仇敵の弱点(2)

 魔法暦95年7月15日、装備を整えた白亜の魔法士一行は、影の王が産み落とすという液体を採取するため首都コアを旅立った。陽は背丈よりも長い影を進行方向に作っていた。騎馬3頭と馬車の組み合わせで出発したメンバー5名は、責任者を務める私のほか、魔法研究士のオース、前途有望な魔法研究生3名だ。ひとりは若干13歳の少年カウルである。


 出発に先立って、各自へ魔法弾吸収用の手袋と無属性および4属性放出用の手袋合計6枚ずつを渡していた。番号は入っていない。すべてセグに製作してもらった新品だ。現在、刻印部分を修復している魔法士のローブなど、魔法研究所が使用する魔法具はセグに外部委託している。


 私はホロ付きの馬車の中でひとり、影の王の一部を閉じ込めておく鉄製の箱を見守っていた。本音は馬に乗りたくないからだが、帰路は重要なサンプルを監視する責任を負う。


 昨年、聖弓魔法兵団の一員として徒歩で進んだ道を颯爽さっそうと通り抜けていく。魔法兵が歩いた時間の半分以下、2時間半とかからず影の王が出現する予定地に到着した。


 1年前に起こった苦い経験と惨状の光景が脳裏によみがえる。かつての戦場は黒い粘土が消え失せ、魔法士たちの残骸も魔法研究所が衣服のみ回収していた。亡きがらは粘土状の物体と一緒に戦闘の翌々日には姿を消した。影の王に取り込まれたのなら、いずれ敵として現れるだろう。


 乾燥地だった平原は、魔法弾の生みだした炎によって地表が焼けてしまい、災難を逃れた草木がわずかに残る荒野と化していた。


 風の音だけが聞こえる世界で、私と他の魔法士たちは移動手段から降り、影の王の一部を採取する準備に取り掛かった。私はホロをかぶった荷台から大量の水が入った皮袋4つを取り出し、体格の良い2人の魔法研究生に持たせた。重さは1袋30キロある。


 身長も肩幅も大きい2名は、自分がようやくひきずりだした皮袋を簡単に両肩へ引っかけて持ち上げた。口惜しいがなんとも頼りがいがある。3年前の入学採用試験で魔法研究生となった一期後輩たちは、魔法力の合格基準を引き下げたことから個性的な面子が集まっていた。


 残った1名の若き少年魔法研究生は、意図せぬ問題が生じた時のために逃走経路を確保していた。栗色の頭髪を汗で濡らしながら不要な草木や石を取り除く。馬車と3頭の馬は影の王の出現予定場所から反対を向かせ、いつでも出発できるように用意してもらった。


 帯同している魔法研究士は、斥候せっこう役として実績のあるオースだ。浅黒い肌、切り傷の入った迫力ある顔は用心棒といった風体だ。冷静に任務を果たしてきた偉丈夫は少数精鋭の行動に欠かせない。彼の持つ詳細な情報が作戦の成否に関わっている。


 準備が終わり、黄昏たそがれの時間を待った。私は右手に氷属性の魔法弾を放つ手袋、左手に魔法弾吸収用の手袋をつけて、運良く見つけた丈高たけだかの草が群生した陰に身体をかがめた。背後に続く魔法士たちは右手に無属性の魔法弾を放つ手袋、左手に同じ吸収用の手袋をつけた。


 陽が地平線に沈みかけて薄い緋色ひいろの波が上空を覆うように広がっていく。10月10日の決戦の時ほど真っ赤には染まらず、雲が尾を引いて原色の光の一部をさえぎっていた。代わりに薄闇が早くも地表を支配し始める。暗くなる足元に気をつけながら私たちは空中の一点を凝視していた。


 うっすらと輪郭が浮かびあがり、半透明の漆黒の球体が眼前に巨体を現した。


 オースの指示を聞きながら影の王へ細心の注意を払って、ある1箇所、球体の最下層の部分を見つめていた。


 直径数メートルの「そこ」だけが完全に実体化している。再び悪夢の記憶がよぎったが、情報どおりの現象であることを確認して冷静さを取り戻した。風の音すら意識外に遠ざけ、視覚を研ぎ澄ませる。


 頭上に動きがあった。実体化した液体の身体の一部が大きく重力に引かれて垂れ下がり、ひと雫を地上に落とした。ほぼ真上から落ちてくる黒い粘性のある液体。背筋を冷たくして観察していたが、地面に落ちた瞬間を見計らって右手を上げた。


