ささやかな黄金時代(3)

「アキム特任魔法研究生、来客があります」


 2週間が経過した。三寒四温さんかんしおんのうららかな夕刻……。私は魔法研究所の2階に割り当てられた自分の研究室で、背中を椅子に預けてうたた寝していたところ伝達の声で起こされた。


 同期の魔法研究生から敬語を使われるのは気持ちが悪い。まだ慣れそうにない。


「来客とはめずらしいですね。どんな方ですか?」


 同じく丁寧語で返してしまう。


「それが……道化どうけ師のような風貌で……『納品前に来てやったから早く出て来い』などと申しています」


「道化師?」


 心当たりのあるような、ないような……変わった外見の男には違いない。1ヶ月以内で会った人間の顔を空中に並べてみると、ある男に焦点があった。


「セグだ……」


 私は椅子から勢いよく飛び起き、正装のローブ片手に研究所の1階へ駆け出した。


 渦中かちゅうの男は魔法研究所1階と2階をつなぐ大階段の下で、研究生相手に押し問答していた。


 大きなリュックを背負い、魔法士以上に怪しい……というより本来魔法使いとはこういう服装だ、とでも主張するかのような焦げ茶色のオーバーコートを全身に覆っている。


「アキム、魔法具が完成したぞ」


 セグは頭を覆うフードをぬいで、白い肌に赤い斑点がいくつもある顔を向けた。相手をしていた魔法士は都市部では見かけない顔立ちに驚いたのか……ぎょっとした表情を浮かべた。


「ここでは話しにくい。外でかまわないか?」


 私は魔法研究所の北にある裏庭までセグを案内した。石造りの城壁を迂回うかいしてまわりこむ。空はべにが紫がかった色をまとって首都コアを同色に染めていた。魔法研究所は正門扉のある南側が大通りにつながっている一方、背後はだだっ広い空き地が広がって一部は農地として利用されている。傾いた南西の太陽は光を旧王城の厚い壁にさえぎられ、「裏庭」と呼ばれる研究所付近の区画は正門側より早く夜が訪れる。


 施錠せじょうされた裏口の扉を懐に忍ばせた鍵で開け、石造りの壁に備え付けられていたランプの取っ手を握った。たいまつより光は弱いが、地面に置いて照明代わりとするには丁度良い。


「2週間とは随分早いですね。驚きました」


 彼を訪ねてから経過した日数を考えると、注文の品を仕上げられるとは思いも寄らなかった。早くとも1ヶ月以上はかかる予定だった。


「試作品だ。おれは魔法を使えないから、おまえが代わりに実験してくれ」


 セグは背中の荷物を下ろし、大きな袋の中身を広げて2枚の手袋を差し出した。


「手袋を裏返して確認してみてくれ。1枚は手のひらの表に放出、裏に吸収の刻印が入っている。もう一方は今使っている魔法具と同じく、放出の刻印のほか裏側に米粒状の小さな刻印がついているはずだ。布地の厚さは0・3ミリ。注文どおりの薄さだろう」


 2枚の手袋を用いて実験する内容は「魔法属性の合成」だ。魔法弾の単純な威力向上は目処めどがついた。次に手をつけるべきは魔法弾に付加させる属性を強化し、影の王にとって致命傷となりうる新たな属性の開発だ。


 火・氷・土・風の4属性のうち、土を除く3つの属性は魔法研究士たちによって攻撃に使用するものと位置づけられている。ただし火と違って氷と風は、土属性による治癒機能より早く実験が進められていたにも関わらず、十分な効果が得られていない。現状では影の子へ攻撃する際には火属性を付加した魔法弾のみが有効と考えられている。目標は、火属性以上の攻撃力を引き出す新属性を合成により誕生させることだ。


 実験には複数人の優秀な魔法士が必要となる。自分の研究班で協力できそうな人間は夕暮れ前に帰宅していた。遅い時間まで研究しているのは……エキスト主任魔法研究士の班のみだった。


 全く気は進まないが、わがままなど言っていられない。魔法具をそっと地面に置いた。裏口の扉を開けて再び研究所へ入り、折り返し階段から2階へ上って実験の協力者を探しに出かけた。


 階段は1階大広間の裏側を通って研究室が揃う廊下へ続く。陽の光が入らない時間帯の魔法研究所は多数置かれたランプの光によって石造りの壁が青白い輝きを放っていた。案の定、出くわす者は誰もいない。方々探し回った挙げ句、エキストやデスティンらが研究する大きな間取りの部屋まで足をのばした。


 部屋の中から激しい口論が聞こえてくる。熱気自体は嫌いでなかったが、自分が入った瞬間に空気が凍りつく光景を想像するだけで気後れしてしまう。とはいえ外にセグを待たせたままなのはいけない。ドアを開けるべきかどうか自問自答していたが、ようやく意を決した直後、背後から明るいソプラノが聞こえてきた。


「あれ、アキムじゃない。どうかした?」


 みかん色の髪を後ろに束ねた女性が立っていた。白いブラウスにえんじ色のスカート。魔法士のローブは着ていなかったがむしろ見知った姿だった。故郷を同じくする幼なじみだ。


 ああ、良かった……。長い付き合いだが、ティータがまばゆい輝きを放つ救いの女神に見えた。困惑する表情がうかがえたが、無視して彼女の手を握りしめていた。幸運にも協力者を確保した。不思議そうな顔をするティータに短い説明だけ告げて裏口への道を引き返した。


「へぇ~~ふんふん。……えっ、魔法を合成って本当の話なの? 火や土をくっつけるってことでしょ? すごいじゃない、アキム!」


 彼女は折り返し階段の踊り場で感嘆した。


「現時点で可能かどうかはわからない。合成できるかどうかを確かめるんだ……」


「話はあとあと。さっそくやろうよ。実験場所は……裏庭なんだね」


 乗り気になった女性魔法士の手を引く必要はなくなったので、ひとり一目散に走って研究所の裏口の扉を開けた。


 夕闇の中、地面に置かれたランプが周囲を薄明かりに包んでいた。セグは草がぽつぽつと生えた場所に腰を下ろして天上を眺めていた。良かった……。気分は害していない。


「お待たせしてすみません」


 託された手袋を拾い上げ、さっそく実験の準備に取り掛かった。

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