手の中の子供は、死にかけている。

 人はどれくらいの寿命を持っているものだろうか?


 長い階段を下りながら、エリザは考え込んでいた。

 ムテの人々は、それぞれに一様ではない寿命を持つ。

 まるで人間のように短く燃え尽きてしまうものもいれば、マサ・メルのように五百年以上の長命を持つものもいる。

 ウーレン本国の年齢に合わせて表現すれば、エリザは十四か十五歳という年齢に思われるだろう。しかし、彼女は二十歳である。

 だが、ムテにおいては重ねた年月よりも、今がどのような形態をとっているかが大事である。

 力というものが、その者の成長具合と比例しているムテでは、百年生きた子供よりも二十年生きた大人のほうが、はるかに充実しているのだ。

 しかし、ムテ同士でもお互いがどのくらいの寿命を持って、どのくらいの時間を生きてきたのかは、計ることができない。

 自分だけが、あとどのくらい生きられるのかを知っている。


 時に捧げられし者……さまよう者。


 余命一年と気がついたとき、ムテ人たちは旅立つのだ。

 メル・ロイとしてさまよい、仲間に老体を見せることなく散るために。

 その一年で、ムテ人は百年分歳をとる。

 フィニエルもメル・ロイである。しかし、霊山の力によって、彼女の一年は何十年にも引き伸ばされている。


 ――トア・メ・ラモーラ・ムメ・アモーラ・メル・ロイ・タリラ……


「我ら、生の衣を脱ぎ捨て、すでに時に捧げられし者。今、在りし生は幻に過ぎず、命とは何ぞと、さまようのみ……」

 エリザの心を読んだのだろう。時を終えた人の言葉をフィニエルがつぶやいた。 

 この山の力はいったいどこから来るのだろう?

 増長していく自分の力に、エリザは翻弄されかけながらも、不思議に思う。

 魔の島には、計り知れない古代からの力が宿るところが二ヵ所ある。

 このムテの霊山と、ガラル山脈南方にあるエーデムリングの遺跡だ。

 この秘密や秘密を司る者を、魔族は総称して『神』と呼ぶことがある。だからムテの神官とは、本来霊山の秘密を守り伝える者であったはずだ。

 しかし、今は違う。

 人々が敬うのは、力なのだ。大いなる魔力を持つ最高神官こそが、神なのだ。

 最高神官が山に篭るのは、力の温存のためである。まさに、霊山にまつられた神そのものである。

 強い力は、それだけ自らの寿命を削って発散される。いくら長い寿命を授かったとはいえ、霊山以外での力の発揮は、寿命を大いに削ってしまう。

 大きな炎ほど、早く燃え尽きてしまうものだ。


 エリザは、急に怖くなった。

 今、山下りしているサリサは、霊山で受けることのできる保護を受けてはいない。同じことをしていても、はるかに力を使うのだ。

「気を散らせてはいけません」

 フィニエルの声が響いた。

「でも……」

「でも、はありません。あの方は、あなたの希望にこたえようとしたのですから。それを承知の行為だったのはないのですか?」

 エリザは、初めて自分がとんでもない選択をしたのだと気がついた。


 ――最高神官が、もしも消えてしまわれたら?

 あまりにも恐ろしい想像だった。


「何を愚かな妄想を抱いているのです? 妄想で落ち込む暇がございましたら、しっかりとなさい!」

 フィニエルが、呆れて怒鳴った。

「でも、私ったら……」

「確かに愚かな選択だったとは思います。でも、サリサ様は、あなたがお考えになっているほど、愚かではありません。今は大満月。消耗する者もいますが、あの方は利用することも心得ております。今回であの方が浪費する寿命なんて、一年か二年、それでも我々にとっては一大事ではございますが、あの方の長い寿命からすると、芥子粒くらいの長さです」

 少し安心した。

 最悪の事態はないらしい。しかし、少し疑問もある。

「フィニエル、あなたはあの方の寿命を知っているの?」

「知っているはずもございません」

 彼女は自信満々に答えた。この場合、自信をもたれてしまうと、前言の説得力は半減するのだが。


 ――サリサ様は、なぜ、子供を救うよう命じたのだろう? 


