恩恵
1
『祈りの儀式』最後の日。
前日の神々しさよりは、ある程度砕けた催しである。
形式ばってはいるが、一般人に解放されているので、どこか和気あいあいとしているのだ。
祈り所は、半地下とはいえ昨夜から壁が取り払われたままであり、光溢れるのどかな空間となっていた。
奥まった高い台の上に、最高神官と巫女姫は並んで立ち、パンを人々に配っていた。
その様子を、祈り所の外から見ようと試みる人々もいて、村は大騒ぎだった。
パンは、霊山で作られたものだ。
製法はいたって簡単。練っていくつかの香り草を混ぜ、天日で干すのである。光の恩恵で焼かれたありがたいパンということになるが、当然美味しくはない。
この日のために、霊山では何週間も前からパンがあちらこちらに干されていて、匂いだけでうんざりしそうだった。霊山の人々は、粥とこのパンを主食としているので、エリザからするとゲンナリなパンなのである。
しかしながら、パンを受け取る人の列は、祈り所の外まで長々と続き、果てが見えない。
黙って受け取る人もいれば、涙を流す人もいた。エリザの手に口づけする者もいれば、言葉を掛けてゆく者もいた。
あまりにも、もったいない。
食べ物に好き嫌いをいって、いつもフィニエルに怒られている身の上としては、後ろめたくて仕方がない。
一般人に返事を返すことは、時間の都合上許されてはいなかった。が、さすがに自分の村の人々には声を掛けたい衝動にかられ、苦しく思った。
巫女姫を出した村である。当然、神官も招集された。村人たちは、エリザのおかげで長年の夢を叶えたのだ。
「皆、元気だよ」
そう言われて、うんとうなずくしかできないなんて、エリザは不自由な自分が情けなく思えた。
母がいなくなってしまい、家はどうなっているのだろう? 父は? 兄は? 巫女姫である私がここにいるのに、家族が村から出てこないなんて、何かあったのではないだろうか?
でも、聞いてはいけないのだ。
巫女姫は、霊山の高みの存在。今は下界に住んでいる少女ではない。
家族を想うと、狂おしいほどの不安が押し寄せる。それでも果てまで続く人々の波を見つめる。
私はエリザではない。
私は巫女姫なのだ。
今は、自分の仕事をやり遂げるしかない。
「お助けくださいませ!」
突然の大声に、エリザははっとした。
すべてが終ると思われたその時だった。
一人の女が、パンを受け取らず、差し出されたエリザの手を握り締めた。エリザは驚いて身を引いたが、女の力は強く、手を放すことはできなかった。
あたりが一気に緊張した。
巫女の付き人である若者たちが回りを取り囲み、最高神官も思わずパンを配る手を止めエリザのほうを見たが、女は身じろぎひとつせず、真直ぐにエリザを見つめていた。
「お助けくださいませ! どうぞこの子を……」
腕に抱いていた布の塊がふわりと解かれる。
そのとたん、付き人たちが後ずさりし、あたりから悲鳴のような声が響いた。
布の中から、黒い斑点だらけの子供が姿を現した。
結界に守られたムテにあって、外の病をもらってくることは珍しい。
女とその子供は、エリザ同様辺境の村の出身なのだろう。ならば、病を癒す神官も巫女もいないに違いない。
しかし、明らかに流行病の者を神聖なる祈り所に連れ込むとは、無礼極まりない行為であり、許されたものではない。
熱で真っ赤になった肌と、不気味な黒い斑点。かなり末期的な症状であり、もう見ただけで手遅れだとわかる。
女は最後の手段に出たのだ。
最高神官が山くだりするこの儀式に直訴するという手段。
無謀といわれようとも無礼といわれようとも、死にかけた子供にわずかでも助かる可能性があるならば、それにかけるのが親というもの。
だが、それを受けるわけには行かない。
最高神官の使命は、他の神官とはやや違う。癒すことではない。守ることなのである。
それにここで、このような事例を作ってしまっては大変なことになる。霊山を病人の聖地にするわけにはいかない。
『祈りの儀式』を『癒しの儀式』にするわけにはいかないのだ。
多数を救うために、少数を犠牲にすることも、やむをえないこともある。
女は震えていた。
この日のために、病の子供を隠し続けながら、一人でここまできたのだろう。この女にも癒しが必要なほど消耗している。
「なんという恥知らずな、なんという……!」
罵倒する声が聞こえてきても、病気がうつると思えば、誰も女と子供に手を掛ける者はいない。
エリザにあっても、子供に触れるのは危険だった。
しかし……。
母親の瞳の中に涙が光っていた。
エリザは、母を思い出していた。子を思う母の気持ちは、誰でも何にも勝るのであろう。
自分だって小さな頃、熱を出して母を困らせたことがある。朦朧とした向こうに、必死に看病する母の姿を見て悲しく思ったことがある。
助かったのは、重病ではなかったからだ。神官の煎じてくれた薬草で、とりあえず熱を抑えることができたのだ。
しかし、この子の病は……。
とてもよくない熱病だ。素人看病で治るものではない。
必死に握り締める母親の手を、つい握り返してしまった。
辺境の村には、充分な医療がない。ムテの恩恵は届いても、癒しの手は届かないのだ。
エリザも思わず泣いていた。
――皆に敬われたくて巫女になりたかったんじゃないの……。
皆を助けてあげたかったから、巫女になりたかったの……。
涙で潤んだ目で、女の腕の中の子供を見る。
やっと歩けるようになったばかりの歳だろうか? 親にしてみればかわいい盛りだ。
しかし、病に侵された不気味な顔に、かわいいと思える要素はない。気味が悪い。死が、顔に張り付いているのだ。
確かに助かりそうにない。でも、だからといって見殺しにはできない。
あまりに痛々しい子供の額に、エリザは思わず手をかけた。
「私がお助けいたします」
エリザの口から、ほろりと言葉が漏れていた。
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