Ver5.2 運命の日《魔法暦100年》 中編

運命の日《魔法暦100年》 中編(1)

 影の王から伸びた9本の首は全て燃え尽きた。「十字連弩クロスボウ」の連射性能は二度目の再生を許さなかった。裸同然となった影の王本体に余った光条が突き刺さる。


 鈍色にびいろの空まで届かんと燃え盛る炎の中、紅蓮ぐれんに染められた巨体に変化が訪れた。根元だけとなった龍の首、雫を吐き出していた触手すべてが突然、静止した。力を失ったようには見えない。球体から伸びる無数の触手は炎をまといつつ表面の一部分に空きを作るように移動した。聖弓魔法奏団の正面側だ。総面積のうち3分の1程度から触手が消え、平らな球面に変化した。炎は移動した部位とともに隅へ追いやられ、新しい漆黒の肌が姿を現した。


 粘性のある液体が波打ち、触手の去った球面中央に大きな渦が発生した。周辺の液体を引きずり込み球体深くまで達し、影の王を貫こうとするほど深い穴を形成する。激しい渦は徐々に速度を弱め、地獄の入り口を思わせるほど巨大な空洞が影の王中央に誕生した。


 大穴の周囲が隆起して鋭い段差を作り出す。空洞の上部には縦に長いみねが出現し、その両側に窪みが生まれる。誰もが知っている形状……彫りの深い目鼻立ち、空洞を口とする人間の顔だ。生命が宿っている雰囲気はなく、顔面を模した彫像といった印象を受ける。


 魔法士たちは数十メートルもの巨大な人間の顔から、全く目を背けることができなかった。


 漆黒の顔面に表情が現れる。筋肉でもあるかのように液状の表面がしわを作り、苦悶の表情、それから怒りの形相ぎょうそうへと様子を変化させた。口にあたる大穴の周囲が振動して、空洞内に大量の空気を吸い込み始める。


 嫌な気配が漂った。間髪入れず、聖弓魔法奏団の右翼側から複数の炎の帯が飛び出して洞穴の淵を貫いた。砲台役の魔法士が事前の命令通りに行動した。


 影の王が新しい形態に変化したときは、おうぎ状に布陣する聖弓魔法奏団の中央へ向かう攻撃を左右に逸らせるべく陽動せよ、という命令規則だ。右翼側の砲台役は命を危険にさらすのを承知で連結魔法弾を放った。


 漆黒の顔面が右翼側を向いた。何かが来る……。


 彫像の口――漆黒の穴から、が聖弓魔法奏団の右翼部隊目指して山のように噴き出した。塵は激しい嵐となって魔法士たちを包む。


 奇妙な炎の柱が聖弓魔法奏団の右翼側から上がった。黒い塵を浴びた魔法士たちの身体から見たことのない鮮血色せんけつしょくをした炎が立ち昇った。気味悪いしゅ色の灼熱に包まれた魔法士は100名以上いた。


 火に巻かれた後に悲劇が待っていた。炎に触れた魔法士たちは消火する暇も与えられず、瞬く間に痩せ衰えて骨と皮だけに変貌した。血も肉も失った足腰は身体を支えきれず炎と一緒に地面へ沈む。


 黒い塵の嵐は吹きつけられた聖弓魔法奏団を突き抜け外側へ消え失せたが、魔法士たちの間に残った塵は依然、周辺を駆け巡っていた。先刻と別の場所からも鮮血を思わせる炎が発生した。回復を試みる魔法士も次々と身体から発火し、骨に皮が張り付いただけの哀れな姿へ変わり果てた。燃え広がる炎に対して氷属性の魔法弾が近隣より放たれた。あざ笑うかのように気味の悪い炎は消える気配がない。


「隊列右翼側に告ぐ! 犠牲者の回復は一旦あきらめる。塵と炎の被害にっていない者は距離を空けて待機!」


 被害者が150名近くにのぼろうとする状況で、私の発した伝令は負傷者を隔離するという冷淡なものだ。他に選択肢がなかった。


「負傷した砲台役の人数確認のため、しばらく中継役リーダーの任から外れます」


 カウルが確認を求めてきた。頼む、と合図した。再び被害を受けた魔法士たちを一望した。


 命を奪う炎……風の属性は命を奪う。燃え盛る力は炎。まるで2種類の属性を持っているかのようだ。鮮血のごとくしゅ色に燃える炎は残った骨と皮を破砕し、灼熱を撒き散らした。


 私はやぐらの手すりに拳を叩きつけた。


 ――魔法属性は合成できないのではなかったのか?

 

 私は歯噛はがみしながら疑問を口にせずにはいられなかった。人間に与えられた魔法には制限があり、影の王が使役する魔法は完璧なものだ。異なる属性が互いを打ち消しあうことはない。


 理不尽にも程がある。先刻から理解に苦しむ事柄が頭を反芻はんすうしていた。影の王の身体に突如、人間の顔が現れた。なぜ人間なのだろうか? 球体の身体や、龍の頭を目にした時には人智を超えた存在であることを再確認させられたのに……。


 影の王の本体に人間の姿が登場するのは、眼前の怪物を作り出した者が創世そうせい以前の神ではなく「人間」とゆかりのある存在だからではないだろうか。疑問は続く。


 人間に理不尽な条件を強いるのは何なのか。100年前に現れた魔法の伝道師というのは何者だったのか? 本当に救世主だったのか……。もしかしたら彼らも何処かで影の王と繋がっていたのかもしれない。


 私たちは絶望するためだけに魔法研究を続けてきたのだろうか? 誤解した風の属性、水の存在、不可能な魔法合成、すべてが狂っている! 魔法士1000名以上が朽ち果てるのを何者かが愉悦ゆえつの眼差しで観察するために、全て仕組んだことだったのだろうか?


 我に返ったとき右翼側を向いていた漆黒の顔が、自分のいる聖弓魔法奏団中央へ角度を変えていた。数秒間の雑念が判断を鈍らせていた。


十字連弩クロスボウの照準を、影の王に出現した顔面の口元へ合わせろっ!」


 果たして効果があるのかどうか不明なまま声だけを高く張り上げた。強力無比な影の王の殺戮さつりく能力を前に己の無力さを痛感した。

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