部屋に戻る途中、先ほど以上に人々の気を感じる。

 木造の渡り廊下の下に、何らかの作業をしている者がいるのだろう。気になって仕方がない。

 しかし、フィニエルの足取りは速い。エリザは、人の気配に気を引かれながらも、慌てて後を追いかけた。

 背後を追ってくるのは、少年たちの笑い声である。自分が笑われたわけではないのに、その声を聞いてエリザは恥ずかしくなってしまった。

 ムテにこれだけの若者がいたのか……と思えるほどの人数の少年たちがやってきて、仕え人の控え所の隅に天幕を張って住み着いていた。

 彼らは、ムテの学び舎で生活する神官の卵たちであり、この時期だけ特別に霊山に来る。そして、パン焼きや薬草精製の手伝い、機織りに至るまで仕え人たちを手伝う。その働き具合といったら元気いっぱいで、見なくても様子が伝わってくる。

 少年たちは、エリザと見かけの歳が同じくらいだ。霊山の作業が楽しいとは、おそらくまだ子供なのか、それともよほど学び舎がつまらないところなのか、だろう。

 もちろん、普段は最高神官以外の男性と会うことが許されない巫女の身なので、彼らと共に作業することも顔をあわすこともない。しかし、同年代の若者の楽しそうな気は、エリザの心を揺さぶってしまう。


 部屋に戻ってフィニエルが着替えさせてくれる間も、エリザは落ちつけない。どうしても近くに若い男性の気を感じてしまう。

 薄い肌着一枚になった時に、彼らの目に自分がさらされたような気になってしまい、耳たぶが熱くなってしまった。

 つい、胸元を隠すように差し出した手に、フィニエルの手も止まる。

 ドキッとした。

 彼女はつまらない妄想を見抜いたに違いない。そう思った。

 好きな人はただ一人。他の若い男性に興味があるわけではない。

 でも、間違いなく彼らを意識しているのは事実。巫女姫としての品位を疑われてしまうだろう。

 悪いことなど何もしていないのに、なぜか罪悪感でいっぱいになる。


 ――このようなことを、あの方に知られてしまったら?


 エリザは真っ赤になって目をつぶってしまったが、フィニエルは再び手を動かし始めた。

 新しい白い衣装の肩紐が結ばれる。かすかに香る薬草の香りに、肩の力が少しだけ抜けた。

 フィニエルがやっと口を利いた。

「霊山の気の力が強まっているのです。魔力の強い者は、影響を受けて当然です。癒しの仕え人も、指導に集中できかねたのでしょう。どうかご勘弁を……」

「え?」

 エリザはぽかんと口を開けてしまった。

「ですから、次回、癒しの仕え人に会った時に、『先日の仕事放棄を許します』と、おっしゃればよいのです」

「ええ?」

 フィニエルの言っている意味がわからない。

 でも、どうやら、エリザがインク壷を転がしてしまったことが、直接の授業中断の原因ではないらしい。

「そのようなとぼけた声を上げてはなりません。あなた様は巫女です。この母屋の女主人なのですから、常に堂々となさいませ」

 その言葉と同時に、着替えは終わった。


 鏡に写るエリザの姿に、まだ巫女姫としての貫禄はない。

 むしろ、今、背後に立っているフィニエルのほうが、よほどそれらしく見える。彼女のほうが背が高く、立ち姿がきれいなのだ。

 エリザは、恐る恐る胸を張ってみた。

 少しだけ背が高くなったような気がする。いや、実際に霊山に来てから背が伸びている。

 フィニエルがそっと肩に手を添えて後ろに引く。凝った肩に手の重みが気持ちいい。

「……こうなさると、少し背筋が伸びます。首から肩にかけての線がきれいなのですから、姿勢を正しくなさらないともったいない……」

 その言葉に、胸の鼓動が早まった。


 ――きれい。

 ……なんて素敵な響き。不思議な言葉。


 確かに、鏡の中の少女はほっそりと長く美しい首を持っている。

 自信のなさがエリザを猫背にしてしまい、背が低いわけでもないのに小さく見せてしまうのだ。その結果、長身揃いの霊山の者たちの間で、エリザはますます萎縮する。

 思いもよらない自分の美しさを発見して、エリザは鏡に見とれていた。背後に並んだフィニエルが、エリザの髪を後ろへと垂らした。すっきりと首から肩の線が見える。

「ご自分を美しく見せることも、巫女姫には大切なことなのです」

 その時、母屋にまで若者たちの笑い声が届いた。

 先ほどまで感じていたような、肌まで見透かされる気ではない。侮蔑的な笑い声には感じられない。むしろ、美しい巫女姫を称える歓声のようにも聞こえた。

 もちろん、彼らは巫女姫を見てはいない。おそらく、何か愉快なことでもあったのだろう。

 エリザは、つい微笑んでしまった。

 ところが、鏡に写ったフィニエルときたら、苦虫をかみ殺したような顔である。

「何が楽しいのでしょう。あのような者たちが、将来の神官だと思うと……嘆かわしい」

 笑ってしまった顔を、エリザはそのまま硬直させた。

 フィニエルの言葉は、エリザに少しだけ自信を与えた。しかし、それは若い女性のための自信ではない。巫女姫のための自信だ。

 とはいえ、エリザはやはり普通の少女なのである。

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