つつがなく終るはずの儀式は、ここにきて急転直下の大波乱を巻き起こしていた。

 死にかけている者は、ムテの世界にもたくさんいる。

 長命を誇るムテであっても、体は本来丈夫ではない。与えられた寿命を全うし、メル・ロイとなって旅立てる者は、むしろ祝福されるのだ。

 病はもちろん、事故でも人は死ぬ。力を使い果たして寿命を費やす者もいる。

 生きている者であれば必ず遭遇する死は、他の種族に比べるとまれなものではあるが、それでも確実に存在するのである。

 死は、受け入れなければならない真実だ。

 誰もが平等に受け止めるべき運命だ。

 だからこそ、人々は死者を送り出す。蘇りを望んではならない。

 なのに。

 死ぬべき子供に、巫女姫が情けをかけるとは。


 無礼な行為の報いが癒しとあれば、示しがつかない。人々はざわめきたった。

 民衆から押し寄せてくる重たい気に、エリザは自分のしたことの大きさに気がついた。

 はっとしたときにはもう遅い。涙に潤んだ女の目が、拝むようにエリザを見つめている。

 女はエリザの手に子供を委ねた。とたんに子供が銀の光に包まれる。それをみて安心したのか、女は意識を失って倒れてしまった。

「誰か、この者に癒しを……」

 最高神官の声が、すぐ横にいるのに遠くに聞こえる。銀の光は、流行病からエリザを守ろうとする最高神官の結界であった。

 エリザの付き人たちが、走りよってきて女を抱えていった。

 エリザは、赤黒くなってしまった子供を抱きしめながら、あたりの異様な雰囲気に飲まれ、呆然としてしまった。

 人々の動揺は、恐ろしいほどにエリザを攻め立てていた。


 ――やってしまった! 失敗したのだ。

 巫女姫の癒しは、平均に施されるべきもので、薬師や医師、山を下った癒しの巫女とは違うものである。それを何度も教わって、頭に叩き込んでいたはずなのに……。


 でも、この子を助けたい。

 エリザはすがるような目で横の最高神官の顔を見た。

 昨夜、気を合わせたときに、エリザは力とともに最高神官の優しさを感じた。かすかな一体感の残骸の中に、子供を見てちくりと痛んだ、サリサの心を感じたような気がしたのだ。

 しかし、彼はエリザを見てはいなかった。ただ、動揺する人々を見つめていた。

 今は昨夜ではない。心はそれぞれの身に戻った。

 心を感じた……などと思うのは、エリザの願望が呼び寄せた妄想に過ぎない。無意識に賛同を求めてしまったのだ。

 最高神官は、この後先考えない行為に呆れてしまったのだろうか? 立場を考えれば、それもやむなしである。 

「静かに……。巫女姫の情けは、今回は特別なものなのです」

 水の中で響くようなこもった不思議な声で、最高神官は人々に話し掛けていた。

「本来、我々は特定の者を癒すことはありません。しかし、私は今回だけは特別に、巫女姫に助けの手を差し伸べるように命じました」

 エリザは驚いた。

 ――最高神官の命令?

 命じられたのではない。自分が勝手に、情に流されてしまっただけなのに。

「なぜなら、助けを求めているこの子供は、私と同じマサ・メルの孫にあたる。そして、強い力を秘めています。最高神官候補ともいえるムテの神官の濃い血を宿している者を、むざむざと死なせるわけにはいかないからです」

 人々は一瞬どよめいた。

 ムテの濃い血ほど貴重なものはない。

 巫女制度すら、そのためのものである。濃い血を残すために、滅びに瀕しているムテの人々は、あらゆる犠牲を払っているのだ。

「巫女姫は、この子供のために一足先に霊山に戻ります。私は皆さんのために、姫の分まで奉仕を続けさせていただきましょう」

 最高神官は、並み居る人々に深くお辞儀をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る