 自分を含めた5名の魔法士たちは草をかきわけて飛び出した――。


 地表に達した影の王の一部は、粘液状の姿のまま影の子となる様子はない。大きさおよそ幅1メートルほどの塊が地面に横たわっている。魔法士たちは足早に迫り取り囲んだ。力自慢の魔法研究生2名が皮袋を持ち上げて、中の水を残らず標的へ注ぎ込んだ。


 黒い粘液状の物体は頭から水をかぶると、刺激を与えた動物のようにびくっと身体を強張こわばらせた。思わずこちらも敏感に反応する。先を予測できない状況だ。


 ゆっくり右手を肩の上で振って準備の指示を送る。私とオースは火属性の手袋を握りしめ臨戦態勢。カウルは退避する方角を見つめた。残る2名の魔法士は、あらかじめ用意した追加2つの皮袋を取りに、草の集まった場所へ中腰で移動して速やかに戻ってきた。


 おそらく魔法暦で初めて「影の王」の一部に水をかける実験を試みたはずだ。予測が誤っていなければ何らかの変化を見せるに違いない。縮こまるか、逃げようとするか……。


 粘液の塊は予想に反して水を丸ごと吸い込み、身体を巨大化させた。1メートルだった幅がみるみる2メートル以上まで膨れ上がる。動物に備わった反射行動だろうか、5名全員が塊の近くから飛びのいた。私の不自由な右脚さえも鋭く動いた。


 黒い粘液の塊は表面を波打たせながら何か始めようとした。すぐさま水を追加投入する指示を出す。魔法研究生2名は新しく用意した皮袋の中身全てを漆黒の物体めがけて振りまいた。


 塊は液状の表面を起伏させ、激しくぜん動を繰り返した。カウルを加えた魔法研究生3名が数歩退しりぞいた。私は合図して魔法士たちを自分の背後に呼び寄せる。次にまた反応する前に片付けてしまうのが賢明だ。


 幸い、黒い塊は最初に水をかけたときと比べて体積を瞬時に増やすことはない。大きく波打つ表面の動きは、二度目に投入した水を吸収しようとしながら徐々に鈍くなっていった。


 ――頃合だ。私は背後に左手を伸ばし、斥候せっこう役の魔法士オースが右手で強く握った。カウルが彼の左手を右手で握り、体格の良い2名の魔法研究生も後に続いた。


 失敗は許されない。5名が直接手で魔法弾を送り込んで作り出す連結魔法弾だ。私は右の手のひらを標的に向けて、液体が凍りつくイメージを思い浮かべた。


 手のひらから氷の破片が吹雪となって黒い塊に降りかかる。物体の表面から内部まで浸入していた水は瞬時に凍りつき、粘液状の身体を氷の膜で覆い尽くした。表面は微動だにしなくなり、身体全体が静止した。


 1分後、改めて氷属性の連結魔法弾を塊に放った。吹雪ふぶきは氷に包まれた物体をさらなる氷で包む。体格の良い魔法研究生2名へ合図を送るとともに、背後の魔法研究士に右手を差し出した。


 オースは肩に下げた小ぶりな布袋から金槌かなづちとノミの大工道具を取り出して、こちらに手渡した。私は周囲の様子に気を配りつつ氷に覆われた黒い塊にノミを突き立て、金槌で叩いた。コーンという高い音が宵闇の広がる空に響く。音は何度も鳴り響き、やがて目の前に幅30センチほどの片割れが誕生した。


 魔法研究生たちが2人がかりで鉄製の箱を運んでくる。私は両手の魔法具の上から大きな皮製の手袋を重ね、氷に覆われた頭部ほどの塊を慎重につかんで箱の中に放り込んだ。


「上手くいったぞ。撤収てっしゅうする」


 右手を頭上で回して合図する。残った塊を放置したまま馬車を待機させておいた方角へ全員退避するように指示を出した。まず年少のカウルが馬を用意するため急いで戻る。鉄の箱を抱えた2名の魔法研究生が続き、戦闘の経験がある私とオースがそれぞれ上空の影の王と地表に残った塊に変化がないか監視し、影の王直下という危険領域を後にした。


 馬車に戻るなり、凍った塊が入った鉄の箱にふたをしないまま残しておいた皮袋の水を投入した。黒い塊の破片は全く動かないまま、水の底に沈んだ。私は氷の魔法弾を至近距離から鉄の箱の内側に撃ち込んだ。数発で周りの水ごと黒い塊は氷漬けになった。


 こん色の空に浮かぶ巨大な球体は動く気配が微塵みじんもなかった。過去、4年に一度の間隔で送り出した影の子が撃退されても変わらないのと同じく、末端には興味がないのかもしれない。


 乗り手のオースが馬車を発進させた。馬にまたがった他の魔法士も一緒に去り行く背後で、影の王は魔法士たちの所業に対して全く関心を示していないようだった。

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