運命の日《魔法暦100年》 中編(4)

 記憶の糸を手繰たぐり終えてから数分経過し、雨が幾らか小降りになった。緊縛きんばくが解けて身体を動かせるようになる。他の魔法士たちも自分と同じくフードを目深まぶかにかぶり、しゃがんでいる姿を確認する。


 降り注いだ大量の雨水は残骸となった影の子と大地に吸収され、残りは起伏の緩やかな草原の傾斜に沿って聖弓魔法奏団の後方へ消えていった。上空はまだ見えないが、影の王も初めて歴史に残る豪雨を経験したに違いない。


 影の王の欠片かけらがもたらした情報から、影たちがその身を鉱石へ変えるすべは熟知している。粘液状の身体で動き回る特性と引き換えに、表面を硬質化させて水を防ぐ能力を持っている。

 

 弱点に対する備えさえ万全な彼らだが、炎に包まれて燃え盛っている間、復讐せんと凶暴化している間は硬い外殻へ変身することができない。以前、鉄製の箱に入った影の欠片が水を避けるため鉱石の塊へと変わったときも、後から炎が覆ったことで怒りに震えながら粘液の状態まで逆戻りした。炎と水を同時に浴びることは影の王ですら想定していないのだろう。


 弱点である雨を浴びせるには、炎が影の王を覆っているのが必須条件だ。その意味で影の王を攻撃的な形状に変化させてからも続けて火属性の魔法弾を撃ち込み、全身を炎に包むまで至ったのは幸運と言える。


 雨の勢いが弱まり、視界が開けた。球体が漂っているはずの上空を見上げる。雨が降る前に放たれかけた黒い塵は襲ってこなかった。果たして影の王はどうなったのか……。


 空中に浮かんでいるのは視界の一部を埋め尽くす、黒くゆがんだ球体だった。大きさは直径にして元の倍はある。幅200メートルもの鴻大こうだいな塊だ。表面から伸びていた触手も龍の首も人間を模した顔も、全てが無くなっていた。黄昏時に毎日見ていた黒い球体が、真球からほど遠い不恰好ぶかっこうな姿で漂っていた。


 影の王の身体がゆっくり動きはじめた。左右へ身体を揺らしながら場所を移動しようとしている。あまりに鈍重な動きは間もなく止まった。ふくれ上がった巨体が意思を拒絶しているようだ。


 黒い球体は同じ場所で静かに揺れ続けた後、突然力尽きたのか浮力を失った――。


 重力に引かれるまま急激に落下し始めた。漆黒の巨体が目前へ迫る。影の王との距離は十分に離れているはずだが足がすくみそうになった。


 ズドォォォォォォン……!


 世界の果てまで届くような重低音。地面が上下に激しく揺れた。景色がひっくり返ったかと見紛みまごうほどだ。大地に発生した衝撃が地平線の彼方へ突き抜けていった。私は躍動する地面に足元のバランスを失って前のめりの姿勢で倒れ込んだ。聖弓魔法奏団の各所から空中を見上げていた魔法士たちも、次々と地面に転がった。


 地上に墜落した影の王は下半分が地面との衝突で押しつぶされ、黒い液体をき散らして周辺に山ほど泥の塊を作った。中央部分こそ球体の名残はあるが、分厚い絨毯じゅうたんのように平たく広がった姿はもはやと呼べるシロモノではなくなっていた。


 「影の王」は聖弓魔法奏団によって上空の玉座から引きずり下ろされた。





 私は起き上がって魔法士たちの無事を確認し、号令を放った。


「聖弓魔法奏団に告ぐ! 影の王へ追撃する好機だ。砲台役と中継役は現状を報告せよ。残る者は手はず通り投擲とうてきの準備に移れ!」


 作戦を変更するだけでなく、聖弓魔法奏団の立て直しに取り掛からねばならない。


「アキムさん、砲台役と属性付加役それから中継役の被害状況がわかりました」


 カウルが魔法士たちの残骸ざんがいにたたずむ私の場所へやってきた。栗色の頭髪が汗まみれだ。


砲台ほうだい役は前列50名のうち死者28名。後列20名のうち死者8名。属性付加ぞくせいふか役は前列50名のうち死者26名、後列20名のうち死者7名。中継役は総数100名のうち死者38名。中継役の減少による魔法弾供給に問題ありません」


 目を閉じて仮想の陣容図を思い浮かべ、青年魔法士の説明をもとにバツ印をつけていった。刻んだ印の数では表現できない無念と屈辱があった。影の王と自分に対する怒りだった。


 カウルに指示し、隊列へ中継役のリーダーとして戻ってもらった。私は号令を続ける。


「……現在、砲台役と中継役に命令を伝達している! 影の王本体の行動は封じたが、確実に雨をやり過ごした影の子が襲ってくるだろう。ベテラン魔法士は個人の魔法弾で対応せよ!」


