おそらく華やかであっただろう最高神官の行進を、エリザは見ることがなかった。巫女姫として、祈り所の前で出迎える仕事があったからだ。

 打ち合わせ通りに手を取るため、頭を上げると、エリザはすべての力が抜けてゆくような安心感に包まれた。

 微笑みながら手を差し出す人は、エリザと同じ礼装であった。しかし、彼が放つ魔の力が、さらにまばゆいばかりの美しさを演出していた。

 とても同じ素材で同じ意匠を凝らしたとは思えない。金剛石がより大きいのでもなければ、銀糸がより多く刺繍されているのでもない。しかし、明らかにエリザとサリサは違うのだ。

 ムテの聖装は華美ではない。だが、使っているものはすべて高価で貴重なものである。その真の美しさは、纏う者の力があってこそ引き立つものだった。

 まるで世界が切り離され、ヴェールに包まれたかのように、彼は存在した。


 ――触れがたい。神のようだわ……。


 打ち合わせ通りに出しかけた手が震えた。

 呆けたように力が入らず、差し出された手に届かない。

 気の優しさにふれるだけで安息を得られるような。だから、実際に触れるのは恐れ多いことに思えてしまう。

 しかし、まばゆいばかりの相手のほうは、エリザの躊躇をものともせず、微笑みひとつでさっと手を取ってしまった。

 見ている者は、誰一人として、この微妙な二人のずれに気がつかなかっただろう。

 エリザは、その手に触れて初めて、サリサが本当にそこにいるのだと気がついた。

 神などというあやふやなものではなく、確かにムテ人の一人である。しかし……。


 この人とは、世界が違いすぎる……。


 うっとりとしながらも、そぐわない違和感。あまりのつりあわなさに、エリザの心は高揚しながらも、どこか沈みかけていた。

 手を繋ぎ、祈り所への階段を降りていく間も、なんだか呆けてしまっていて、何をしているのだかわからなくなってしまった。

 しかし、数多く練習したことが幸いして、エリザとサリサの歩調は合っていた。

 エリザには初めての儀式だが、最高神官はこの儀式を何度か経験している。だから、やはりエリザのために、何度も練習のために間違ってくれたのかもしれない。

 祈り所の奥の上座に着く頃になって、やっと気持ちが落ち着いてくると、失敗していない奇跡に驚く。と同時に、最高神官のくどいほどの練習への執着が、やはりこのことを予見していたからにちがいないと思われた。


 ――やはり、すごい人だわ。すべてはお見通しだったんだ。


 練習は、何度も繰り返されることに意味がある。

 手を取り合いたくて……などという、フィニエルの説に翻弄されかけた自分が恥ずかしい。それをひそかにうれしく思っていたなんて、あまりにも俗っぽいことだと、エリザは反省した。

 



 夜になるのを待って、本番がはじまる。

 東の扉から入場した最高神官は、一度祈り所の中央で待機する。最高神官サリサ・メルの力は大きく、集まった神官たちも皆、銀に光り輝いていた。

 これだけの力をもった神官たちの間を歩くと思うと、エリザは緊張した。しかし、自らもいつもよりも明るい光に包まれていることに気がついて、勇気をもった。

 大満月の夜は、力が増大するのだ。

 一度閉まった東の扉が開く。エリザが歩を進める番だ。

 神官たちは星のきらめきのようだった。その中を、巫女姫はゆっくりと歩みだし、中央で最高神官と手を繋ぐ。

 それを合図に、壁がゆっくりと外されていく。天も開けてゆく。

 エリザは祈り所の中央で、頭上で繰りひろげられる壮大な幕明けに圧倒されていた。

 いったいどのような仕組みなのだろう? 石で出来た壁は重たいし、屋根も巨大なのに。誰かが手で動かしている気配はない。

 ごおぉぉ……と、重たい音が響いた。

 大きな月が現われた。

 見たこともないような巨大な月。年一度の大満月の夜とはいえ、大きすぎる。


 エリザは、ふるさとにいるときにも小さな祈り所で『祈りの儀式』に参加していた。霊山主催のこの儀式に参加できない神官たちは、村で同じような祈りの儀式をするものだ。

 霊山のふもとの村に、すべての人々を招くことはできない。神官に召集がかかるのは、本当にまれで名誉なことである。

 村人たちも村の神官に倣う。いつか、霊山へ行きたいと思いながら、木造の小さな祈り所の天井を、手動で開くのだ。

 本当に小さな儀式だった。

 今回の儀式とは比べようもない庶民的な手作りの儀式。近くに出店なども出たりして、エリザは楽しかったのを覚えている。

 ムテの人々は、それでも光り輝いていた。月も、もちろん見ていたはずだ。

 しかし、今夜、この場で見る月は別の天体のようだった。もちろん、そのようなはずはないのだが……。


 エリザは、自分の体から巨大な力が引き出されていくような不思議な感じをおぼえた。

 この場にいるすべての神官と、共鳴している自分がいた。

 彼らは、サリサとエリザの心と同調しながらも、敬い、へりくだる。

 誰もが注目し、見つめている中で、最高神官と手を繋ぎ、気をひとつにする。

 その瞬間。

 溢れんばかりの月の光がそそがれて、祈り所にいるすべての神官にその恩恵を分け与えている自分がいる。


 怖い……。

 この身にそぐわない力が怖い……。


 エリザの手は震えた。

 しかし、その時小さなささやき声が聞こえた。

「大丈夫です。自分自身を信じて……」

 ふと見あげると同時に、最高神官はエリザのほうを見て微笑んだ。

 それは、打ち合わせにはない特別な出来事。

 この人は、確かに至らぬ巫女には似合わない、力を秘めた偉大な人に違いない。

 でも、辛いこともうれしいことも、何もかも分け合おうと約束ししてくれた。エリザにとって、たった一人の大事な人。

 あたりの闇を見回してみる。

 浮かび上がる銀の粒子たち。

 神官たちが煌く星ならば、最高神官は、闇を殺す明るさはないものの、エリザにとっては太陽のように温かく、まぶしい存在だった。

 そして巫女姫はまさに月なのだ。

 この儀式自体が、巫女姫を満月にたとえた儀式である。

 月は、常に太陽の光を浴びて輝く。大満月とは、太陽の恩恵をもっとも受けた夜なのである。


 ――怖がる必要なんてない。


 私は力を受けて輝けばいい。それができる巫女姫のはずだ。

 選ばれたこと。そして、最高神官を信じていればいい。

 大丈夫……。


 エリザは繋がれた手を握り締めた。返事は、さらに強い力で戻ってきた。

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