ささやかな黄金時代(2)

 館の中はこじんまりとした、生活感のある内装だ。木の柱が歩行の邪魔にならないように小気味良く点在し、タンスや戸棚といった家具が自己主張しすぎることなく配置されている。


「寒いだろう……茶をれるから少し待っていろ」


 少し不躾ぶしつけな印象のしゃべり方をする男だが、悪い人間ではなさそうだ。そもそも不躾という言葉を使うなら、自分の方が似つかわしいぐらいだ。


 フードを外して奥へ向かった青年は、何かごとごと音を立てながら支度し始めた。立て込んでいるのかと気にしかけた頃、何事もなかったかのように戻ってきた。


「湯が沸くまで少し時間が必要だな。先に話を聞こう」


 赤い斑点のついた色白い右手を差し出してきた。


「織物職人のセグだ」


 握手を交わした。薦められるまま居間の奥へ通され、テーブルをはさんで置かれた椅子の片方に腰を落ち着けた。暖炉の炎が小さいながらも絶えず赤い光を放っている。近づけた手の先からほのかな暖かみが全身へと伝わる。少しの間ささやかなぬくもりに身をゆだねた。


 自己紹介は簡潔に済ませた。小難しい魔法研究について話しても徒労に終わるだけだろう。世間話する性分でもなく、早速依頼の話を切り出した。魔法の刻印が施された手袋を厚さ0・5ミリ程度で製作してもらいたい。


 セグはしばらく聞き入っている様子だったが、突然立ち上がり、先ほど支度していた方に歩いて行った。2つの湯飲みカップをつまんで戻ってくると、テーブルの上へ音を立てずに置いた。


「おれの生活時間は夜中心だ。この肌……日光に弱い体質だ。太陽光が持つ紫外線への耐性がないのだろう。紫外線というのは、異端の文献に記されているのだが、人体に悪影響をもたらすらしいな」


「……国の認可がない本の知識ですか?」


 私は目を見開いて話の続きを聞こうと耳を傾ける。


「異端の文献に興味があるのか……。珍しいやつだな」


 白い肌の男は、いぶかしげな面持ちでのぞきこんできた。


「異端の文献は都市部の方が寛容みたいだな。おまえは知らないようだが、郊外の町や村ほど偏見が強い。魔法研究している連中は知識に対して貪欲だから許容されているかもしれないが、もっと遠い山村まで離れると禁書扱いだ。何せ皆、日々の暮らしを全うすることが生きがいなんだ。国が異端と称している知識を得ようなどと考える者はいない」


 自分の故郷では本を読むこと自体が珍しく、何を読むべきか読むべきでないかという議論は出たためしがなかった。首都コアで魔法研究生として毎日を送るようになってからは、むしろ水を得た魚のように国立図書館へ入り浸っていた。周囲の眼を気にしなかったことを今さら反省するつもりはないが、魔法士以外の者が自分をどう見ているのか、客観的な認識に欠けていたのは間違いない。


「……耳が痛いようだな。国が認可している文献にはおれの体質、病気については載っていなかった。異端の文献から太陽光について調べたのは、あくまで成り行きだ。体質の謎は幾分か解けたが、おれは異端の知識について認めていない」


 目の前に暗幕が垂れ下がった気がした。国が認可していない文献に興味を持つ自分と、セグとでは相性が悪い。依頼は断られるかもしれない。


「私は『役に立たない』文献から知識を得て魔法研究に取り込もうと考え、模索しています。あなたには魔法についての構想を実現するため、職人としてご助力いただきたい」


 正直に伝えた。愚直な気質だから仕方がない。断られても簡単にあきらめはしないが、一時撤退だ。


 セグは何やら考え込んでいる様子だったが、紺色に染まった窓の外に目を向けてつぶやいた。


「世の中、理不尽なことばかりだ。レッドベースの一門に競争で敗れたばかりか、国からの仕事は全く無くなった。おれが限りある時間しか外出できないのも同じだ……」


 再び黙り込んだ。耳を澄ますと小声でぶつぶつ恨み言を並べているようだった。


 世間を冷えきった眼で見ているのだろうか。彼の言葉を理解しようとすると気が滅入ってきそうだ。


 視線を落とし、湯気を昇らせているマグカップをつまんで口元に運ぼうとした。ふと気づいたのだが、ひどくいびつな形をした陶器だ。底から円を広げるように作られた一般のものとは違って左右非対称にうねっている。


「理不尽だろう?」


 言葉に皮肉めいたニュアンスがこめられていた。


「外見だけで判断するのはよくありません。確かに形はいびつですが、いびつなりの良い味わいがあるかもしれない」


 中には黒い……液体が注がれていた。イメージは最悪だが思い切って口に入れてみた。苦味が食道をつたって空っぽの胃に落ちていく。予想を大きく裏切る味に、口元をすぼめて流れ込む量を少なくしようとしたが、歯が器の突き出た部分に当たり、がちがちと鳴った。


「うぷっ、これは……」


「異端の茶、コーヒーだ。……と言っても原料がないので、役に立たない『ねっと』百科事典なる文献から見た目だけ似せて作った」


 白い肌の青年は口元をほころばせ、初めて明るい声を飛ばした。


「かぶりつくほど美味いか……味がわかる男とは友誼ゆうぎを通じておいても損はなさそうだ」


 初めて知る飲み物の名前を聞くのと同時に、なぜか自分への警戒心が解かれていることに気づいた。理由はわからない。変わり者同士、馬があったのか。白い肌にいくつか赤い斑点をつけた同世代の若者は、世界へ疑問を向けつつ自分の活躍する場を求めているような気がした。


 ……セグの家を出たのは、依頼の詳細を夜通し詰めた翌朝だった。薄闇の空に月と太陽が同時に浮かんでいた。明け方の天上に黒い球体は現れない。空を仰げば、まばらな雲が遊ぶ子供のように駆けて行き、紅梅こうばいがかった陽光を浴びて輝いている。黒い第3の天体が存在しない空は何とも言えず清々しかった。

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