生と死の狭間
1
フィニエルが出て行ってしまうと、エリザは突然不安になってしまった。
もしかしたら、とんでもないことをしようとしているのかもしれない。
エリザは子供を台座の上に置き、癒しのための祈りを捧げた。
気を近づけるために、香り草も焚かない。薬も使わない。そのほうが、効果が上がると感じていた。
素の自分であることが、この場合一番いいのだろう。
祈り続けて……子供の手を握り締める。
やはり……。力が増幅してゆく。
銀の粒子が、エリザの頬をなでる。誰かの意思を感じる。
霊山の意思。力の解放を促し、エリザを分散させようとする意思。
まるで、川が流れるように。
ごく自然に。当然の摂理で。
分散して散ってゆく自分。
一瞬、エリザは体を震わせた。
ちがうのだ。山には意思などはない。
確か……最高神官は言っていた。力に意思はないと。意思は、力を操ろうとする側にある。
でも、今、私を圧倒しようとしているものは……。
「神?」
意識が遠のきかけたエリザの脳裏に、ふっと、最高神官の声が聞こえた。
それは、いつの会話だっただろう? 確か祈り言葉を教わった時のことだ。
エリザが、サリサを「神のよう」と言ったことに、彼は複雑な反応をしたのだ。
「私は、神なんかではありませんよ。ただのムテ人の一人に過ぎません」
「でも……全然同じとは思えないんです。私とは……」
力が違いすぎて、サリサが出来ることをエリザは出来ない。同じ言葉を同じように唱えても、同じ結果は導き出せない。
「同じです」
最高神官の結界が緩む。すっと抱き寄せられると、心臓の鼓動を感じた。
今は、本当は祈り言葉を教わっている時間ではなく、本来は抱き合っていなければならない時間だ。それでも、サリサはエリザの疑問には、納得がいくまで答えてくれるのが常だった。
「神官は神ではありません。力を操るものであっても、力そのものではないのです。神とは、自然の大いなる力。不思議な秘密に満ちているので、大いなる意志……とも呼ばれますが、人格はありません」
「どのようなものなのですか?」
「どのようなものかわからないものに、私をたとえたのですか?」
エリザはサリサの胸の中で、恥ずかしさに湯気が出そうになっていた。その熱っぽい頬に手を当てて、サリサはエリザの顔を見る。
「神は力。純粋な力です。手も足も耳も目も何もない。だから、何も感じないし何も思わない。何も悲しまないし、何も期待しません」
エリザにはちっともわからない。目を丸くして聞いているだけだった。
エリザが不思議そうにすると、サリサは必ずくすっと笑う。そういうときは、フィニエルの言うとおり、確かに少年らしさが漂う。
「神には意志がありません。でも、神官には意志があります。たとえば……」
真剣に聞いているエリザの耳元で、サリサは呟いた。
「たとえば……あなたを抱きたいとか」
「え? 今、抱いているじゃないですか?」
「そういう意味じゃなく……」
「……あ……」
――神には意志がありません。
山にも意志はありません。ただの力の集合体です。
強い力を見ると、どうしてもそこに意志があるように感じるものなのです。
意志は操るほうにあるのです。
しかし今、山の圧倒的な力に触れて、エリザは力の意志を感じていた。
体が硬直する。それは一瞬で、今度は体が軽くなる。
それも違った。エリザは高みにいた。
ふわふわと浮いた感じがする。下を見下ろすと、子供の手を握りながら祈っている自分がいた。
水晶の台座に銀の髪を散らしながら、病魔に食い尽くされたかのような肌の子供を、包み込むようにして祈っている。が……。
エリザの口は、もう祈り言葉を発してはいなかった。呼吸もしていない。ただ、子供の手を握って青白い顔をしているだけだ。
水晶の透明は、あたりの黒を透かして、より黒い。漆黒の闇だ。
ぞっとする。怖い。
死の香りがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます