春の記憶

帆場蔵人

春の記憶

 春の陽気にさそわれて、町をそぞろ歩くことにした。少し行くと修道院があり、その敷地の周囲にぐるりと桜が植わっている。修道院を囲む道を挟んで住宅地が広がり、車の通行がすくないので散歩には恰好である。調子よく足を運んでいたのだが、わたしはふと足を止めてそれをみた。ある家の玄関さき、籐の椅子に乗せて置かれた鳥籠。


 数年前にもこうして歩いていた。その頃、あの椅子には老紳士が座っていた。そしてその傍らにはいつも鳥籠が吊り下げられていた。そのなかから、


「オアヨ、オアヨ」


 と、呼びかけてきたのは緑の羽根が鮮やかなオウムであった。くるりと湾曲した嘴の上、額の羽毛は赤く体長は四十センチから五十センチぐらいで、鳥籠が狭そうに見えた。オアヨ、と言われて立ち止まったが最初は何を言っているのかわからなかった。


「やぁ、オアヨうございます」


 傍らの椅子に座った老人から挨拶されて、おはようの事らしいと気づいた。八十歳ぐらいだろうが、背はしゃんと伸びていて立ち上がるとわたしより背が高いのでなかろうか。むらのない白髪と面長な顔、白眉は長くのびふわふわとしていた。老紳士といった風情の男性である。その日は挨拶だけして通り過ぎたが、その日以降晴れた日に散歩に行くたびに老紳士とわたしは挨拶をして、段々と世間話をするようになった。お天気の良い日はこうして門口に座って数時間、過ごしているのだという。だいたいは天候のことやさくらの話しをするぐらいだったが、オウムについて、彼がわたしに話しをしてくれたのが頭に残っている。


「こいつはねぇ、シンガポールで買ったんですよ。もう四十年前になるのかなぁ」


 オウムが長生きだとは知っていたが、実際に四十歳を越えるオウムを始めてみたのでわたしはまじまじとそいつを見つめた。そう言われると鳥特有のくりんとした眼に知性が宿っているように見えるのが不思議である。わたしよりも長く生きている、のかと感心していると、オアヨ、オアヨ、と喋り始める。他にも何やら言っていたが何故かオアヨだけが頭に残っている。


「僕は若い頃は船に乗っていたんだよ。シンガポールに寄港したときに、市場でこいつを見つけてね。船旅の友人になってもらったんだよ」


 彼はそう言って長年の友人を紹介するように照れ臭そうにする。自分もオウムも年寄りになって、どちらが先に召されるのかねぇ、と笑った。わたしも釣られて笑う。


「外国生まれの友人とは羨ましい、ですね」


 わたしの言葉に目を細めて彼はにっこりしていた。日本生まれの彼とシンガポール生まれのオウムと日本生まれのわたし、考えてみるとここで我々が出会っていることが不思議な縁に思えたのだった。それからさくらが咲き散りゆき、初夏が過ぎるころにわたしは仕事の都合でこの町を離れた。彼とはそれっきりである。わたしはついぞ、老紳士とオウムの名前すら知ることはなかった。


 数年ぶりにこの町に戻り、空の籐の椅子と空の鳥籠を見るまでわたしは彼らを忘れていたのだ。あの場所からは何が見えていたのだろうか。わたしは記憶のなかで彼らの視線を追う。見上げるとそこにはさくらの蕾が膨らんで小さな泡のように、ひかりを浴びて薄桃色が滲んでいた。わたしは、オアヨ、と口の中で小さくつぶやいた。それを春風がさらってゆく。見上げた空はシンガポールにも続いているのだ。いつかまた彼らに出会う日が来るのかもしれない。

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春の記憶 帆場蔵人 @rocaroca

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