仇敵の弱点(4)

 一方、採取した「影の王」の欠片かけらは予想外の結末を迎えた。8月1日、盛夏せいかの正午。私は予定している魔法研究会議に向けて書類の確認をしていた。


「アキムさん、黒い欠片かけらの様子がおかしいです!」


 実験中に危険な存在であると再認識していたからか、カウルの声に身体が俊敏に反応した。急ぎ保管している部屋へ足を運ぶ。開放された扉の前に多数の魔法士が集まっていた。


 部屋の奥で鉄の箱に入れられたままの影の欠片は、姿こそ見せないものの、ふたを閉めた箱の内側から叩くような音を鳴らしていた。弱点であるはずの水に浸ったまま半月も動きを見せなかった影の分身は、黄昏の時間でもなく10月10日でもなく、何の前触れもないまま突然何かに覚醒したようだ。


 私は魔法研究士を招集するよう少年魔法士に告げ、懐から氷属性の手袋を取り出した。右手にかぶせて手のひらを鉄の箱へ向ける。


 ヒュウッ、と風の吹きすさぶ音が聞こえるのと同時に、氷の粒をともなった吹雪が鉄の箱周辺を取り巻く。数秒も経たずに熱伝導率の高い鋳鉄ちゅうてつを素材にした氷の棺桶かんおけができあがった。箱の中の水も凍りついたのか、活性化した影の王の欠片は再び沈黙して深い眠りについたようだ。


 魔法研究士たちが到着する頃には影の欠片が静かになって数分が経過していた。注意深く目の前の動向を観察しながら、再び氷の魔法弾を放つ。


 鉄の箱はさらなる吹雪を受け、金属の表面全体が薄い氷に覆われた。


「影の欠片がどんな状態なのか全くわからない……危険回避を優先して中身は野外で確認する」


 緊張したおも持ちで語り、状況に応じて戦闘に発展する可能性があることを魔法研究士たちに認識させる。大きい毛布を持ってくるよう魔法研究生のひとりに指示を出しながら、裏庭まで運ぶ算段を説明した。自分と魔法研究士のひとりが協力して凍結した鉄の箱を毛布でくるんで運ぶ。他の者は火属性の魔法具を準備する。採取するときに使用した大きな皮袋に水を入れ、ふたつほど用意させた。


 まるで引っ越しが始まるかのように、魔法研究所の裏庭へと通じる階段を下りて野外まで運び出した。


 真夏の強い日差しが目に飛び込んでくる。鉄の箱を運ぶ私たちに随行するのは魔法研究士のみだ。事前の打ち合わせがないこと、予測のつかない危険な状況であることを理由に魔法研究生の参加は禁じた。


 かつて魔法弾の合成を試した場所で、影の欠片を観察することになった。毛布を取り去って鉄製の箱を外気に当てる。表面を氷に覆われた金属は陽光を浴びて常温に戻り始めた。


 凍結した箱は鍵がかかっており、現在は錠前じょうまえが氷で埋まっている。開けるには温度を幾分か高めなければならない。私を含めた魔法士総勢6名は夏の日差しを利用した自然解凍を待った。願わくば内部の水と影の欠片は凍らせたまま様子をうかがいたい。


 太陽の角度がいくらか変わったことを影の向きが知らせる。私は何度かふたを開けようと試みる。4度目に挑戦してやっと運よく鍵が開き、中身を外にさらす機会を得られた。


 鉄の箱を内側から叩く音は途絶えたままだ。ふたを完全に開け放つと、内部は水面に薄い氷が張っているが、底の方は水に戻っていた。


 影の欠片は……見知らぬ姿となって氷一枚隔てた水中を漂っていた。大きさは8センチメートル角程度。何度も実験目的で細かく分割したため、昨日の時点で欠片の体積は幅15センチほどまで減っていた。今、さらに小さく縮んだ姿は明らかに別の物体へと変容していた。


 表面は鉱石のような硬い物質に覆われ、亀裂きれつが入っている。降雨に嫌われた畑の土が乾燥でひび割れた様子を思い出させる。欠片は静まり返ったように全く動かない。水を吸い込み弱体化したような姿とは異質な、得体の知れない不気味さが漂っている。


 魔法研究士たちがひとりずつ交互に内部の様子を確認する。あくまで影の子と変わらぬ危険な存在であり、状態の変化に注意するよう幾度も呼びかけた。


 目立った動きがないことに数名が胸をなでおろした。彼らの視線がれた瞬間だった――。水の中で静止していた影の欠片が浮力にしたがって凍った水面までぷっくり浮き上がった。