 しぼりだした声が小雨の続く灰色の空に吸い込まれた。


 聖弓魔法奏団の外側にうごめいていた影の子の中には炎を受けず、表面を鉱石へと変化させて雨から身を守った者がいた。


 聖弓魔法奏団の外、鎮火した黒い粘土状の障壁を乗り越えて、粘液状態の人影が姿を現した。魔法士数十名が飛び出して至近距離から火属性の魔法弾を撃ち込んだ。影の子は動きが鈍く魔法弾の炎を受けて次々と倒れていった。


 カウルの携えた伝令が行き渡ったのか、魔法士たちは半包囲陣形を維持しつつ縦の幅をせばめた。砲台位置を維持しながら死者で空白となった箇所が埋まる。前列で命を落とした砲台役の場所へ、後列で生き残った砲台役が移動して代わりを務めた。


 地面との衝突で潰れた影の王の身体は今も広がり続け、場所によっては魔法士たちから10メートルほどの距離まで近づいていた。


「隠し玉を投擲とうてきしろ!」


 叫ぶが早いか私はローブのポケットから布に包んだ丸いこぶし大の物体を取り出し、覆いを外して中身を手でつかんだ。


 息を吸い込んで駆け出し、ひしゃげた影の王の直前で「隠し玉」を黒い身体の中央部分めがけて放り投げる。こぶし大の球体は弧を描き、数十メートル飛んだところで落下して塊の表面に着地した。


 最初の投擲とうてきを契機に、半包囲陣形のあちこちから同じ大きさの物体が影の王へ続々と投げ込まれた。遠投能力のある者は100メートル以上離れた黒い塊の中心まで「隠し玉」を投げ込んだ。


 隠しているのは情報のたぐいではなく中身そのものだ。魔法士全員に伝達し、用意させておいた人間の排泄物と草木の種子を、土で固めたうえで戦場まで持ち込ませていた。農村出身者には発酵した肥溜こえだめから隠し玉を作るよう指示――お願いしてあった。過去に「糞尿囚人」などとささやかれたことのある指揮官だが、浴びせられた汚名を今度は活躍させる。


 周囲を見回した。骨と一緒に遺された魔法士のローブが視界に入った。私はそれぞれ物色してポケットを見つけながら、判別できるものに限り、取り出して影の王へ投げ入れた。


 辺りを異臭が包み始めたが、再び雨脚あまあしが強くなったときに乗じて手を洗っては投擲を繰り返した。そのうち鼻が麻痺したのか何も気にならなくなってしまった。


 「隠し玉」の投擲とうてきは数分間にわたって続けられた。背後、聖弓魔法奏団の外側で継続していた近接戦闘は影の子の殲滅せんめつによって収束しようとしていた。


「前方、影の王に向けて土属性の連結魔法弾を放つ。砲台役および属性付加役は準備せよ!」


 平原に声が反響するのを確認し、再び胸いっぱいに空気を吸い込んで口を開いた。


「ここからは影の王との我慢比べだ。全魔法力を使い切るつもりで当たれ! 魔法弾発射っ!」


 20名の砲台役から緑色をした光の帯が塊の各所へ発射された。火属性の魔法弾と比べて派手な音や輝きはない。攻撃や破壊を目的としておらず生命エネルギーを活性化する属性だ。


 緑色の柔らかな光を受けた影の王の一部から植物の芽が姿を現した。


 「隠し玉」が含んだ種子から発芽して一緒に投げ込んだ土を苗床なえどこに育ったものだ。4年で国家規模の植林事業を実現させた土属性の魔法弾は、植物の生長に対して特別高い効果を発揮する。


 理由は対象自身ではなく根元にあった。土属性が活性化するのは植物と土壌両方だ。植物の栄養源たる肥沃ひよくな土を生み出している微生物が魔法弾によって増殖するため、本体の生命力活性化との相乗効果で草木は著しい成長を見せる。


 芽は瞬時に身体を伸ばし、数秒も経たず根元から枯れ始めて命を散らした。戦闘の経験と実験結果から、影の王は「風」属性を活動エネルギーにすることが明らかだ。


 生命体のエネルギーを奪うを含んだ塊の上で生き物は永らえることができない。植物は魔法士や動物と異なり、手先である「影の子」にされないだけマシだった。


 土属性を付加した光の帯は草花を誕生させ続ける……。


 植物は爆発的な成長を遂げ、刹那に枯れ果てる。無関係な人間が見たら何をしているのか理解不能だろう。魔法士たちは指揮官である私の戦略を信じ、土属性の光条を放ち続けている。


 土属性による生命エネルギーの活性化には限度がある。人間を治癒する場合と同じだ。いくら植物の育成に効果があると言っても、100人分の魔法弾を撃ち込めば即座に森が生まれるわけではない。1本の樹木が巨大な幹を伸ばすまでが限界であり、余剰よじょうエネルギーは無駄な消耗となる。


 現在生き残った魔法士は500余名。まだ魔法力に余裕がある者を中心に供給役の半数を交代で動員して、20箇所から12人分の連結魔法弾を1分置きに放つ。


 威力は12人分程度が風属性を押しのけて植物を誕生させるのに望ましい。魔法士たちの体力も気を配らねばならない。疲労の蓄積した砲台役と属性付加役を休ませ、待機していた者に準備させる。横たわる影の王に最後の一撃を加える作業は持久戦へと突入した。

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