死すべき子供

死すべき子供


 子供がはじめに運び込まれたのは、黒の八角の部屋である。

 そこは、最高神官と巫女姫が契りを交わす部屋でもあったが、外と内を遮断する効果が高く、流行病の隔離には適切だったのである。

 中央に横たえられた子供に、医師とフィニエル、やっと気持ちを落ち着けたエリザが付き添った。

「これはもう助かりません」

 医師が医学の見地から、そう分析した。フィニエルは黙っていたが、何も言わないところをみると、同じ意見らしい。

 エリザは、そっと子供の頬に触れた。

 かわいらしいはずの頬は、黒い斑点でいっぱいになり、しかもやや膿んでいた。

「でも……この子、病気とまだ戦っているんです。まだ、がんばる気力があるんです」

 それに。

「サリサ・メル様が、この子は大事な血筋だからって、必ずお救いするようにって……」

 エリザの言葉が終わらぬうちに、フィニエルと医師が同時にため息をつく。

「エリザ様、それをあなたは信じるのですか?」


 今回の最高神官の言葉が、至らぬ巫女姫が起こした騒動を収集するための詭弁だったことは、村の人々がだまされても、霊山の者ならば誰もがわかっている。

 だから、誰もがエリザを冷たい目で迎えたのだ。

 この事件で、最高神官はいったい何年分の寿命を浪費したことやら……。しかも、この詭弁が怪しまれないよう、最高神官はかすかな暗示を祈り所にいたすべての人々に、一瞬にして掛けたのだ。

 神官の中には、強い力を持っている者もいる。下手な暗示ではすぐに見抜かれる。人数だって、ただならぬ数である。最高神官でなければできない技であろう。

 ところが情けないことに、巫女姫までどうやらこの暗示にかかったらしい。どうもこの巫女姫は、暗示にかかりやすい体質だ。

 伝書が大いなる落胆を霊山に巻き起こしていたことなど、巫女姫は知らない。

 その上、若い男を二人従えていながら、巫女姫たる者が裸同然の格好で戻ってきたのだ。最高神官の血を残すため、彼以外のものに体を許してはならない身でありながら……である。

 フィニエルはその事実を覆い隠すため、すばやくほかの仕え人たちの視線をさえぎったのだが、エリザにはそれを気遣いと思えるゆとりはなかった。


「マサ・メル様の孫などは、星の数ほどもいるのです。サリサ・メル様のような存在は、稀です」

「でも……この子は最高神官になる素質があるって……」

「この子が? 女の子ですのに?」

 エリザは目を丸くした。

 顔がひどい状態なので、性別まではわからなかった。しかし、仕え人たちはその鋭い感覚で、病気の子供に触れることなく、性別を見分けていたのだ。

 女の子であれば、たとえ助かってもせいぜい巫女どまりで、通常最高神官になることはありえないはずだ。ということは。

 エリザは恐る恐るフィニエルに聞いた。

「この子、初の女性最高神官になるのでしょうか?」

 フィニエルの反応は、もうあきれたという顔だった。

 女に最高神官になるだけの素養が備わらないのは、男が子供を産めないのと同じくらい当然のことである。

「そう思われても結構です。所詮は、そうはなりません。その子供は死ぬのですから」



 死なせはしない……。

 エリザは医師にもフィニエルにも見捨てられ、たった一人で黒い壁に包まれて子供を看病していた。

 最高神官の暗示がフィニエルの一言で解けてきて、自分の単純さを呪いたくなった。とはいえ、今や子供を救うのは、最高神官の命令でもある。

 詭弁でも本当に血の濃さがあるのでも、最高神官がエリザの気持ちをくんでくれたことには違いない。それだけでも、エリザは一人ではないと実感できた。

 冷たく仕え人に迎えられても、たとえ巫女姫として間違った行為だととしても、最高神官は理解を示してくれたのだから。

 自分で調合した薬を試してみる。気を高めるために、香り草を焚いてみる。覚えたばかりの祈り言葉を唱えてみる。

 しかし、薬草も祈りもまったく効果が現れず、子供の気は小さくなりかけていた。

 子供は時々薄目を開け、何かを訴えるように口を動かすが、何の言葉も発しない。力なく閉じられるたびに、エリザは子供が死んだのではないかとびくつく有様だった。


 エリザは黒い壁を仰ぎ見た。

 この部屋は、長い間、命を育む部屋だった。

 多くの女性がこの場所で契りを交わし、多くの子供がここで産まれた。この部屋の持つ異様な雰囲気が、かつてはエリザを追い詰めたこともある。

 今のエリザは、その空気と同化することができる。

 この場所は、最高神官と二人だけの時間をすごせる許された唯一の場所でもある。おのずと、ここが嫌いだという最初の感覚は払拭された。エリザにとっては、最高神官との愛を育む大事な場所となりつつあるのだ。

 でも今は……。

 この部屋に埋められた多くの意識は、死を嫌ってのたうちまわっているようにも感じる。生命の誕生の場に、死に至る病を運び込んだ子供をいたぶっているようにも思えるのだ。

「場所を……変えなくちゃ……」

 エリザは思った。だが、病を持つ子供を隔離できる場所など、ほかにはあるのだろうか?

「あります」

 ぎくりとして振り向くと、いつの間にかフィニエルが控えていた。

 彼女の仕事は巫女姫に仕える事であり、おそらくエリザを見捨てたように感じても、仕事である上はそうはならないのだ。当然のことである。

 しかし、フィニエルは意外な言葉を口にした。

「霊山には、かつて異国の者を長きにわたって癒し続けた祠があるのです。そこならば、ほかの者に迷惑を掛けることなく、しかも霊山の力を充分に生かせます。その子供を助けることができるかもしれない」


 霊山でそのようなことがあったのだろうか? 

 たとえムテ人であっても、選ばれた者以外の部外者を許さないこの霊山で? 


 エリザには初めて聞く話だった。

「そんな場所が? あるのですか?」

「ええ、最高神官の祠に」

 エリザは目を丸くした。最高神官の居住区ならば、巫女姫は立ち入ることができない。

「最高神官の仕え人を説得してきました」

 フィニエルの言葉に、エリザはさらに驚いた。

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