真白になってしまって、何もよく覚えていない。
でも確かに、それまでは小さな情けない女の子だったエリザの中に、自分にも何かができるのではないか? というほのかな自信が生まれたのだ。
堂々と……まではいかなくとも、きっとがんばれば何かができると……。
――信じていてもいいですか?
信じていたいんです。信じてもいいですか?
フィニエルに導かれ、最高神官の秘所を出るときに、エリザは最高神官の仕え人とサリサの無言の見送りを受けた。
日は過ぎて、もう夕暮れになり、あたりはほんのりと赤かった。
エリザの目が赤いのは、さほど目立たないことだろう。
でも、胸にこみ上げてきた思いは、もう言葉になりかけていた。
最高神官ならば、おそらくその言葉をはっきりと聞き取ったはすだった。
しかし、エリザが振り返りながらも目で追い続けた最高神官は、仕え人と同様に巫女姫の仕事に敬意を表して、胸に手をあて目を伏せているばかりだった。
エリザにはサリサがわからなかった。
神の力に触れて、神を理解できなかったように、やはりサリサを理解できなかった。
それでも、いつもは厳しいフィニエルが優しかったので、エリザの涙は収まった。
泣いてばかりなんて、いられない。
子供のことも気にかかり、やるべきことがどんどんと頭に浮かんできた。
翌日、丸々休んでしまったのは、フィニエルの提案通りというよりも、身も心も疲れ果てていたからだ。
最高神官が、エリザの前にひょっこり顔を出したのは、翌々日。
病気の子供を見舞う……という名目だった。しかし、それは完全に名目で、本当はエリザを心配してのことだった。
フィニエルの予見は当たった。
ただし、エリザはいつもの悪い癖が出てしまい、
「先日のことは、気にしていません」
と言うことはできなかった。
=祈り所の申し子/終わり=
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