Ver1.4 ささやかな黄金時代

ささやかな黄金時代(1)

 冷たい風が瞬時に背中へ通り抜けてゆく。翌日の2月15日、首都コアから西へ向かって私は早馬を走らせていた。乗馬の腕前は相変わらずだ。自分でも嫌になるほど下手くそだが、からかう同行者がいない分だけまだマシか……。


 織物職人のセグがいるというジフ村まで3時間を要した。ささやかだが澄んだ空気を全身に浴びて久しぶりの自然を満喫した。


 レジスタ共和国は山に囲まれた小国ゆえ、馬の力を借りれば1日で中央の首都から国境まで足を伸ばすことができる。平原から眺めれば、遠く地平線の向こう側に、隣国とを分かつ峻嶺しゅんれいを一望できるほどだ。馬上から時折、レジスタ共和国の最果てが視界に入った。急峻きゅうしゅんな山岳の頂上に紫色の霧がたちこめている。


 隣国へ続く街道は国境付近で閉鎖されている。外交的な問題ではない。国境を越えようと山に入った者は必ず行方不明になるからだ。レジスタ共和国の周囲は「影の王」が出現した時より強い霧が発生し、街道に近いかどうかは関係なく、国境まで立ち入った者に命の保証はなかった。


 影の王がもたらす脅威から逃れようと過去、旧王族を含め多数の人間が国外へ脱出を試みたそうが、例外なく死体として発見されるか、更なる悲劇に見舞われるかのいずれかだった。


 過去に国を挙げて行方不明者を何度か計算したことがあるらしい。偶然か奇妙な因縁いんえんか、発生する「影の子」と人数が一致した。粘性のある黒い水が覆う影の子だが、体格から過去、姿を消した人物と酷似するとの報告が上がった。魔法研究所が結論として掲げたのは「影の子」が人間の遺体を使って行動するというものだった。


 私は馬を降りた。到着したジフ村は茅葺かやぶきの屋根ながら商店が軒を連ねる活気に満ちた集落だ。街と呼んでも差し支えない。入り口で見かけた男から、魔法士という立場を使ってセグという織物職人の家を聞き出した。村の奥にある小高い丘に住んでいるらしい。


 疲れた馬と乗馬用の外套がいとうを宿屋に預け、曲がりくねった道を普段と変わらぬ足取りで進む。丘の頂上近くまで登ると2階建ての木造建築が姿を現した。直方体と三角柱を合わせたような独特の景観。住居と呼ぶには何だかものものしい。あるいは直方体の幅広い部分が工房なのかもしれない。


 近づきつつ内部の様子をうかがった。三角柱の建物についた窓から見える部屋の内装は暗く、カーテンで光をさえぎっている。不在なのだろうか? 窓にほど近い玄関口で金属製の呼び出し鈴を鳴らし、セグの名を呼んだ。


 ――返事が聞こえない。やはり外出しているのか。


 きびすを返していったん道を戻ろうとしたが、家の中から人のいるような微量な物音が聞こえたため、立ち止まった。階段を昇っていくような音だ。


 ちょっと待ってみるか……。


 昨日と違って冬に逆戻りしたような陽気だ。野外で立ち止まっていたからか足元より寒さが身体を侵食し始めた。手荷物の中から毛糸のセーターを取り出してローブの下に着込む。玄関から少し離れた場所で横になり、読みかけの一冊を取り出した。


 ゆったりした時間が時折吹く寒風に邪魔されながらも次第に流れていく。


 ……ふと気がついた。


 空から夕闇が覆い始め、黄昏たそがれの時刻がやってきた。魔法士の日課だ。立ち上がって東の空に浮かぶ半透明の黒い球体――「影の王」の姿を視界に留める。


 「影の王」は毎日同じ時間に姿を現す。太陽の沈む時刻が1年を通して変わらないのだから当たり前だ。「役に立たない」教科書には日没時刻は1年周期で変化し、日照時間や陽の角度が変わるため季節も変わると解説している。


 理屈はもっともだが自分のいる世界の現実は異なる。毎日変わらぬ星空と同じように、黄昏の時刻にも1年を通して変化はない。現実がおかしいのだろうか? 以前は頭を悩ませることもあった。何か大きな問題の一端かもしれないが、影の王を前にしては全てかすんでしまう。


 しばらく頭上を仰いでいた私は、読書を続けるのが難しくなるほど辺りが暗くなっていることに気づいた。


 帰るか……。


 本を片付け、荷物をまとめて背中を向けた時だった。ようやく館の扉が開いた。


「酔狂なやつだな。まだいたのか……」


 茶色のフードつきマントをかぶった、極端に色白の小柄な青年が現れた。


 真っ白な肌だけでなく、赤い斑点が身体のあちこちに付いている。刺青いれずみや化粧というわけではない。生まれついての身体的特徴なのだろう。


「その服装、魔法士だな。おれに用か?」


「仕事の相談です。レッドベース・コアから紹介されお伺いしました」


「レッドベースから? 珍しいな。おれは昼に寝て夜行動しているんだ。周囲の人間とは生活時間が合わず、めったに顔を合わせることもない……おまえは運が良いやつだな」


 肌の白い青年は興味深く私の格好を観察しているようだ。


「まあ、立ち話もなんだ……風邪をひくまえに家へ入るか?」


 確かに軒先のきさきで長話をしたらクシャミが出そうだった。遠慮せず彼の厚意に甘えることにした。

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