 水面の氷が割れ、欠片が身体の半分を大気にさらけ出す。沈んでいるときには確認できなかったが、球体に近い形状だ。1秒か2秒の間だった。


 球体の一点から果物を4分割するように切れ目が入ったかと思うと、花のように開きかけた隙間から黒い液体が空中に飛び出した。突然のことだ。寸前に観察していた魔法研究士は避ける暇さえ与えられず、眼に液体の直撃を受けた。


 くぐもった悲鳴が漏れる。顔に一部を残した黒い液体は近くの場所へ着地した。


「オース、回復を頼む!」


 大声で指示を出し、自分は黒い液体に向けて火属性の魔法弾を放った。同時に別の魔法士から液体を吐き出した欠片の方にも魔法弾が放たれた。いずれも炎に巻かれて燃え盛る。


 顔面の一部を黒い液体に取り付かれた魔法士は地面にうずくまっていた。彼の左手の魔法具を握ってオースが土属性の魔法弾を体内に注ぎ込んだ。私も右脚を影の子にむしばまれているが、頭部への被害ははるかに深刻だ。魔法弾での戦闘を心得た自分が代わって治癒するべきだったのかもしれないが、視線をふたつの燃える黒い物体から逸らすことができなかった。


 水を弱点だと考えたのは、早計だったかもしれない。果たして最初から耐性を持っていたのか、途中で進化したのか。いずれにせよ「影の王」の欠片は表面を鉱石のように変異させて、水と自己が反応するのを防ぐ術を持っている。今まで水が弱点のように「見えて」いたのは真実だったのか、それとも欠片があえて「見せて」いた演技だったのか……。


 前回、4年に一度の「影の日」を迎えた魔法暦92年、風の属性を付加した魔法弾は影の子の集団を見事に撃退した。魔法研究所は風の魔法弾の効果を信じて、魔法暦94年の同日に影の王との決戦に臨んだが、戦場にて風属性が逆効果であると思い知らされて敗北した。


 同じく半月前に水を用いて捕獲した影の王の一部は、水を弱点だと周囲に知らしめながら、本日に至って初めて水に対する防護策を披露ひろうした。


「これが運命の日の決戦でなくてよかった……」


 思いがけず心の声が口をついて出た。魔法士たちは困惑の表情を浮かべながら、こちらに視線を向けた。主任魔法研究士の判断を待っているようだ。


「……水だけでは影の王の弱点を突くのに不充分なんだろう。欠片の奥は採取した時から鉱石のような状態だったのかもしれない。予測は外れたが魔法暦100年に訪れるより前に知ることができて幸運だった。負傷者の回復を待ち、今後の研究方針について結論を出したいと思う。もう少し時間をくれないだろうか」


 率直な感想だった。私の両目は未だ黒い液体を放った影の欠片をとらえたままだ。鉄の箱に入っていた欠片は炎の中で激しく身を震わせ、変形しながら水中へ沈んでいった。火は地面に落ちた液体のみを燃やし続けている。ほどなく蒸発するように消え失せた。


 私はいち早く鉄の箱に駆け寄り、水中の様子をうかがった。ひしゃげた粘土状の物体が水底に沈んでいる。炎は消えたが硬い外殻もなくなっていた。そういうことか……。とどめを刺そうと魔法弾を準備する魔法士を片手で止めた。


「水が弱点なのは間違いないようだ。身体を鉱石のように変化させて水から防護するという特性も、条件次第では対応できそうだぞ」


 手袋を外して素手を水中につっこみ、黒い粘土状の物体を引っ張り出して近くの地面に投げつけた。魔法士たちが驚いた表情を浮かべる。


 私は「少しなら大丈夫だ」と手のひらを見せて、合図を送った。皆で観察する。ひしゃげた黒い物体は数分経つと、水気が乾き表面が固まって鉱石の姿へ変化した。地面に転がったまま動かない様子は、じっと耐え忍んでいるように見えた。先ほど制止した魔法士に指示を送り魔法弾を撃ち込ませる。燃え盛る炎に包まれ、残った欠片も消滅した。


「火と水を扱うことができれば、影の王の裏をかけるかもしれないな」


 採取した影の王の欠片は、実験対象としての役割を果たして研究所から姿を消した。負傷者を出す危険極まりない研究は以後中止することになったが、影の王を攻略する糸口は今回の事件を通じて、おぼろげながらも手中にしつつあった。

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