Ver4.2 仇敵の弱点

仇敵の弱点(1)

 光陰こういん矢の如し――。忙殺される日々は意識する暇もなく数ヶ月を経過させた。気づけば暫定の主任魔法研究士となって半年以上、魔法暦95年の前半が過ぎ去った。新規に魔法研究生となった17歳未満の少年少女たちは30名ほどを数え、魔法研究会議を含めた各所で著しい成長を遂げていた。


 新体制発足当初50名だった魔法士は、募集を開始した1月に新人を含めて早々に100名を越えた。その後も月ごとに増加し続け、季節が夏を迎える頃には300名の大所帯となった。増員の内訳は、かつて魔法士だった人間の現職復帰が最も多い。影の王との戦いで負傷した者たちは絶望からいったん辞職したが、活気を取り戻しつつある魔法研究所で再び奮起する気になったようだ。


 魔法暦95年7月10日午後、私は魔法研究会議にて魔法属性に関する持論を語っていた。


「火・氷・土・風の4属性のうち、影の王へ攻撃するのに有効なものは現状、火の属性だけだ。氷の属性は威力が足りず、土の属性は治癒目的。風の属性に至っては逆効果だ」


 影の王との戦いで敗北を喫した原因のひとつに、魔法弾の属性に対する認識の誤りがあった……。


 風属性は魔法暦92年の影の子討伐において実績を挙げ、戦力の要と目されていた。ところが影の王に対して全く効果がないばかりか、逆に活性化させてしまう事実を皮肉にも決戦の最中に思い知る事態となった。聖弓魔法兵団が壊滅的な被害を受けたのは、最悪のタイミングで真実を知った点が大きい。二度と同じ失敗を繰り返してはならない。


「火の属性については10年以上の実績がある。過去、影の子を撃退してきた事実から、火炎による攻撃が影の王にも有効だろうというのが現状の見解だ」


 私が周知されている事実を淡々と述べる間、魔法研究所2階の会議室には奇妙な緊張感が漂い始めた。居並ぶ魔法士たちは、毎回唐突に始まる発想の転換、主任魔法研究士による斬新な切り口を待っているのだろう。


「……かといって、火属性が唯一の選択肢と決めつけるのは性急だ。魔法で影の王を撃退するという従来の方法から一度、目を離してみよう。影の王に隠された弱点は、魔法の属性に存在しないのかもしれない」


 魔法弾に付加する属性では影の王を倒せない……。魔法研究所の存在意義さえ問いかねない奇天烈きてれつな発想だ。こともなげに話し続けるからか、さすがにいぶかしげな視線が向けられた。私は聞き手の反応など意に介さず、細かい数字が書かれた紙を会議室中央の机に座る魔法士たちに配る。


「影の王が出現する位置と付近の気象データだ。面白い事実がわかる」


 魔法士たちは数の足りない枚数を回し読みするようにして、紙に書かれた情報を目で追った。


「影の王の出現場所近辺は10月上旬に限り、過去幾らさかのぼっても降雨量はほぼゼロだ。激しい炎により上昇気流が発生した影の王との決戦の日ですら、雨の痕跡はほんのだ。一方で、過去に影の子が出現した村にも10月10日に雨が降っていたという記録はない。つまり、水を利用した攻撃を影の王や影の子に向かって試したことは、一度もない」


「水が弱点かもしれないということですか?」


 話をさえぎる若い声が室内に響いた。若干13歳の魔法研究生カウルだ。栗色の頭髪であどけない顔立ちの少年だ。周囲から集まる視線を気にせず率直な質問を投げ返してきた。


「先に言われてしまったが……『水』が弱点かもしれないということだ」


 決まりの悪い表情をしながら聡明な少年の顔を眺めた。話の内容に興味津々といった様子だ。


「魔法の属性は4つだと先に述べたが、火に対して氷という組み合わせは不自然と考える者もいる。別の世界の伝承にならい、火と対になるのは水ではないかと考える者もいるようだ」


 国立図書館における「役に立たない」と呼ばれる文献の数々は、私が主任魔法研究士を務めるようになって以来、盛んに読まれるようになっていた。自分が時折、口に出すことから思わぬヒントがあるのではないかと認識されつつある。散々読み尽くしたつもりだったが、本を携えて目新しい情報を持ってくる魔法研究生も時折現れた。


 ……魔法の4属性が影の王に対して効かないという発想は、突き詰めると魔法暦ゼロ年に現れた魔法の伝道師たちを疑うことになる。「役に立つ」文献の内容を信じて研究に没頭してきた者にとっては刺激が強すぎる。


