運命の日《魔法暦100年》 中編(5)

 作戦を移行してから20分、使用した魔法弾の数は正確に時を刻む。土属性の光条を受け続けた影の王の身体からは時折登場する丈高の草花だけでなく、堅い幹を持つ樹木が姿を現し始めた。小ぶりだが荒々しく伸ばす根は漆黒の身体を貫通して、下敷きとなっていた大地まで達した。けれど数秒間の命だ。樹木は実をつけた瞬間に枝の先から生気を失い、幹が裂けて黒い塊の上に屈した。


 変化が生じたのは影の王も同様だった。全く動かなかった身体は少しずつだが収縮し始めた。弱点によって肥大化し、無力な泥と化した黒い塊が徐々に元の姿へ戻ろうとしていた。


「カウル、信号の魔法弾を放つ。協力してくれ」


 私は影の王が回復し始めたのを見逃さなかった。後輩魔法士を呼び寄せて横に立たせ、合図の後で上空に向けて火の魔法弾を放った。小雨を貫いて続けざま炎の塊が飛び出す。


 数秒後、南を向いた陣形左手側となる東の向こう、山の連なる中腹からふたつの魔法弾が上がった。ほどなくして水が地面を叩きつける音が近づいてくる。山岳から地面に延々と彫られた溝に沿って大量の水が押し寄せてくる。


 灌漑かんがい工事の一環として戦場から東の山岳に木々で組み立てたダムを作り、本来別方向へ流れるはずの河川を溝に沿って影の王の場所まで届くよう手配していた。宿敵の打倒が叶えば、レジスタ共和国東部をうるおす人工河川としての役割が待っている。


 地上に横たわる巨大な塊をはさんで、聖弓魔法奏団とは反対側から濁流だくりゅうが影の王を打ちつけた。ダムの放水量は現地で操作する魔法研究士オースに一任している。幅50メートルにおよぶ水量は、黒い巨体がなければ魔法士たちを押し流してしまうほどだ。


 数百万トンという水流は影の王にぶつかってスポンジのように吸い込まれた。雨水を含んだ身体はより一層巨大化し、希釈した泥となって地表に無様な姿をさらした。


 黒く偏平へんぺいな塊は面積を広げて魔法士たちの足元にまで迫っていた。号令で皆を後退させる。影の王はもはや生命の面影がなくなり、微動だにしなくなった。


 土属性の魔法弾による作業は淡々と続いていた。傷ついた聖弓魔法奏団に残存する魔法力は少ない。攻撃を止めたら抵抗する者はいなくなり、影の王はいずれ回復して戦闘前の状態まで戻ってしまうだろう。


 水で動きを封じ込めてから火の魔法弾で燃やし尽くすことも選択肢にはあった。開戦当初は聖弓魔法奏団の総力を挙げた攻撃で蒸発させることを目標としていたが、自己修復まで備えた敵を圧倒する熱量は遂に生み出せなかった。燃やし尽くせないから現在の作戦に移行している。


 氷の魔法弾で水を含んだ巨体を氷結させるのも、過去の実績に基づいた現実的な選択肢だ。けれど幅400メートルとなった巨大な塊を絶えず氷で閉じ込めるには全く魔法弾が足りない。


 私は最後の選択肢として土の魔法弾を使った作戦に望みを託した。影の王の正体を検証し、身体を構成している物質を別のものへ変換するという奇想天外な方法だ。


 かつて影の王の欠片かけらを素手で触れたときから、影の王の構成物質について仮説を立てていた。影の王はかつて100年前にレジスタ王国が掘り起こそうとした化石燃料「石油」が命を持ったものではないかという仮説だ。国の認可を受けた「役に立つ」教科書にも歴史の一項目として存在が記されている石油、通称「燃える水」は認可印のない文献に詳しく形状や性質が載っていた。


 色、質感、炎を噴き上げる揮発きはつ性……。魔法研究所で盛んに議論を交わした結果、影の王は地中にあった「石油」が何かの原因で変異したものだという結論に達した。


 「役に立たない」教科書に燃料として利用方法の記載されている石油が、なぜ「影の王」となってしまったのかはわからない。原因は不明だが、打倒する手段を講じることはできる。数千万年という長い年月をかけて作られる石油が、別の進化をたどって人類の敵となったのなら、再び化石燃料へ正しく進化させてやれば良い。


 石油の起源については諸説あるが、はるか遠くの国では有機物の死骸が長期間の熱によって熟成されて誕生したという考え方が主流らしい。ただし、私が目をつけたのは石油分解菌やメタン菌といった一部の微生物が化石燃料をつくるという実験例だった。


 知る限りひとつだけ、影の王と風属性が傷つけない生物が世界に存在する。地中の「微生物」だ。レジスタ共和国の科学は未成熟で微生物を詳しく解析する技術すらないが、土が健在であることから生存が判明していた。


 影の王が黄昏たそがれ時に出現する周辺の土壌、影の子がかつて出現した場所、いずれも決して不毛な土地に変わらなかった。土が生きているのは微生物が活動している証拠だ。


 影の王は微生物をとは認識していないのか命を奪おうとしない。


 一方で「土」属性の魔法弾には地中の微生物を活性化する能力がある。人間の大腸にも存在するメタン菌、地中に存在する石油分解菌などの微生物をまとめて繁殖させて、影の王を別の物質――かつて先祖が追い求めた「燃える水」へ変換する。


 今も影の王の体内では、大地に元から居た者に加えて「隠し玉」から飛び出た微生物が大量に増殖しているだろう。植物の死骸は分解される過程で、更に微生物を育成する。


 最後に魔法の「土」属性の作用で、化石燃料を作る微生物が最大に活性されれば、長い年月をかけて分解される巨体を短時間で変換できる。大量の魔法弾があれば可能な話だ。


 魔法弾の残りがあれば、可能な話だった……。


 供給役の魔法士数名が力なく地面に倒れ込んだ。魔法弾を撃ち出すための「魔法力」が尽きたのだ。戦闘において限界以上の魔法力を生み出す稀有けうな事例が過去に認められていたが、不確定要素を加えたとしても魔法弾の残数は足りなかった。


 魔法力を供給できなくなった小集団が幾つか隊列から外れた。同時に魔法士たちの間で漫然と不安が広がった。表情から少しずつ生気が失われていく。近い未来に差し迫った危機意識なのだろう。光明の見えにくい作戦だけに仕方の無いことかもしれない。


 もう駄目か――重い空気が突如背後から発生した爆発音によって吹き飛ばされた。策は何も残っていない。魔法士たちが驚愕きょうがくの表情で背後を振り向く。私も険しい視線を向けた。


 影の子たちの残骸が集まってできた壁の一部が破壊され、白い魔法士の集団が姿を現した。


 馬に乗った老魔法士が先頭となって、聖弓魔法奏団目掛けて駆け寄ってくる。


「アキム、非戦闘員を連れてきたぞ。17歳に満たない魔法研究生100名と、戦闘に参加せずふさぎ込んでいたので尻を蹴飛ばして引っ張ってきた50名……総勢150名じゃ。それから……」


 老魔法士は右手の親指で背後を示した。


「自称元魔法士という連中が是非参加したいというので連れてきた。数はわからんが、ローブも足りんので魔法具の手袋だけ貸してやった。一応役に立つだろう」


 ジョースタックが連れてきた援軍は150名の魔法研究生と、白い私服姿の元魔法研究所関係者300名以上だった。

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