 場を取り繕うため? いや、そうではない。

 どのような命だって、最高神官になれない女の子だって、大事だからだ。

 祈りの儀式の間中、心が結ばれた感じがした。ちくりと痛んだ胸は、けしてエリザだけのものではないはずだ。

 私が言い出さなかったら、きっとあの方が言い出したに違いないわ。



「ここです」

 フィニエルの足が止まった。

 気がつくと、いつの間にか開けた空間にいる。

 その向こうに、何層もの銀の粒子が舞っていて、さらに奥に水晶の台座があった。

「この台座の上こそ、生命を留める力が強いのです。しかし、同時にムテの技を使う者の寿命を吸収してしまうこともあります」

 一瞬、気のせいかフィニエルの声が小さくなった。

 黒々とした岩の洞窟の中に、水晶の台座は氷のように透明で、なにやら違和感すらある。


 が。

 できる限り、ぎりぎりのところまで、やってみよう。

 たった今、フィニエルは言った。

「今は大満月。消耗する者もいますが、あの方は利用することも心得ております」


 ――私にも……出来るのではないだろうか?


 儀式のときのサリサの笑顔を思い出す。

「大丈夫、自信をもって……」

 そういって握ってくれた手のぬくもり。


 ――私は選ばれた巫女。きっとできる。


 エリザは、決心した。

「フィニエル、ごめんなさい。あの……外してもらえます?」

 その言葉に、フィニエルは返事をしなかった。すぐに意味を呑み込めなかったらしい。

「あの、私一人でがんばりますから……」

「いけません」

 今度はすんなりと返事が戻ってきた。

 子供を癒す祈りの言葉を、フィニエルは唱えることはできない。

 彼女は時を終えたメル・ロイなので、余計な力を使うと、たちまち消えてしまうからだ。

 エリザは呼吸を整えて、もう一度ゆっくりとお願いした。

「私、一人でこの子を癒したいのです。お願いですから、ここを外してください」

「お言葉ですが、エリザ様。あなた一人でここに置いていくことは、正直危険が伴います。あなたは先ほど、この山の魔力に呑まれそうになったばかり。祈りに夢中になりすぎて、同じ状況に陥ったときに、手助けする者が必要です」

 その通りだった。

 でも、気を一致させようとするたびに、集中力をそがれていては、おそらく山の力を充分に利用することはできない。

「大丈夫。私、きっとできますから」

「できません」

 即座の返答。でも、負けられない。

「大丈夫、あの……。私、今までの私とは少し違うんです」

 どこが? という怪訝そうな顔で、フィニエルが睨みつける。その視線に圧倒され、たじたじになりつつも、エリザはがんばった。

「あの、祈りの儀式のときも絶好調だったんです。フィニエルがいなくても、失敗せずにうまくやっていたんです。あの、だから、きっと大丈夫です」

 行進のときはともかく、儀式のときは最高神官が横にいた。本当に自分の実力なのかは、エリザにもわからない。

「おそらく……あなたの力ではありません」

「そうかも……でもあの方は、大丈夫って、言ってくれたんです」

 フィニエルの顔が呆れ顔になった。その変化に動揺しながらも、エリザは続けた。

「私を選んでくれたのは、サリサ様です。だから……私には、きっとできるんだと思うんです」

「私にはそうは思えませんが」

 エリザは力をこめて言った。

「私、あの方の言葉を信じます」

 フィニエルの顔が、まるで紙に書いた絵のように無表情になる。ぱかっと割れたように、彼女の口から言葉が漏れた。

「あなたは……信じると? あの方を?」

 こくりとうなずくエリザを見ることもなく、フィニエルは視線をそらした。

 それはまるで、遠い世界を見つめているかのよう。まさに彼女はメル・ロイである。存在と非存在の狭間を見ているかのようだった。

「信じる……ですか」

 フィニエルは何度も飲み込むように繰り返した。

「……信じる……のですか。まぁ、それも良いでしょう」

 独り言か、何かの呪文だった。

 エリザはきょとんとしてしまった。

 フィニエルの反応が、いつもの彼女とは違ったように見えた。が、フィニエルは何かを納得したらしく、立ち上がると岩屋の出口へと向かった。

「わかりました。私はこの場を外しましょう。ですが、けして無理はなさらぬよう……。素質がどうであれ、あなたはまだ、力を持つほどに成長してはいません」

 エリザがふっと息をついたとき、階段を上りかけてフィニエルが言葉を付け足した。

「無理はなさらぬよう。あなたが失われたら、あの方はきっと、ご自分の選択を後悔なさいます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る