 歴史の一項目を多少なりとも否定する見解については、それ以上口にするのを控えた。具体的な内容に話を移そう。


「水について試してみる価値は十分にあるだろう。実験に先立って影の王から毎日、黄昏たそがれ時に滴り落ちると報告されている黒い液体を捕獲する」


 驚愕きょうがくの表情を浮かべる魔法士たちの顔がこちらへ向けられた。


「影の王が産み落とす液体を採取しようとする試みは既にあったようだ。記録によると魔法暦81年、魔法士十余名で現場に向かい……全滅したそうだ。翌日、消息を絶った者たちを捜索するため、さらなる魔法士たちが赴いたが、再び全滅してしまった……。以降、影の王との接触は10月10日ならずとも禁止された」


 会議室の雰囲気が重く張り詰めた。隅で会議を見守っていたジョースタック魔法研究所長は当時のことを覚えているのだろう……眉をひそめて下を向き、押し黙っていた。


「入念な準備をして少数編成で影の一部採取に向かう。成功すれば魔法研究は大きく前進するだろう。指揮は私がる。興味を持った者は是非、参加してほしい」


 沈黙が魔法士たちの身体と会議室に訪れた。誰も声を上げなかった。私は意図して時間を設けていた。魔法の属性についての話題から「影の王」の一部を採取する誘いへ急展開したのだ。咀嚼そしゃくする時間が必要だ。皆には本件について十分に吟味してほしかった。


を捕獲するようなものだ。手段には水を用いる。過去に採取へ向かった者に『水』という発想はなかっただろう。水を黒い液体に万遍まんべんなくかけたのち、『氷』の属性を付加した魔法弾をぶつけて外側から氷結させる。未知の物体であろうとも、内外の水分を凍らせてしまえば冷凍保存することは可能だ」


 一同の顔を見渡した。希望と困惑の入り混じった複雑な表情だ。沈黙を破り、再び栗色の髪をした少年の声が室内に響いた。


「アキムさん、僕も同行していいですか?」


 主任魔法研究士への就任以来、年下の研究生から「アキムさん」と呼ばれたことはない。無礼な物言いを正そうと年長の魔法士が叱ろうとしたのを、手を差し出して制止した。


「残念だが、カウル。17歳に満たない者を危険な任務に就かせるわけにはいかない。魔法研究所に設けた数少ない規則なんだ」


 二度と後輩を失いたくなかった。過去の記憶と事例から水が弱点なのは間違いない。負傷者を出さない自信はあったが、影の王に大敗したときの光景を思い出すと、惨劇の現場へ少年を連れて行くことなどできない。


「アキム主任……規則は大事だが有望な若者を育てるという理念までじ曲げることはない」


 ジョースタックの声が部屋の隅から聞こえた。


「……ジョースタック先生、私にごうを背負わせるおつもりですか?」


「わしからすれば、お前も前途ある若者に違いはない。危険な任務だからこそ、能力と鋭気の両方を兼ね備えた者が必要だろう」


 カウルが先日記録した魔法力は19発だった。13歳の彼は、すでに自分が17歳のときを上回る実力だ。ティータ以上かもしれない。優秀だからこそ後事を託す者として魔法研究所に残しておきたかった。そんな心情を察してか、ジョースタックは話を続けた。


「自ら危機に立ち向かうという、おまえのやり方は実に勇猛果敢ゆうもうかかんじゃ。何やら失敗したときのことを思案しておるようだが、現時点で魔法研究所がリーダーを失ったら、もう再建はできないだろう。自分の責任と立場をわきまえたうえで、決してどの命もおろそかにしてはいかん。おまえの命も同様じゃぞ」


 老魔法士は優しく叱責しっせきした。彼の言葉を脳内で反芻はんすうした。猪突ちょとつ猛進型の主任魔法研究士に今一度冷静になる機会をくれたのだろう。


「カウル、君を連れて行こう。私を助けてくれ」


 名前を呼ばれた少年魔法研究生は目を輝かせて喜んだ。自分もかつてはカウルのように純真に魔法研究と向かい合っていたのだろうか……。


 最終的に挙手する者は4名におよんだ。魔法研究会議に出席していない者は選ばない。積極的で高い意識を持っている者に挑戦の機会を与える方針だ。


 作戦の予定を説明して会議を締めくった。魔法士たちは退室し、私とジョースタックだけが室内に残った。


「どうやら、主任魔法研究士としてふさわしい資質を持ち始めたようじゃ。先日、正式に魔法研究士として登録したが、今日まで正直、人選ミスだと思っておった」


「今日までずっとですか……手厳しい意見、恐れ入ります」


「ところで、あの少年を見ていて気づいたのだが、アキムが初めて会議室に入って発言したときのことを思い出すな」


 そういえば自分も十代の頃は、上下関係など全くこだわらず奔放ほんぽうに行動していたものだ。けれど……


「私は、教官を務める魔法研究士を『さん』づけで呼ぶことはなかったと思います」


 汚名を返上する一言を付け加えた。

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